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「東北でよかった」も使い方次第でプラスになる [社会]

今村前復興相の「東北でよかった」失言を逆手に取り、この言葉を前向きなメッセージとしてツイッター等で東北の良いところを発信する動きが拡散している。東北6県の一つである福島県出身の私としては嬉しい限りである。東北人の逆境を跳ね返す気質がそうさせるのではあるまいか?私は東北地方の6県とは北から、青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島である事は知っているが、これが関東地方なら何とか言えるが、中部地方は少し怪しい、関西地方はちょっと自信が無い、中国地方はほとんど駄目、四国地方は何時もあと一県が出てこない、九州・沖縄地方に至っては合わせて10県あるのかな?程度である。ちなみに九州は7県しかなく、道理でいくら考えてもあと2県が浮かばない訳だ。つまり、南に行けば行くほど何県がどこにあるのか私には解らない。逆に九州地方の方で東北地方の6県を正確に言える人は少ないのではなかろうか?(自分の無学を棚に上げています)。小学生の頃に白地図で日本の県を嫌という程、色分けさせられたのに覚えていない。どうせ地図を見れば解る事だから覚える必要が無い、と考えていたのが今になって仇になっている。仕事でいろんな人に会ったけれど、出身地を言われて相手には「ああ、あそこですか?良い所ですね」などと言っては見たものの、本当は日本のどの辺りにあるのか良く理解出来ていない場合が多かった。日本地図でもこうなのだから、私の頭の中の世界地図はもっと酷い。なので、時々赤っ恥をかいている。


さて「東北でよかった」だが、東北に限らず皆自分の生まれた県や地方が一番なのだろう。今までにも2011年の東北大震災、同じ年に長野県北部地震(栄村大震災)、2014年に広島市土砂災害、2016年に熊本地震が起きている。過去にさかのぼれば、日本中のどの県でも何らかの災害が発生している。それでも、生まれ育った土地が一番良いのだろう。故郷が有るという事は有り難い事だなあ、とつくづく思う。ましてや両親や兄弟、親戚、知人などが健在ならばもっと嬉しい。私も田舎には兄や姉が健在で暮らしており、助けて貰ってばかりで感謝している。田舎に帰ると人だけでなく、風景、食べ物、言葉にほっとしている自分に気が付くけれど、我が家に帰って来たような感覚に似ている。本当に「東北でよかった」である。


「白河以北一山百文」という表現を御存じだろうか?私も子供の頃に聞いた記憶があるが、記事を書く為にネットで調べていたら思い出した言葉である。「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」という侮蔑表現なのだが、戊辰戦争以来、新政府軍を率いる薩長土肥側が東北地方をいやしめて用いたのだという。白河は福島県と栃木県の県境にある市なので、関東以北は価値がない土地という酷い表現なのだ。福島県会津若松市にいる、坊主で歴史にも詳しい義兄が、いまだに薩長を嫌っているのかが良く解る。私など地理も歴史も覚える気などさらさら無かったので、義兄の怒りが今一つピンと来ないのだが、薩摩揚げを見るのも嫌だと言っていた。やはり、会津戦争で薩摩藩・土佐藩を中心とする明治新政府軍にやられた方は、親からも聞かされて何時までも覚えているのだ。そんな暗い歴史も耐え忍んで来た東北だからこそ「東北でよかった」という郷土愛の強い方が大勢おいでなのだろう。それが解っただけでも、今村前復興相の失言は役に立ったのかも知れない。勿論、皮肉。
「災(わざわ)いも 福に転じる 東北人」


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バイト言葉がヤバイと思うのだが [社会]

出川哲朗の口癖「ヤバイよ、ヤバイよ」ではないが、バイト言葉がちまたに溢れていて綺麗な日本語の表現がヤバイ事になっている。その主なる原因が飲食店等で働くアルバイトの接客にあるのではないのかな?とも思うのだが、TVのバラエティー番組でも頻繁におかしな表現が出てくるので、アルバイトだけの責任ではあるまい。この「やばい」も昔のように「危ない」という意味で使われるだけでなく、「とてもいい」という使われ方をすることがあり、最近ではむしろ後者の意味に使われる方が多いのではないのかとさえ思う。言葉は時代の流れでどんどん変化して行き、誰も止めようが無い。私が良く頭に浮かぶのが「貴様」(あなたさま)という言葉で、江戸前期頃までは武家の書簡で高い敬意を表していたが、これが次第に口頭語の世界に入っていき、一般の人々も用いるようになり、話し言葉としての「貴様」の待遇価値は少しずつ下がり、江戸時代の明和頃では軽い敬意を表すことが多かったが、文化文政頃には対等の者に使うことが普通になり、天保頃には次第に罵り言葉になってしまった、という長い年月をかけて「貴様」の価値(?)がおとしめられてしまっている。言葉なんてそんなもんだろうか?1年前に言葉に関して「止めて貰いたい表現」という様なタイトルで似たような記事を書いているので、引用させて頂く。


