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0.1円パチンコと130万円瑞風 [社会]

二つを並べて見て、同じ日本のレジャーだとはとても思えない程の金額差に思わず笑ってしまった。1玉が0.1円のパチンコに対しJR西日本の「トワイライトエクスプレス瑞風(みずかぜ)」の最上級スイート1名1室3泊4日コースの料金は130万円である。私は1円パチンコがあるのは以前から知っており、数年前に十回程度行った事があるけれど、今では0.1円パチンコや1円スロットもあるとは知らなかった。10年以上程前から急速に拡がった低玉貸し営業の最終形だという。交換率はお店によって異なるが、0.5のお店が多くて1玉50銭程度なので、2000発でも100円程度にしかならない。普通のパチンコファン(?)の間では「時間の無駄」「恥ずかしくて、やっている姿を見られたくない」「パチンコ業界の闇」などと辛辣な声があがっている。私が1円パチンコをやって見ようかな?と思ったのは、パチンコ台が懐かしかったから。今のようにディスプレイでフィーバーを派手な演出で見せる機能などが無い、チューリップだけの素朴なパチンコ台が並んでいて、私が浪人や大学生、そして勤め始めてからの時代にはまったパチンコ台が置いてあったので懐かしかった。1円パチンコが楽しめるお店の狙いの一つが「最新式でなくても、昔のパチンコ台で遊んで貰えるので台の購入費がかからない、古いので安く買える」からだそうで、もう一つは「4円パチンコで遊んでいる人が優越感を持てるから」だという。1円だろうが4円だろうが、パチンコ自体が貧乏臭いギャンブルなので、私にはその感覚が理解出来ないし、万単位で注ぎ込んで台のガラスを叩いて八つ当たりしている方が余程恥ずかしいと思うのだが。0.1円パチンコは年金暮らしの老人の時間潰しにもなるし、なによりも社交場でもある事が人気なのだろう。


年金暮らしの老人の暇潰しのもう一つが「ゲームセンターのメタルゲーム」で、昔は若者のたまり場だったのだが、今では平日は老人達にとって代わられている。私も先日娘と孫が遊びに来たので、近くのゲームセンターに行きメタルゲームコーナーにいる老人の多さに驚いた。店の隅では90歳のお婆さんが初老の男をかつあげしていた(嘘です、モンティ・パイソンにそんなコントがあったのを思い出してしまったので)。先日「フルタチさん」というTV番組で、老人が今の若者に苦言を呈する企画があり、メタルコーナーにいたお婆さんが「孫がパチプロで情け無い」と嘆いておられ、「ご主人は?」とレポーターが尋ねると「隣で遊んでる」と答え、少し離れて遊んでいる夫を紹介していた。「夫婦揃ってギャンブル(?)好きなので、家系ですね」とレポーターが笑っていたけれど、「メタルゲームは頭を使うのでボケ防止になる」との理由で通っておいでで、やはりここも老人の社交場になっている。ちょっぴり恥ずかしいかな?と思う事も「ボケ防止」と言う錦の御旗があれば何でも出来るし、確かに麻雀、パチンコ、コインゲーム等は医学的にも「ボケ防止」に良いらしい。確かにボケてしまったら、パチンコやコインゲームなどに興味はあるまい。


パチンコやコインゲーム位なら、さほどお金がかからないレジャーなので、私でも遊べるが、最近TVで盛んに紹介されているJR西日本の瑞風は料金が高過ぎて無理。TVや新聞で取り上げられる度に「一体、どんな人が乗るのだろう?」と不思議で仕方が無い。「こんなに高い料金で、利用客がいるのだろうか?」という貧乏な私の思惑とは裏腹に大人気で、6月21日運行開始のスイートの予約抽選倍率は68倍、9月出発分まででも平均5.5倍だった。多分だが、お客様はお金持ちの老夫婦、新婚旅行、乗り鉄の方々で、0.1円パチンコやコインゲームなどに興味はあるまいと思うし、逆もまたしかりではあるまいか?そして、今の日本にはどちらにも興味が無いどころか「そんな余裕など無いし、そんな時間も無い!」方々が大勢おいでなのだと思う。「人生は 金ではないと 負け惜しみ」


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よっ!身売り新聞 [社会]

”読売新聞が、前川喜平前文科次官の出会い系バー通いの報道に関して、「不公正な報道であるかのような批判が出ている」が、「こうした批判は全く当たらない」と、社会部長名で、2017年6月3日付朝刊で主張した。教育行政のトップである人物が、「違法行為が疑われるような店」に出入りすることは不適切であり、「公共の関心事であり、公益目的にかなう」と説明し、「これからも政権・行政の監視と言う報道機関の役割を果たしていく」としている。読売新聞のこの主張に対して、ネットでは批判が相次いでいる。安倍政権が加計学園の獣医学部新設に関与した疑惑への追及をそらすため、読売新聞を通して前川氏のプライベートの行動を利用した、と見る向きが強い。また、朝日新聞記者の上丸洋一氏は、自身のツイッターで、報道すべきポイントは前川氏の行動ではなく、政府の公平性についてではないか、と見解をつづった。”ネット「Livedoor'NEWS」から引用させて頂いたが、ここまで露骨に安倍政権の御用達新聞に成り下がった読売新聞に、最大の皮肉を込めて記事タイトルを付けさせて頂いた。