 TVなどを見ていると止めて貰いたい表現とか言い回しがある。まず、”..と言えば嘘になる。”何なんだろう、この言い回し。赤塚不二夫の”賛成の反対!”を思い出す。何を言いたい訳?じゃ本当は? 次、スポーツで良く出てくる”皆様の元気の為に頑張った。””皆様に感動して貰いたくて..”、みたいな表現。自分が自分の為に頑張っている姿を見て我々は感動するのであって、あくまで根本は自分の為であるべきだろう。こんな事に突っ込んでも大人げないか?プロ野球のヒーローインタビューでの”チームの勝利の為に..”も、それかな? 若い娘の、「本当?」、「嘘~!」、「信じらんな~い!」、こっちこそ、表現力の低さに”信じらんな~い”。自分の事を”私って何々みたいな人なんです。”という表現も苛立ちます。”まいう~”も嫌です。美味そうな食べ物も不味くなって来そう。”ご苦労様”は上から下への言葉、逆なら”お疲れ様でした。”にしろと言う。こんな言葉は思わず出てくるもんであって、頭で上下を考えて言うもんじゃない。伊丹十三の本にこんな表現が嫌いだというのがあった。”まあ、怒らない、怒らない。”、”光栄の行ったり来たり”バーで客が水をくれと言うと、ママが”もうからん水”とか”鉄管ビール”と言う。手垢が付いてしまった陳腐な表現なのだろう。最近の”やばい”もやばいが、”全然美味しい”等の表現が?です。”全然”の後は否定だと思っていたのだが、最近は肯定のようだ。このブログも”くそ真面目”に書いているが、全然面白くなくなって来た。


最後のオチが書いた本人にも解らないオチになってしまっているが、まあいいか。
最近、言われると「止めてくれ!」と叫びたくなるのが「よろしかったでしょうか?」「お水のほうはいかがですか?」「こちらビールになります」「5000円からお預かり致します」「30分ほどお待ちいただく形になります」等々書いていて吐き気がして来たのでこの辺で止めるが、私が悲しいのは言っている人が丁寧な言い方だ、敬語だ、と勘違いしている事にある。「先生様」「社長様」と言っているのと同じで、恥ずかしい表現である事に気が付いていない。多分だが、言葉の意味を良く考えずに教えられた通りに発言しているだけなのだ。だから、言葉に心がこもっていないなあ、とがっかりしてしまう。接客業のアルバイトなどその最たる物だろう。「領収書 何様ですか?と 宛名聞く」(アルバイト川柳からの引用)


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原発は 現代版 バベルの塔  [社会]

4月18日(水)から上野・東京都美術館で”ボイマンス美術館所蔵のブリューゲルの「バベルの塔」展”が開催されている。公式HPから見どころを紹介させて頂くと”木材で足場を組んだ上にレンガをはめて固定し、その後足場を解体するという当時の建築技法を忠実に描写”、”ブリューゲルは地平まで見渡すパノラマを背景に巨大な塔を画面一杯に配置。かってない壮大なスケールで塔を描いた。”とあり、壮大な風景と細部まで描き込まれた絵は圧巻だ。「バベルの塔」は旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔で、実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を揶揄する時に「バベルの塔」というのは、絵があまりにも有名なので私でも絵と共に知っている。聖書の「バベルの塔」に関する記述の一部を私なりに解釈させて頂くと”同じ言葉を用いていた人々が自分達の技術を過信するあまり、天にも届く塔も造れる、と神に挑戦しようとしたので、神は人間の言葉が同じゆえにこのようなことを始めたのだと考えた。なので、人々の言語を乱して違う言葉を話させ通じないようにしたら、人間たちは混乱して塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった。”私には「バベルの塔」と「原発」が同じに見える。


数日前になるが、NHKスペシャルで”廃炉への道2017 核燃料デブリ 見えてきた壁”を見た。NHKは2015年5月に”廃炉への道2015 核燃料デブリ 未知なる闘い”を放送していて、その後”廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断”、2016年11月に”調査報告膨らむコスト 誰がどう負担していくか”を放送している。「デブリ」とは原子炉の事故で、炉心が過熱し、溶融した核燃料や被覆管および原子炉構造物などが、冷えて固まったものである。福島第一原子力発電所事故は2011年3月に起きているので、今年でもう6年以上も経つのだが、やっと、本当にやっとデブリがちょっぴり見えた段階でしかない。国の計画では”2017年にデブリの処理方法を決定、2021年に取り出し開始、2051年までに終了”だと言うのだが、「バベルの塔」としか思えない。そもそも取り出した「デブリ」をどう処理するのかも決まっていないのに、取り出してどうしようと言うのか?青森県の六ヶ所村に移動する計画かも知れないが、それならば単に放射能廃棄物が国内を移動しただけである。


我々は、天まで届く「バベルの塔」を造る技術があると過信した聖書に登場する人間達を笑えまい、何故なら「原発」という「バベルの塔」以上の愚行をやってしまったのだから。「原発」が福島第一原発事故ほどの酷い事故も起こさず、順調に運用されていれば「原発」関係者も「天にも昇った気持ち」かも知れないが、事故が起きてしまった今となっては「穴があったら入りたい」位の慙愧と猛反省が必要だと思うのだが、相変わらず国も電力会社も一部の国民も「原発」を必死で再稼動させようとしている。「原発は 神をも恐れぬ バベルの塔」


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誰もが始めは新人だった [社会]

入学式や入社式のシーズンだが、誰もが始めは新人だった。それが、数年もすれば慣れてしまい新人の頃の緊張感が無くなる。それはそれで良い事なのだが「初心わするべからず」でもある。ベテランになれば新入社員をはがゆく感じて、つい説教も出てしまう。私が高校生の時に通学路で見た光景が忘れられない。それは新入社員が路上で初老の上司にくってかかっていた。営業の挨拶廻りか何かだったのだろう。その時のセリフが「僕のどこが生意気なんですか!」だったが、私は「そういう口の利き方も生意気なのが何故解らないのだろうか?」と可笑しくなってしまった。初老の上司は「こいつには何を言っても無駄だな」と考えているようで、苦笑いしているばかりだった。どちらが正しいのかは解らないけれど、新入社員は組織の一員になったのであり、会社には上下関係があるのだから、このセリフは頂けない。上司に納得出来ないならば、冷静に自分の非がどこにあるのか上司に聞けば良い。


もう一つの光景は私が勤めていた頃に電車内で見たのだが、スーツ姿の女性の上司が新入社員に「そこを直しなさい、と私は言ってるの!」と説教していた。「私の言ってる事が解る?」と言っても新入社員は黙ったままだった。彼は何故怒られているのか理解出来ていないのだろう。女性に説教されるのも不愉快そうな顔だった。私は「彼は会社を辞めてしまうのかなあ」と感じながら聞いていた。冒頭の生意気な新入社員の話しと同じで、言う方も言われた方も、感情的になってしまうと伝わるものも伝わらなくなってしまう。少なくとも、新入社員は先輩の苦言を素直に受け止めるべきではないのかな?と思う。苦言に対して自分の考えを述べ、上司の考えを聞く必要がある。それでも納得出来なければ、会社など辞めてしまえば良いのだから(おいおい)。