前川氏の出会い系バー通いの目的は、菅官房長官や読売新聞等の「下種の勘繰り」とは違い「足長おじさん」的な行為だったという週刊誌の記事もある。だが、それ以前に前川氏がプライベートの時間に何をしようが、法を犯さない限り彼の勝手であるし、ましてや「公人」ではない。それを言うなら安倍明恵夫人が、公務員を私用で使っている方が余程問題である筈だ。言うまでもないが前川氏に対する「印象操作」そのもので、「彼の言う事など、出鱈目だ」と思わせようと、読売新聞までもが必死になっていて、もはや滑稽でしかない。そして、この読売新聞の記事に対して、批判が殺到しており、読売新聞社内でもこの記事を嘆いている記者もいるし、購読者にも不買運動が広まりそうな勢いである。こういった裏工作が何の功も奏さずに、返って逆効果になってしまったので、一転して急遽9日に再調査する事を発表したのだが、あまりにも醜い。その再調査も調査結果が何時迄に発表されるのかも明言されていないので、単なる時間の引き延ばしだろう。その気になれば、メールのチェックなど30分もあれば出来るのだから。


それにしても、読売新聞には新聞社としての矜持が無い。2016年下半期の販売部数は朝刊が約895万部、夕刊が約270万部で世界最多であり、題号は江戸時代に瓦版を読みながら売っていた「読売」に由来する140年の歴史を持つ。その日本の3大新聞の一紙が「政府広報新聞」になってしまった。いっそ共産党の機関紙「しんぶん赤旗」のように、与党に身売りする機関紙「醜聞与身売り」とでも名前を変えたら、安倍政権の支持率は高いので、もっと購読者も増えるのではあるまいか?と思ったら、最近の調査では支持率はどの機関の調査でも10%程度急落しているので、あまり期待出来そうもない。読売新聞の情けなさついでにもう一つ、”読売の記者が前川氏に、そうした文書があると明かすのは「守秘義務違反では?」と質問した。会見に出席した与良正男毎日新聞専門編集委員が、「本来、守秘義務との壁と戦う記者の側からそうした質問をしたというのは驚きましたし、ジャーナリズムの危機だと思います。読売は官邸からのリークだと疑われることを覚悟した上でルビコン川を渡ったのでしょう”。「ルビコン川を渡る」とは”もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こすこと”の意味だが、読売新聞にその自覚と覚悟はあるのだろうか?株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄氏、通称ナベツネは今年で91歳の高齢、なので先日の巨人の13連敗がお体にさわりませんように。「ナベツネの 寿命を巨人が 短くし」


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想定外 放射能内部被爆 巨人13連敗 大トラ救急車7台 [社会]

「想定外」は魔法の言葉である。良し悪しに関係無く、どんな出来事も「想定外」と言い張れば、ある程度の格好がつく。「不可抗力」に似ているが、全然違う。地震などの自然災害は「不可抗力」だが、自然災害で起きた事故を「想定外」と逃げるのは卑怯だ。ましてや、自然災害などに起因しない事故を「想定外」と言うのは、想像力の欠如の結果ではあるまいか?人間は神では無いので、完全に事故を防ぐ事など不可能だ。しかし、「人間とは不完全な生き物」という謙虚さがあれば、様々に思いを巡らし「想定外」も「想定内」になり、事故を未然に防ぐ事も可能であろう。昔、私がプログラムを組んでいた時に、同僚が「プログラムにはバグが付き物」と言って、自分のプログラムにバグが出ても平気だった。私は「プログラムにはバグが付き物で無くす事は出来ないが、少なくする事は出来る」と考えた。自画自賛で恐縮だが「バグは恥」だと考えていたので、彼よりも優れたプログラマーだったと思う。


茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで起きた、国内最悪の作業員5人の内部被爆事故だが、「この作業でビニールが破れるとは想定していなかった」と説明した。どの位の強度を持ったビニールなのかは解らないが、ビニール袋が破裂した原因も分かっていない。被爆のリスクが恐れがある場合には、通常全面マスクをつけるべきなのだが、口や鼻だけを覆う半面マスクを着用していたという。開発機構も作業員も「想定外」の出来事だったのだろうが、この事故の教訓が今後生かされるとは思えない。今までにも「想定外」の事故が度々起きたが、その教訓が生かされない事など国民は「想定内」なのだ。相変わらずの開発機構、今後もその体質が変わる事もあるまい。


明るい話題に変えると、「巨人の13連敗」(巨人ファンは怒るだろうな)だが「想定外」だろうか?巨人ファンはそうかも知れないが、私には十分「想定内」だった。だって、長年若手を育てようとしないで、金の力で戦力を補強して来た結果なのだ。一軍に上がる事を夢見て二軍で頑張っている若手が気の毒で仕方がない。チャンスさえ与えて貰えないのだから。FAで森福(30)、陽(30)、山口(29)を獲得するなど、30億円以上の大金をつぎ込んだ結果がこれである。もう、いい加減に金で選手を引っ張って来るのは止めたらどうか?「想定外」の働きしかしないのだし、二軍にも「想定外」の活躍をする選手が沢山いるのだから。一方の(?)阪神だが、今の所はセ・リーグ2位で、これも「想定外」で、そろそろ「想定内」の順位に落ち着くのではなかろうか?私は騙されない。新聞記事に”京セラドーム「大トラ」続出、救急車7台”の見出しがあった。原因は飲み放題のチケットで急性アルコール中毒患者が続出したからだ。この日はオリックスとの対戦で11-4で勝利した。勝つだけでも「想定外」なのに、11点もの大量得点は正に「想定外」で、飲み過ぎで救急車に運ばれてしまった人も、車内で「想定外だった!」と悔やんでいるだろう(そんな阪神ファンなどいないか!)。「想定外 その言い訳は 想定内」


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大人気ないビシュティ、錦織、トランプ [社会]

「世界卓球選手権」で張本智和の4回戦を観ていたが、相手のリュボミール・ビシュティ(スロバキア)が不愉快だった。勝負に年齢は無関係なのだが、相手が13歳なので心理的な作戦(?)と言えば聞こえが良いが「そこまでして勝ちたいか?」のスポーツ選手の誇りなど微塵も無い揺さぶりだった。「わざと主審に注意されるようなフォームでサーブを打ち、責任者まで呼んで時間をかけた」「必要以上の間合いをとった」「レシーブで声を出す張本の癖にいちゃもんをつけた」「張本がレシーブの構えをする前にサーブした」等々。様々な努力(?)も虚しく、結果としては張本が4-1で圧勝した。張本も心の中では「ふざけるな!」と思ったというが、相手に抗議するでもなく自分の卓球を貫き通しての勝利だったので、つくづく立派な13歳だと思う。日本代表でもあるので、日本人の評価も上がったのではあるまいか?相手のリュボミールはスロバキア人、世界中の人にスロバキア人にもこんな奴もいる事を見られてしまった。彼は帰国後は暫く家に籠もっているしかあるまい、と思いたいがそんな神経の持ち主ではない。


ところがその試合後に放映された「全仏オープン」の3回戦、錦織が自分に苛立ってラケットを地面に投げつけ壊してしまった。幸い「恵みの雨」でリードした状態で試合は延期になったけれど、雨が降らなければ結果はどうなっていたのか解らない。私はラケットが余りにも簡単に壊れてしまった事に驚いた。ガットが強烈に張ってあるのからかも知れないが、フレームを真っ二つにする程の力も凄い、けれどもラケットに八つ当たりしても仕方あるまいし、観ている方が不愉快になってしまう。ネットでも「嫌い、態度悪い、生意気」と大ブーイングが起きている。彼は2015年のメキシコ・オープン決勝戦でもラケットをコートに放り投げて問題になっていて、結果は準優勝に終わっている。彼に憧れてテニスを始めた子供達も多いので、観ていてがっかりしたと思う。2015年の二の舞を踏まねば良いがと思ったが、幸いにして再開戦で冷静さを取り戻し辛勝出来たので、ホッとした。彼のお陰で世界の様々なビッグタイトルの試合をTVで観る事が出来ているので、長く活躍し、今まで以上に愛される選手になって貰いたいので、あえて苦言を呈させて頂く。


トランプ氏の「パリ協定離脱」は「大人げない」どころか、彼の発想の幼稚さが気になる。「地球温暖化は金のかかるでっちあげ」で「米国民を守る重大な義務を果たすために離脱する」と言うのだが、彼の判断基準は何時も「金」と「支持者」でしかない。彼の支持層である「ラストベルトの労働者」を守っても、肝心の地球が無くなってしまっては元も子もあるまい。支持者との公約を守ろうとするのは、どこかの国の総理と違って立派だが、大統領となった今考えるべき事は一部の支持者の生活では無くて、米国民の幸福、そしてそれ以上に全世界の環境ではあるまいか?その為には健全な地球が不可欠だし、大統領たる者の使命なのだ。幸い(?)米国にも「大人」がいて、政権内部にもこの離脱には反対派が多く、長女・イバンカ大統領補佐官やクシュナー大統領上級顧問、ティラーソン国務長官も離脱反対派である。経済界からも石炭関連企業、電気自動車メーカー、ゴールドマン・サックス・グループ、ゼネラル・エレクトリック等のCEOも離脱反対を表明している。ルールで離脱が完了するのは4年後の2020年11月4日で、次期大統領選の翌日となる。もしかすると、私がトランプを「大人げない、幼稚な発想しか出来ない大統領」と申し上げたのは間違いかも知れない。何故なら彼は一期で終わってしまう事を熟慮した上での結論だったのだから。「温暖化? 落ちた俺には 関係ねえ!」