私は入社して3年後に会社説明会を数年間やらされた。50人ほど集まった入社希望の新卒者にどういう会社なのかを会社の会議室で説明するのだが、説明する前に私がお辞儀をすると会場の新卒者達もいっせいに頭を下げる。そして彼等が頭をあげた瞬間、顔に「私はこの会社にどうしても入りたい」という熱意がどれだけあるのかが出てしまう。もう、目を見ただけでどんな気持ちで説明会に来たのかが解ってしまい、入社試験や面接など不要ではないかと思ってしまった程だ。昔、娘がアルバイトを捜していた時に面接しては不合格の連続で落ち込んでいた。面接でどんな事を尋ねられ、それに対しどう応えたのか娘に聞くと普通だった。普通という事は誰でも良い訳で、娘でなければという理由が無い。なので前述の話しをして「嘘でも良いから、このアルバイトがどうしてもやりたいんです、という顔をして面接を受けたら?」とアドバイスした。明日は花屋のバイトの面接だと言うので「この季節はどんなお花が売れるんですか?ぐらい聞きなさい」と言ったら「そんな事を聞いて来たアルバイト志望者は君が初めてだって店長に言われた」と娘が後日話してくれた。娘はどうせ落ちると思いその後も別のバイトの面接を2,3受けたらしいのだがすべて合格したと話してくれた。「私が可愛いからかな?」と数日前の落ち込みが嘘だったかのように完全に立ち直ってしまった。「可愛さも 中ぐらいなり 我が娘」(小林一茶からの盗作)


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会社は社会の縮図 [社会]

〇〇は社会の縮図と良く言われる。この〇〇には、社会、学校、部活、チーム、組織と様々な言葉が当てはまるのだろう。中には家庭(?)なんてものもあったりして。私は最初に就職した会社に約20年いたのだが、その間に様々な人が入社して退社して行った。40人程度の小さな会社だったが、技術的には面白い試験機を作っていた。今日の自動車やビルが出来たのも、私の勤めていた会社が大きく貢献していたと今でも自負している。さて、この小さな会社だが営業、電気、機械、サービス、経理に別れており私は電気だった。入社した時にある伝説を聞いた。それは経理の若い女性が会社に不満を持ち社長に日頃の鬱憤をはらして退職しようとしたら、逆に社長から罵倒され失神してしまった、という伝説だった。伝説なので真偽は明らかではないが、何となく彼女の失神が解るような気がした。女子社員にしてみれば、一生に数回あるかないかの大決心での退職なのだ。かたや社長は不平や不満を言って来る社員や退職希望の社員の相手など日常茶飯事なので、修羅場をくぐった数では社員などに負ける訳が無い。驚いた事にその女性は社内結婚して寿退社した事になっており、真相はどちらなのかは彼女に訊いてみないと解らない。


社員の中で私が一番印象に残っているのは、約15年後にサービス部門に入って来た中途採用の30歳位の若者で、500万位のベンツをローンを組んで乗っていた。本人は「青山学院卒」だと言っていたが、私は彼の発言や仕事の処理能力等から疑っていた。彼が入社してから、会社で盗難が頻繁に起きるようになった。その当時は、給料は現金支給だったのでたまらない。給料日には大抵気の合った仲間と飲みに行くのだが、同じサービス部門の先輩が少々トロいので良くカモにされた。彼の給料袋を盗んでしまうのだ。本人は気が良いので仲間を疑う事はせず、落としてしまったと考える。泊りがけの出張などは、旅館で同じ部屋で寝る事もあり、財布から現金を盗むのは簡単だった。ある時、彼は出張先の共同浴場で盗みを働いた。盗まれた客が警察を呼び、全員が調べられ彼の財布にあった紙幣から指紋が検出され彼は逮捕されてしまった。学歴詐称と度々の窃盗で会社は彼を首にした。サービス部門の先輩は「彼はお金を落とした俺を良く慰めてくれ、酒も奢ってくれたけれど、盗まれた俺の金だったんだよなあ」とぼやいていて、どこまでも気の良い人だった。


最後は、痴漢をして二度捕まった社員で、私と同じ電気部門の後輩だった。私が会社を辞めてからの出来事で、結婚もしていたので「まさか」と思った。インターネットが会社でもようやく使えるようになった時代に、彼は自宅に帰り海外の有料ポルノサイトに会社のIDを使い利用していた。プロバイダからの請求が余りにも高いので、調べて見たら彼が白状した。その時は厳重注意で済んだのだが、その後中央線で痴漢で捕まったので退職されそうになったのだが、社長の温情で免れた。懲りずに又痴漢で捕まってしまい「犯罪者を会社にはおけない」事になり首になったというから、懲りない男である。会社には様々な社員がいて、配属された部署で仕事もそこそこにこなしている。ある意味会社の組織はロールプレイングゲームに似ていて、会社では自分の与えられた役を演じている訳で、社長は社長の役を演じ、家庭に帰れば良きお父さんだったり、お爺さんなのだろう。社員も同じで、仕事が終わればその役から開放されると考えた方がより楽しく働ける。言いたいのは、会社に長く勤める事になるのだから四六時中会社の事ばかり考えていても長続きしない、退社したら個人に戻りその時間を大切にしよう、という私のアドバイスなのだが、今はもうそんな時代ではなくて、自分が一番で会社など二の次の時代なのだろう。「無礼講 会社に戻れば 無礼者」(ネットから借用)