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10代の活躍はスポーツだけではない [社会]

今「世界卓球選手権大会」がドイツ・デュッセルドルフで行われており、私はTVの前に釘付け状態である。TV東京が同時に「テニス全仏オープン」も放映しているので尚更、中継が長くなり就寝するのも午前0時を過ぎてしまう事も多い。これも、日本人の活躍が多いからで嬉しい悲鳴ではある。4日は張本智和(13)と昨年のオリンピック銅メダリストの水谷隼(28)との日本人同士の対戦が行われた。私は「張本はどこまで水谷に食い下がれるか?」と思って観ていたのだが、食い下がるどころか4-1で勝利したので驚いてしまった。恐るべき13歳である。女子の平野美宇(17)も凄かった。世界ランク4位のフォン・ティエンウェイ(シンガポール)を相手に4-0の完勝で、日本女子シングルス48年ぶりのメダルを確定させ準決勝に進出した。準決勝の相手は丁寧(世界ランク1位)か石川佳純(24歳・世界ランク5位)の勝者なのだが、石川は1-4で負けてしまった。平野が2017年のアジア選手権で丁寧を破って優勝しているので、もしかすると石川も勝てるかも、と思って観ていたのだが残念だった。伊藤美誠(17)・早田ひな(17)の女子ダブルスも香港にストレート勝ちで16年ぶりのメダルを確定させた。男子ダブルスも丹羽・吉村ペア、森薗・大島ペアも準決勝進出して46年ぶりのメダル確定で、こんなに日本が活躍した年は今まで無かった。


スポーツ以外でも若者の活躍が凄い。毎日新聞から引用させて頂くと”将棋の藤井聡太四段(14)は2日、大阪市福島区の関西将棋会館であった棋王戦予選決勝で澤田真吾六段(25)に千日手指し直しの末、155手で勝ち、デビュー戦以来の公式戦連勝記録を20に更新した。全体の連勝記録では、引退した有吉道夫九段(81)と並ぶ6位タイ。先月の竜王戦に続き、渡辺明棋王(33)への挑戦者を決める決勝トーナメント(本戦)に最年少で進んだ。”将棋はスポーツと違い、体力はそれ程必要とされないのかもしれないが、逆に気力や知力そして勘や経験が問われる思うのだが、14歳にしてもう全てが備わっていると思うと、末恐ろしい。


長々とスポーツや将棋で中学生、高校生の活躍を紹介したが、私が一番紹介したかったのは、今朝の毎日新聞の投稿欄に載った14歳の女子中学生の「私が天皇について思うこと」で抜粋引用させて頂く。”先日、社会の授業で天皇の位置づけについて学んだ。最近「退位」という言葉をよく聞くが、何が問題で議論になっているのか。世界に目を向けると、国王の退位はそこまで珍しいものではなく、さらに日本でも明治以前はかなり多くの天皇が退位してきた。明治になって憲法が制定されるとできなくなった。国民の象徴となった天皇は権力について心配する必要はないのではないか。私たちが天皇に国民の象徴という大きな存在であることを求める一方で、憲法に規定されている国事行為は多く、さらに天皇はそれらを拒否できない。一般の人はすでに現役を引退している年齢でありながら、天皇は超多忙で亡くなるまで退位できない。今の憲法は、天皇に大きなことを求めながらも重い制限で縛っている状態である。これらを受け、これから先の制度も見直す必要があると思う。”。6月1日「退位特例法案」が衆院議員運営委員会で可決されたが、私はこの法案に天皇陛下が2016年8月8日に発表された「お気持ち」が盛り込まれているとは思えない。天皇は自分だけではなく、将来を見据えて発言されたのだが「特例」にされてしまったからで、投稿した女子中学生の方が「お気持ち」を良く理解している。理解出来ている訳は彼女が「純粋で、しがらみ、打算、保身も無いので自由に発想できる」からだろう。スポーツや将棋に限らず、今10代が大活躍しているのはそういう理由なのだと思う。「誰にでも 10代があったのに 忘れてる」


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ノーベル賞より価値がある?イグ・ノーベル賞 [社会]

朝日新聞に「バナナの皮がすべりやすいナゾを解き、2014年にイグ・ノーベル物理学賞を受賞した北里大名誉教授の馬渕清資氏(66)」が「輝く人」として登場していた。このイグ・ノーベル賞だが、名前の由来を調べたら”「noble」に否定を表す接頭辞的「ig」を加えた造語”という説と”ノーベル賞に対するアンチテーゼではなく「ignoble(卑しい、下劣な)」という意味の単語がノーベル賞の「noble(ノーベル)」と極めて似ていたことから名付けられた賞”と二つの説があった。朝日新聞の表記から、前者が正しいような気がするが、どちらでも「まあ、いいか」。御存知のように、この賞は「人を笑わせ、考えさせた研究に贈られるのだが、過去に贈られた賞を見てみると結構唸ってしまうものが多かった。ちなみに公式のパンフレットにはノーベルの親戚と疑わない 「Ignatius Nobel(イグネイシアス・ノーベル)」という人物の遺産で運営されているという説明も書かれているが、ノーベル賞にちなんだジョークである。受賞者は授賞式でスピーチをしなければならないのだが、制限時間は60秒しかない。ダラダラとスピーチをしていると、ぬいぐるみを抱えた進行役の少女たちが現れ、「Please stop. I’m bored.(もうやめて、私は退屈なの)」と言われてしまうのだが、この少女に贈り物で買収してスピーチを続ける事が出きる場合もあるのだが、買収が効かず贈り物だけ持ち去られる事もある。こういう徹底したユーモアのセンスもこの賞の価値を高めているのではなかろうか?


日本人が受賞したものから、面白いものだけを紹介すると”1992年医学賞「足の匂いの原因となる化学物質の特定」神田不二宏氏”、”1995年心理学賞「ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させることに成功した」渡辺茂氏”、”1997年経済学賞「たまごっち」真坂亜紀氏”、”1999年化学賞「夫のパンツに吹きかけることで浮気を発見できるスプレー『Sチェック』を開発した功績」牧野武氏”、”2002年平和賞「犬語翻訳機『バウリンガル』の開発によって、ヒトとイヌに平和と調和をもたらした業績」小暮規夫氏”、”2004年平和賞「カラオケを発明し、人々が互いに寛容になる新しい手段を提供した業績」井上大祐氏”、”2005年栄養学賞「34年間、自分の食事を写真に撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析した」ドクター中松氏”、”2011年化学賞「火災など、緊急時に眠っている人を起こすのに適切な空気中のわさびの濃度発見と、これを利用したわさび警報装置の開発」田島幸信氏”、”2012年音響賞「自身の話した言葉を、ほんの少し遅れて聞かせることで、その人の発話を妨害する装置『スピーチジャマー(Speech Jammer)』を発明」栗原一貴氏”、”2016年知覚賞「前かがみになって股の間から後ろ方向にものを見ると、実際より小さく見える『股のぞき効果』を実験で示した研究」東山篤規氏”等々。職業は省略させて頂いたが、やはり大学教授が多い。それでも、民間人が自分の仕事の為に研究や発明をしているものも多かった。


受賞一覧を見ていて感じたのだが、どれも「真面目に取り組んだ結果の役に立つもの」ばかりだ(なかには、例外もあるけれど)。冒頭の「バナナの皮の滑りやすさ」の馬渕氏の専門は「人口関節研究」、彼の頭の中は常に「滑りやすいもの」で一杯なのだろう。だから、常人には当たり前過ぎて、考えようともしない事も研究のヒントになっている。私も一念発起して何か研究しようかな?と思ったが、”賞金は原則としてゼロで、米ハーバード大学サンダーズ劇場の授賞式に出席するなら、旅費も滞在費も自己負担、スピーチでは笑いを取ることが鉄則”だそうで、万が一私が受賞したとしても”スピーチで滑ってしまいそう”なので断念した。「股のぞき 体が硬すぎ 試せない」


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昔あった職業 もうすぐ無くなる職業 [社会]

最近、ちりがみ交換車の声を聞かなくなったなあ、と思う。それ以外にも、「竹や~、竿竹~」でお馴染みだった「竿竹屋」の声も聞かなくなった。もっとも、売っていたのは竿竹ではなく、ステンレス製の物干し竿だったりするのだが。昼間、家庭にいる主婦目当ての商売で、車が無ければホームセンターで購入して家に持ち帰るのが困難である弱みにつけこんで、結構ぼったくりの商売だった。家内も3倍位の値段で買わされた事があり、帰宅して値段を聞いて吃驚した記憶がある(勿論、喧嘩になるので口には出せない)。昔「さおだけ屋は、なぜ潰れないのか」という会計学入門書がベストセラーになった時代もあったけれど、「なぜ潰れないのか?」の理由が「さおだけ屋は、実は金物屋で、車で配達のついでに売っている。さおだけでなく、物干しの修理までやっている」という回答だったが、納得出来なかった。その証拠に、最近「竿竹屋」どころか「金物屋」まであまり見かけなくなってしまった。同じように、「とうふ~、がんも~」をラッパで吹いて自転車で売り歩く「豆腐売り」も見かけなくなったし、売り歩くどころか、肝心の「豆腐屋」も街で見かける事が無くなってしまった。つい最近まで、若者がリヤカーを引きながら”一丁入魂”ののぼりを立て「豆腐」や「納豆」を行商して歩く姿を見かけたのだが、これも又見かけなくなってしまった。もっと昔ならば「くず~いおはらい」の「屑屋」、「げんま~いぱん!」の「玄米パン売り」、「やきいも~、い~しや~きいも~」の「焼き芋屋」(これはあるかな?)。切りがないので、この辺りで止めるが、ホームセンター、大型スーパーの進出で、個人経営の店などやって行けなくなってしまったのだろう。