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「タメぐちネエチャン」というあだ名の新入社員 [社会]

今年も街で新入社員らしきスーツ姿の若い男女を見かける季節になった。彼等を見ていると思い出すのが、数十年前に私が勤めていた会社に入社して来た短大卒の女性。この女性についたあだ名が「タメぐちネエチャン」、勿論本人は知らない。何故、こんなあだ名がついてしまったのかというと、会社の近くに私が卒業した大学の寮があり私もお世話になった。会社で人手が足りなくなりアルバイトを3名程募集する事になった。私は大学寮にアルバイトの学生を紹介してくれるシステムがあるのを知っており、私自身もアルバイトをした経験がある。3人の学生が寮からやって来て、私の後輩になるので即採用した。学科と学年を聞くと3人ばらばらで、3人とも2~3回留年しているつわもの揃いだった。なので、彼等の年齢は21~24歳ぐらいだ。この学生達に短大を卒業したばかりの彼女が「タメぐちで良いわよ」と言ったそうだ。彼女は20歳で、相手は学生なのだから同い歳と思ったのだろう。この言い方に学生3人はカチンと来たらしい。後でこの話を学生達に聞いているうちに、彼女のあだ名はすんなりと「タメぐちネエチャン」に決まった。常に学生達に対して上から目線で物を言うので、彼女の評判はすこぶる悪かった。


彼女は営業所属だったが、狭い会社なので私の席と彼女の席はあまり離れていない。ある日電話がかかって来て彼女が電話に出た。会話の内容が嫌でも耳に入り「〇〇さんはあいにく出かけております」と応えていた。彼女が電話を切ったので「自分の会社の社員に、さんを付けるのはおかしいよ。今度から呼び捨てにして下さい。相手にも笑われるし」とやんわりと注意したつもりだったが、彼女は〇〇君が好きだったらしく、それも手伝ってか「どうしてそういう事を言うんですか!」と泣きながら抗議して来た。もう冷静を失っているので、これ以上言っても無駄だと思い忠告する事を止め「貴方の上司から言って貰いますよ」と切り上げた。上司に事の顛末を話したのだが、上司が注意する事はなかった。上司も彼女に泣かれると直感したのだろう。


お客様を車で現場に案内しなくてはならない事があり、彼女と上司と社長とお客様の4人で車で現場に向かい、帰りはお客様の都合の良い都内の駅で降りて頂く予定になっていたのだが、帰りの道路が混んでおり予定時間よりかなり遅くなってしまった。駅についたら3人がお客様にご挨拶をして見送るのが常識なのだが、何と彼女は挨拶もせずに真っ先に車を降りて足早に駅に急いだと社長から聞いた。多分だが、デートか何かだったのだろう。「せっかく、お客様が上機嫌でお帰り頂ける筈だったのに、彼女のお陰で最後の最後に滅茶苦茶になってしまった」と社長は憤慨していた。こういった常識を逸脱した行動が幾ら注意しても直らないので、社長の我慢の限界を超えてしまい「タメぐちネエチャン」はあえなく首になってしまった。その後の彼女の消息は知らない、幸せであってくれれば良いけれど無理かな?「社長にも タメぐちきいて 首になり」


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高浜原発再稼動は時代の流れに逆行している [社会]

「朝日新聞デジタル」から引用させて頂く。”関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)について、大阪高裁(山下郁夫裁判長)は28日、大津地裁が出した運転差し止め仮処分決定を取り消し、運転再開を求めて保全抗告していた関電側の訴えを認めた。「安全性が欠如しているとはいえない」と判断した。この決定を受け、関電は運転停止中の高浜3、4号機の再稼働に向けた準備を進める。この日の決定は、国が東京電力福島第一原発事故の後に定めた新規制基準について「現在の科学技術水準を踏まえた合理的なもの」と評価した。そのうえで、原発の安全性の立証責任について「安全審査に関する資料をすべて保有する関電がすべきだ」と指摘。関電の安全対策は新基準に適合していると評価したが、住民側には「新基準自体に合理性がないことを立証する必要がある」と求めた。”私が一番首をかしげたのは、住民側に新基準自体に合理性がないことを立証する必要がある、と求めた点で「どうして立証する必要があるのか?」と不思議で仕方がない。そもそも「新基準自体の合理性の有無」などどうでも良い話しなのだ。私には高裁が住民にいちゃもんをつけたとしか思えない。