”DIRECT PUBLISHING”から引用させて頂く。「10年から20年後、約47%の人の仕事がなくなる!?オックスフォード大学が大胆な予測を発表」のタイトルで”90%以上の確率で消える仕事リスト。「銀行の融資担当者」「電話オペレーター」「レジ係り」「ネイリスト」「スポーツの審判」「娯楽施設の案内係」「集金人」「仕立て屋」「ホテルの受付」「税務申告の代行者」「簿記・会計の事務員」「不動産ブローカー」「動物のブリーダー」「時計修理屋」「図書館の補助員」「塗装・壁紙張り」「造園・用地管理の作業員」等々”である。何となく解るような気がする。最近、スーパーやレンタルDVDでもセルフレジを見かけるようになった。コンビニもセルフレジを目指しているので、もう貴方も「箸を何膳お付けしますか?」に「3膳」と嘘をつく必要も無くなる。冗談はともかく、こういった仕事がすべて機械にとって代わられる未来を想像すると、寒気がする。機械が苦手な老人は益々苦労するのだろう。接客こそが、もっとも人間が必要とされる仕事だと思うのだが、未来はそうはなっていないのだ。せめて「スポーツの審判」を機械に任せる事だけは、勘弁して欲しい。大相撲の魅力も無くなってしまう。


時代の流れには逆らえず、無くなる職業は増える一方なのではあるまいか?逆に将来有望な職業は何か?を調べたら、相変わらず「医師」「弁護士」「司法書士」等、当たり前過ぎて面白くも何ともない職業が並んでいた。他にも「福祉・介護関係」「中小企業診断士」とあったが、我が子にどんな職業について貰いたいか?は親の悩みではあるけれど、親が無理やり押し付けるべきではない。「高卒で入れる役場や市役所職員が一番安全牌です」という意見もあったが、子供の適性も能力も考えずに「将来性」「無難」「食いっぱぐれがない」などの理由で職業を選ぶのは不幸でしかない。「この仕事がやりたい!」で選ぶのが一番良いのだが、若者はなかなか見つけられないし、その職業に就くために生まれて来た訳ではないので、見つからないのも当然だ。そんな若者に老人の私がアドバイス出来るとしたら”年長者のアドバイスは、話半分に聞いておこう”かな?「職業に 貴賎はないが 人にあり」 


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豊洲市場と電車内スマフォに驚いた [社会]

先日、久々に電車で都心に仕事の為に行く事になった。行く先は「ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線」の「テレコムセンター駅」近くにある「東京都立産業技術研究センター」。この施設では、高価な試験機を格安な値段で民間企業に使用させてくれる。私のこの日の仕事は、お客様の製品の性能をこの施設にある振動機で評価する試験に立会う事だった。豊洲から新橋駅に向かう「ゆりかもめ」に乗ったのだが、電車内の停車駅案内を見ていたら「市場前駅」を通過する事に気が付いた。「かなり前から豊洲市場に移転する事が決まっていたんだなあ」と感慨深い。昔、良く国際展示場で開催されている技術展などを見るために、ゆりかもめを利用していたので何度も通過した筈なのだが、豊洲市場前駅がある事に気が付かなかった。これだけ問題になっていれば否が応でも目に入る。御存知の方もおいでだと思うが、ゆりかもめは無人運転で、路線は廻りくねっており、スピードは遅いし、車両の長さも幅も小さいので座席の数も少ない。車窓から眺める光景は、ちょっぴり未来的な感じがする。それはともかく、豊洲市場がどんな施設なのかじっくり見る事が出来た。人っ子一人いないせいもあるのかもしれないが、あまりにも狭い施設に驚いた。それでも敷地面積が40.7ヘクタールあり築地が23.1ヘクタールなので約2倍弱、施設面積は豊洲の床面積は40.8万平方メートル、築地は28.5万平方メートルなので、約1.5倍。移設問題の報道があまりにも大きかったので、私が想像する施設も膨らんでしまったのだろう。今日の新聞に”都議選で都民ファーストが発表した公約の中に豊洲移転の可否を示さず”とあった。「これだけお金をかけて移転しなかったとしたら、大変な税金の無駄遣いになってしまうなあ」と思いながら通りすぎたが、「元市場予定駅」にならねば良いが。


帰りの電車内の風景を書かせて頂くと、午後4時過ぎに池袋から西武池袋線に乗った。殆ど満員状態で吊革に掴まりながら、車内をそれとなく見渡してみると、スマフォを操作している人が多いのに、何時もながら驚く。それもiphoneが多くて、半分がそうだと思う。一番下にまん丸ボタンが付いているのですぐ判る。そしてLINEでやりとりしている人が多いのにも驚いた。もっと驚いたのは、座席に座っているお婆ちゃんも、吊革に掴まっているお婆ちゃんもLINEを使いこなしている事だ。吊革のお婆ちゃんなど、右手だけで文章を打ち込み、写真を拡大し、スタンプをどれにしようかな?と悩んでいた。保護シートがかなり汚れていたので、かなり使い込んでいる事が判る。文字を打つのも早いのには恐れ入った。座席に座っていたスーツ姿の若いサラリーマンはゲームに夢中で、昔のブロック崩しを進化させたようなゲーム画面が面白くて見入ってしまったが、ふと横に立っているお爺さんの顔を見たら、私と同じように彼のゲーム画面に目が釘付けだったのが、可笑しかった。それにしても、スマフォ以上に目に入ったのが眠っている人が多い事だ。頭の傾きで熟睡度が判るけれど、殆どの人が熟睡状態なのだ。盗難や寝過ごしを心配してしまうが余計なお世話なのだろうが、日本はつくづく安全な国だなあと思う。


所沢駅で西武新宿線に乗り替えるのだが、数年前に所沢駅は大工事を行い、改札口が2階になってしまった。2階はコンコースになっており、スーパーとまではいかないがある程度の買い物は出来るようになった。改札を出ればすぐ近くに西友というスーパーがあるのだが、昔はセゾングループの資本だったので、駅ビルに西友デパートやマーケットは付き物だった。ところが、ウォルマートに資本が移ってしまい「昨日の友は今日の敵」状態で、昔駅ビルだった西友も、コンコースの営業妨害を受けながら細々と営業している。こんな状態の西友が西武線の駅には沢山あって、資本の怖さを思い知らされる。所沢駅ホームの「狭山そば」という立ち食い蕎麦屋は有名で、勿論うどんも食べられる。夕方、かつおや昆布だしの匂いの誘惑に負けてしまう人を良く見かけた。駅の改装工事に伴い、この店もリニューアルしたのだが、お店の黒い看板をよくよく読んでみたら「Japanese SOBA Station」とあったが、ステーション?うどんはどこに行ってしまったのだろう。外から店内を覗いたら「Well come」と英語で書かれたメニューが貼ってあったが、自動販売機の押しボタンには日本語しか無かったので、調理場のオバさんが心配になってしまった。「仕事より 妄想し過ぎて 疲れ果て」


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最上の斎場に出会った事がない [社会]

私も65年近く生きているので、お通夜や告別式でいろんな斎場を訪れなければならなかったのだが、不愉快な目に遭うことが多かった。昨年も兄嫁の母がお亡くなりになり、田舎に妹と二人で車で行き告別式に参加したのだが、斎場を去る時に香典のお返し品を渡された。帰宅して、玄関で清めの塩をかけてから家に入ろうとお返し品の袋を捜したのだが、見当たらなかった。「入れ忘れ?」と思ったが、妹のお返し品にも入っていなかったので、はなから入れるつもりなどなかったのだろう。そういえば、受付に清めの塩の袋が籠に一杯入っていた事を思い出した。「欲しい人は持って行って下さい。そうでないと無駄になります」という姿勢なのだろうが、何だかがっかりしてしまった。一言、そういうシステムですという断りがあってしかるべきだろう。たかが塩なのだが、されど塩である。長年の良き慣習は残すべきだと思う。


義理の叔父が亡くなり、我が家から近い斎場で通夜と告別式が行われる事になったので田舎から兄夫婦が出て来た。私は車で斎場までの送り迎えをしたのだが、通夜の帰りの車中で兄が憤慨していた。何と、明日の告別式が始まる前に記念写真を撮るので親戚は早めに来るようにと葬儀社から言われたという。「葬式の記念写真?馬鹿も休み休み言え!」と怒っていたのだが「地方によって葬儀は様々だから、喪主を立てると思って行けば?」とアドバイスしたのだが、喪主も葬儀社から提案されて断れなかったのではあるまいか?たまに、告別式でカメラで撮影している人を見かけるが、心に刻むべきものであり、私には理解出来ないし、不謹慎な行為だと思う。知り合いの社長が亡くなったので、家族葬を行う事になったのだが、私は親しかったので数人の社員と告別式に出席した。家族や親戚も十数名なので焼香などあっと言う間に終わる。初七日も一緒にやってしまう形式だったので焼香は2回行ったのだが、2回目に社員が焼香しようとすると、家族とは別に後ろに一般客用の焼香場所があるから、そちらで焼香するようにと言われた。1回目に間違って家族用で焼香を行ってしまったので、2回目は一般用でと注意された訳だが「カチン!」と来た。何故、こんなに少ない人数なのに2箇所で焼香させようとするのか?故人とは出来るだけ近い所でお別れがしたいのに、杓子定規でまったく融通がきかない葬儀社の社員に呆れた。