国民は東京電力福島第一原発事故で、原発事故の恐ろしさを知った。その事故の処理さえままならない状態が今も続いていて、事故の全貌もいまだに明らかになっていない。地元住民の生活はずたずたにされ、地元に戻る事も許されない。避難先の学校ではいじめまで起きており、福島県の風評被害はとどまる事を知らない。この事故を教訓に原子力規制委員会は2013年7月に新基準を施行した。主な内容は「炉心溶融や原子炉格納容器の破損といった重大事故の対策義務」「設備が壊れても原子炉を冷やせるよう多層の冷却手段や電源の設置」「想定する地震の規模や津波の高さの引き上げ」なのだが、逆に「これらを守れば稼動しても良い」になってしまった。この新基準を守れば原発事故は防げると考えているのだろうか?もし、この新基準で福島原発が造られていたならば事故は防げたとでも言うのだろうか?想定外の出来事には合理性などという曖昧な言葉など吹き飛んでしまうのに。


高浜では今年の1月20日夜、2号機そばに待機させていた大型クレーンの根元で支える部材が変形し、上方に伸ばしていた全長約113メートルのアームが倒れ、使用済み核燃料を保管する燃料取り扱い建屋と原子炉補助建屋の一部を壊す事故が起きている。暴風警報が出ていたにも拘わらず、請負会社は暴風警報を知らず、把握していた関電も警報が出ていることを知らせなかった。風速30メートル以上が予想される場合は事前にアームをたたんで地上に下ろすことになっていたのだが、請負会社は作業を終えた午後4時半ごろ、瞬間風速が7メートルだったためアームは伸ばしたままにしていたという。関電の調査では当時、周辺で瞬間風速40メートル以上の強風が吹いていたとみられる。原発という特殊な場所であるのだから、クレーンも夜間は必ずたたむとか風速30メートルを超えたら自動的にアームをたたむような「合理的」な設計になっていれば、こんな事故も起こらなかった筈。高浜原発は北朝鮮に近い場所にあるので、一発のミサイルが飛んでくれば「合理性」など吹き飛んでしまう。もっとも北朝鮮は指導者が「合理的」考えの持ち主なので、有り得ない事と願うしかない。もし狙われるとしたら、霞ヶ関か大阪高等裁判所だろう。何だか、裁判所のランク(?)が上がるにつれ国よりの判決になっている様な気がしてならない。「原発は 不合理不条理で 出来ている」


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契約書と実印の重さ [社会]

昔、我が家を購入する際に銀行で住宅ローンを組んだ。担当者から渡された書類に目を通して実印を押す。その中に何通もの契約書があったが、ろくに読みもしなかった、というより読む気が失せた。何故ならば、字が小さい上に数ページもあるからで、全部読んで考えていたら時間が幾らあっても足りないし、形式的な内容が書いてあるに過ぎない、と考えたからである。適当に流し読みして押印していると、担当者が「外国人の方は長時間かけて、全部にじっくり目を通すんですよね」と苦笑した。そして「普通のハンコには天と判る印が付いているのに、何故実印には無いのか御存知ですか?」と訊かれたので「さあ?」と応えると「上下を確認する為に実印を眺めている間に、本当に押してしまって良いのだろうか?と考える為なんですよね」と言った。後から調べてみたら、ハンコ屋の手抜きでしかないという説もあったけれど、私には担当者の言う事の方が正しいように思えた。