何故、斎場での不愉快な出来事を思い出したかと言うと、夕刊で「父の愛した曲 葬儀で流せない?」という記事を読んだからだ。故人が好きだった北海道民謡「江差追分」を葬儀で流そうと喪主が考えたのだが、葬儀社から断られた。理由だが、葬儀社の担当者が著作権の関係で家族から持ち込まれる曲はかけられないとの説明だったと言う。かける為には、あの悪名高いJASRAC(日本音楽著作権協会)と契約しなければならないし、実際に契約している葬儀社もある。しかし、ヒット曲等ならまだしも民謡、クラシックなどは著作権が無いので契約の必要は無い。その認識が葬儀社に無かったのだ。葬儀社も葬儀社だがJASRACもJASRACである。故人を偲んで持ち込んだCDを流すのが営利目的にあたると考え、葬儀社にまで契約を拡げている。開いた口が塞がらない。JASRACという組織こそ葬(ほうむ)られるべきだろう。それにしても田舎の斎場の多さに驚く。需要があるからなのだろうが、どの建物も立派で、さぞや儲かっているのだろう。料金も「人の弱みにつけこんで」高く、トラブルも多い。CMで盛んに「追加料金があったりして」と流す訳だ。
「じいちゃんの お棺に入れる 肩もみ券」(お葬式川柳という単行本から)


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良薬は口に苦し 朝日新聞 vs 毎日新聞 [社会]

私は朝日新聞を読み始めてかなり長いが、最近新聞の内容が益々反政権的になったような気がする。特に安倍政権の一強が続いているので余計にそう思うのかも知れない。社説は勿論、政治面や投書欄さえもその事が色濃く出ているように思える。読んでいると頭にスッと入って来る、つまり自分の考えと同意見なのだ。それが怖くなってしまった。自分の考えは朝日新聞によって造られているのではないのかな?と思い始めてしまう。やはり新聞は一紙だけに頼るのは良くなくて、読み比べるべきだと思う。そうすれば、記事を鵜呑みにする事も少しは減るだろう。そう思ってもう何年も経つのだが、一向に「毎日新聞」が勧誘に来ない。昔は新聞勧誘などしょっちゅうで「3ヶ月で良いからとって下さいよ」と景品付きだった。来たのは大抵「読売新聞」で「阪神タイガース」のファンである私が購読する筈も無い。私は購読する新聞が、ころころ変わるのも嫌いなので「毎日新聞」か「朝日新聞」のどちらかだった。両方購読していた時もあったのだが駅売りの「日経新聞」を電車で読むようになってから、家での購読は「朝日新聞」にした。それでも実家で購読していたのは「毎日新聞」で、子供の頃から高校生まで読んでもいたので愛着がある。


玄関のインターフォンが鳴ったので出て見ると「朝日新聞です」という。ああ又3ヶ月経ったんだなあ、と思いながら玄関を開けると馴染みの新聞販売員だった。「もう、3ヶ月たったんですね」と言うと「そうなんですよ、又3ヶ月お願いします」と言って契約書を渡してよこす。契約書に記入しながら「半年か1年契約すれば、こんなに頻繁に来なくて済むのに申し訳ない。でも、そんな先まで生きているとは限らないので」と言い訳したら「僕、昨日誕生日だったんですよ。それなのに誰からもおめでとう、と言って貰えませんでした」と話し出した。見た目は40歳位だろうか?もしかすると独身?尋ねようかと思ったが、若い女性ならともかく、中年男性になど興味も無いので止めた。「私なんか誕生日を忘れる事もありますよ」と返したら「ほんとですか?」と言うので「勿論、冗談」。そんな無駄話をして帰ろうとする彼に「他にどんな新聞を扱っているんですか?」と尋ねたら「毎日、日経もあります」と言う。来ない来ないと思っていた「毎日新聞」の購読チャンスが3ヶ月に一度来ていたのだ。「早く言ってよ」と心の中でつぶやく。「毎日新聞とります」と言ったら「来月からで良いですか?」と言うので「明日から入れてくれませんか?」と頼むと「朝日新聞を月の途中で止めると損ですよ」「嫌、朝日と毎日両方入れて下さい」と頼んだら、「営業成績になります」と嬉しそうだった。「一日遅れの誕生日プレゼント」とはならないだろうな。


次の日、普段は午前8時まで寝ているのだが、午前7時半に起きて郵便受けから朝日、毎日新聞を取り出して毎日新聞から読み始めた。どこか懐かしさを感じるのだが、読み慣れない新聞は疲れる。初めてのスーパーに入って買い物をするのと一緒で、どこにどんな記事があるのか大雑把にしか解らない。慣れるまで当分我慢して読むしかあるまい。まずは朝日の「天声人語」に相当する「余禄」を読んでみたが、あまりピント来ない。社説も、朝日の方が文章力があるかな?と生意気な事を考えてしまった。朝日の投書欄「声」にあたるのが「みんなの広場」で、一番楽しみにしていたのだが、投書内容に少し違和感がある。新聞によって読者も微妙に違うのだろう。薬に例えると朝日は甘く、毎日は今のところちょっぴり苦そうだ。これも次第に慣れてくれば、両紙とも甘さも苦さもあると感じられるようになるのだろう。それはともかく新聞が休刊の日は寂しい、仕方がないので昨日入っていた今日の番組表だけ持ってトイレに入る事もある。これで新聞休刊日の寂しさから解放されると思ったら、日本新聞協会で決められており全社一斉だった。こうなれば仕方が無い、駅売りスポーツ紙も取ろうかな?「トイレには ペーパーよりも 新聞紙」


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