さて契約書だが、日常生活に沢山登場する。カードを作ったり、保険に入ったり、会員になった時などに契約書かそれに準ずる書類が付いてくる。どれもが小さな字で印刷してあり、数ページにも及ぶので全てに目を通す人など滅多にいまい。まるで、読みづらくして読む気を無くさせているようにさえ思える。読んでも、常識的な事しか書いてなさそうなのだが、よくよく読んでみると契約を結ばせる側に有利な事項も少なくなくて、後から「何々だと思っていた」「そんな筈ではなかった」と悔やむ事が多い。私が印象にあるのは、地震で起きた火災は火災保険が適用されないという事で、地震も保険の対象にしたいならば地震特約を結ばねばならない。勿論、契約書のどこか(?)に書いてあるのだろう。大震災の多い昨今であるから、災害保険に入ろうと考えておられる方は真っ先にこの点が気になると思う。それでも、昔はこの事を曖昧にしていたように思う。火災保険に限らず、医療保険でも「えっ!どうして保険がおりないの?」と思われた経験をお持ちの方は多いのではなかろうか?契約書を隅から隅まで読まない方が悪いのだが、あえて法律の専門用語を多用して解釈を難しくしている気がする。


今、話題になっているのがAV出演を強要されても断れない契約を結んでしまった若い女性達だ。彼女らが契約書の持つ重要な意味を理解していれば良いのだが、学校で教わる事はまず無いだろう。幸福な人生を歩む為にも契約の知識は必須なのだが、社会に学校教育が追いついていないのだ。未成年者の場合は親の同意なしに契約しても有効だが、後から親が取り消す事が出来る。けれど親が知る事はまず有るまい。未成年の若い女性がスカウト等でのモデルとか女優という言葉に騙され、大人の悪巧みに簡単に引っかかってしまうのを防ぐ為にも、契約とは何か?を早急に教えるべきだと思うし、それ以前に「自分を大切にする」事を身近な大人が折に触れ教えるべきではなかろうか?若いのだから夢があるのは当然なのだが「世の中は 貴女が思う程 甘くない」


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嘘が嘘を呼び 嘘で固まる籠池理事長 [社会]

経歴詐称まで明らかになった籠池理事長だが、これまでの森友学園の経緯を振り返ってみると、あまりの嘘の多さに呆れてしまう。私など、本人も何が真実なのか解らなくなってしまっているのではないかと思ってしまう程、彼は場当たり的な嘘が多いので、結果としてますます嘘が嘘を呼んでしまっている。今回バレた経歴詐称の嘘も「アルバイトが『自治省に出張したことがある』と聞いたのを『自治省から出向』と間違えたのではないか」と説明している。大阪府私学審議会に提出する書類に書く経歴である。百歩譲ってアルバイトが間違えたとしても、自分で書類に目を通し誤りを訂正する責任がある。こういう風にすぐバレる嘘を平気でついているのも許しがたいし、アルバイトのせいにするのも言語道断だ。政治家、官僚、役人ばかりでなく、民間にもこういう人間が生きているのだなあと感心さえしてしまう。


土地と幼稚園ばかり話題になっているのだが、この人が目指しているのは小学校の開校で、言わば今以上に教育者になろうとしている訳なのだが、とても教育者に相応しいとは思えない。私は籠池理事長を”幼稚園で折角教育した子供達が、公立等の小学校に行ってしまって再教育されるのが残念なので、自分で学校を持ちたいと考えている”と理解している。なので、どのような小学校を目指しているのか?を「瑞穂の國記念小學院」のHPで調べて見た。まず「キャッチフレーズ」だが”日本で初めてで唯一の神道の小学校です。”とある。「教育理念」には”先人から伝承された日本人としての礼節を尊び、それに裏打ちされた愛国心と誇りを育て、すべての子供が持っているたくましい生命力と包容力を指導者が明るい表情と態度と言葉で引き伸ばしていく教育を誠実に心を込めて実践しています。子供と父母共に人間力が高まります。”とあった。そして「あえて出る杭となれ!」というメッセージと共に”強い心と体、感性の心、体、技、知を育てる教育。自分の未来に誇りと自信を持つ教育。本物に触れ真の価値観を知る教育”と書かれていた。そして「教育の要」として明治時代に発表された教育勅語が原文で載っていた。


調べてみたら、確かに神道の小学校は日本には無くて、あるのは伊勢の皇學館大学と東京の國學院大學で、それぞれに付属の中学校、高等学校があり神職階位を取れる。神道の教育をうたった浪速中学、高等学校などもあるのだが、小学校は見当たらなかった。私は神道の小学校が無い事に、逆に安堵してしまった。何故なら、疑う事を知らない純真な子供にまず教えなければならない事は、子供が理解出来る必要があるからだ。ところが「朕惟フニ..」で始まる「教育勅語」はその対極にあり、大人でも理解どころか読めない人が大半であろう。子供にまず教えるべき基本の一つが「嘘をついてはいけません!」ではあるまいか?そして嘘をついたらどうなるか?も教えるべきである。もしかすると、籠池理事長は非常に熱心な教育者であるから、我が身を挺してそれを子供達に教えようとしているのだろうか?彼の「あえて出る杭になれ!」の教えは、自分を出る杭だと考えているのだろうが、腐った杭では社会に何の役にも立たないし、無い方がまだましである。もしかすると「出すぎた杭は打たれない」と考えていたのかも知れないが、今めった打ちにあっている。もう少し時間が経てば「出すぎた杭 打たれはしないが 抜かれてゴミに」。


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山田が幻のホームラン?少年をSNSで晒すのは許されない [社会]

7日に行われたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本対キューバ戦をTVで観ていたら、山田が打ったホームラン性の打球をを左翼席外野席のフェンス最前列にいた少年がグラブで打球を捕球してしまい、審判がビデオでリプレー検証して結局二塁打になってしまった。少年は捕球した時は満面の笑顔だったのだが、二塁打になってしまったので、その後は上着で顔を隠して涙目で試合を観ていたという。私には少年はまだ小中学生に見えたので、野球のルールを知らなくても無理もないと思う。罰も退場では無くて、警備員に注意された程度だったらしいので安心した。そして試合も日本が大差で勝利したので、少年も救われたのではあるまいか?打った山田も”「これも野球なんで。ウェートトレーニングをして(パワーをつけて)、次はちゃんと打ちたい」と試合後は明るい表情で振り返っている”ので本当に良かったなあと思う。日本チームはこの少年を助けようと必死で戦ったのではあるまいか?


私が問題にしたいのは、ネット上にこの場面の動画がツイッター等のSNSにアップされてしまった事にある。ネットで調べてみたら、友達か知人かは判らないけれど”「やばwwナイスキャッチ笑笑」というツイートとともに少年がにこやかな顔で撮影に応じた画像がアップされていた。しかし山田選手のホームランが幻となってしまいネット上では大バッシングを受ける。するとツイート主はツイートを削除し、アカウントに鍵をかけてしまったようである。名前まで知られてしまった。”という記事があった。少年に無関係の人も動画をアップしており、その人達は試合に勝ったのだから珍場面として流しても良いだろうと考えているのかも知れない。しかし、私は勝ち負けに関係なくこの少年の将来に与える影響は大きいだろうなと思う。動画をアップした人は少年に対してそこまで考えているのだろうか?そもそも本人の同意も得ずに動画や写真、名前までアップするのは犯罪である。拡散してしまった動画を全て消すことなど不可能なのだ。自分の軽はずみな行動がどんな結果になるのか?が理解出来ているならば、こんな行為はすまい。自分がネットに晒された立場になって考えれば、すぐ愚かな行為だと理解出来ると思うのだが、私はSNSはそういう想像力が無い人達が多い現実に恐怖を感じる。


もう数十年前にもなるが、私は地震関係の仕事をしており、有名な地震が起きた時の街の様子を写したニュース映像をNHKから何本か購入した。肖像権など気にもしなかったおおらかな時代だったので、恐怖に怯える街の人の顔が生々しかった。ところが、NHKはある時から販売しなくなったのだが、当たり前である。販売する為にはニュースの映像に写っている全ての人に承諾を得なければならないからだ。顔にモザイクをかければ良いのかも知れないが、地震の恐ろしさを伝えるのに人の表情は極めて重要なので、NHKは肖像権の手間とモザイクがかかった映像など売れまいと考えたのかも知れない。仕方が無いので、NHKのニュースを無断で仕事に使ってしまった事もあったが、バレたら違法で罰金である。これはニュースに限らずTV番組すべてにあてはまり、勿論NHKに限った事では無い。ネットにTVの動画をアップしている人も、自分の行為が著作権違反である事を、十分承知しているのだろう。違法と知りながら、その人の人生も狂わせてしまうかも知れない動画を軽率にアップする昨今だが、SNSはもっと有益な事に使われなくてはならない筈である。何故ならSNSの最初のSはSocial(社会的、社交的)なのだから。例えば「SNS つぶやいている人からの SOS」と発信者の社会問題提起と考えれば役に立ちそうだ。


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