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「あさま山荘事件」の永田洋子と私は同時代 [社会]

タイトルには「あさま山荘事件」と書いたけれど、私には「浅間山荘事件」の方がしっくり来る。昨日TV朝日の「真相!昭和の事件史」を観たのだが、新聞のTV欄にも「あさま山荘事件」とあった。どうして平仮名表記にするのかと首を傾げるが、何か意図でもあるのだろうか?この番組では「浅間山荘事件」の他に「金大中拉致事件」も取り上げられていたのだが、「浅間山荘事件」は1972年に起きており、「金大中拉致事件」は1973年である。1952年生まれの私が一年浪人して大学に入ったのが1971年なので、両方の事件共いまだに覚えている。なのでTVに映し出された映像が学生生活とオーバーラップして懐かしかった。私は家が貧乏だったので国立大学以外は許されなかった。その当時の大学進学率が20%である事を考えれば、実家のあの経済状態でよくも浪人までさせてくれたものだと今でも感謝している。私は社会教科が苦手だったので社会の試験が無い大学を希望せざるを得なかった。そんな大学の一つに「横浜国立大学」があったのだが、母が「あんな学生運動の激しい学校だけはやめてくれ」と言われた。その当時は田舎の母でさえ学生運動という言葉を知っている程、連日新聞を賑わしていた。はなから学生運動になど興味が無かった私は、府中と小金井にキャンパスのある「東京農工大学」に入った。この大学はすぐ近くに警視庁第七機動隊がある事も手伝って、「民青」が学生運動の真似事をしている程度の穏やかな大学で、「革マル」「中核」等の過激な学生運動を真似て、「民青」の学生が大学本部入口にバリケードを築いたのだが、登校して来た学生達に吊し上げに遭い、直ぐに撤去させられた程、ノンポリが多かった。


永田洋子の事など社会人になったら直ぐに忘れてしまったのだが、会社に入って十数年後に受けた成人病検診で見つかった病気が彼女と一緒だったので、又彼女を思い出してしまった。その病気とは「甲状腺異常」、検診で30代の血圧では無いと言われ、町医者に行き判明した。医者が「田舎ならば仕方が無いが、渋谷に専門の病院があるので行きなさい」と言われて、渋々行ったのだが、ほとんどが女性ばかりで男性がこの病気になるのは珍しいらしい。私が渋々行く気になったのは「放っておくと永田洋子のようになってしまう」という恐怖感からだ。「バセドウ病」という病気をご存知だろうか?「眼球が飛び出る」のも怖いのだが「あらゆる臓器が常に全力疾走しているのと同じ状態になる」「物事が曖昧になる事を嫌う」「ヒステリック」「精神的に不安定、イライラする、集中力が低下」等、放っておけば人間失格になる。この病気の原因は「甲状腺異常」によるもので、私は永田洋子が「バセドウ病」だった事を知っていたので、彼女が犯した犯罪も病気によるものと考えれば納得出来た。その病気になるかも知れないと言われれば、治療に行かざるを得なかった。お蔭で数ヶ月の通院で治った。つい最近、毎月通っている病院で、過去にかかった事のある病気を聞かれて「甲状腺異常」と答えたら、血液検査にもその項目が追加された。そう言えば最近イライラするなあ、と思っていたので「まさか、再発?」とビクビクしたけれど異常無しとの結果で安心した。


大学の寮が嫌になってボロアパートに越したのだが、そこに毎日ギターを弾いている先輩が居た。「学生運動をしていたので、田舎に就職口が決まらない。だから留年したけれど、毎日やる事も無いのでギターを弾いている」と言う。毎日弾いている割には下手で、その後就職が決まり帰郷出来たのだが、最後まで寂しい音色だった。私も入学当初は学生運動になど興味が無かったのだが、次第に共感する点も出て来た。けれど、この先輩を知ってからは田舎の両親の顔がチラつき、結局何もしなかった。「革命を起こせると信じて学生運動に身を投じた人間の末路は哀れだ」と言うのは簡単である。純粋なるが故に社会の矛盾に我慢が出来なかったのだと思うし、世論も学生を支持してくれていたので、日本中を巻き込むような大きなエネルギーが生まれたのだと思う。それなのに世間から見放されるようになってしまった原因の一つが「浅間山荘事件」だった。私は番組を観終えて、「真相!昭和の事件史」の「真相!」に疑問を持った。思想的な背景がほとんど語られず、暴力的な場面のみが強調されていたからだ。勿論、終焉の彼らを肯定する積りは全く無いが「学生運動」まで否定されてしまうのは、同時代を過ごした私には我慢出来ない。「老いてなお いちご白書を 思い出す」


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消えて行ったチェーン店 [社会]

バドミントンのガットが切れてしまったので、張り替えを頼もうと「スポーツカムイ」に行った。このお店には、もう十年以上も前からお世話になっている。我が家の近くには「 ヴィクトリア」というスポーツ店もあるのだが「スポーツカムイ」に比べて高いので、何時もこのお店に行く。ガットが切れたラケットは数年前に「ハードオフ」で偶然見つけ、新品で買えば2万円程度なのだが中古なので新品同様を5千円で購入出来た。私にはお気に入りのラケットで、これが無ければそうでなくとも弱い私が、益々弱くなってしまうので、毎週土曜日の活動には何時もこれを愛用している。なのでフレームが傷だらけになってしまい、もう4回目の張り替えになるのだが、張り替えをお願いする度に「このフレームではガットが張れないかもしれない」と言われた。今日もお願いしたら言われるかな?と思ったら、案の定男性店員がフレームの傷を無言で眺めている。「前にも2度、この状態で張り替えをお願いしていますので、大丈夫だと思います」と言ったら、背後から突然女性の声で「前に張れたからと言って、今度も張れるとは限りません!」と強い口調で会話に割り込んで来た。「目の前の男性店員と話しをしている最中に、何の断りも無く突然背後から口を出して来るのは失礼だろう!」と言いたかったのだが、「駄目ならば諦めますから、とにかく張って見て下さい」と言うと「失敗してもガット代はお返し出来ません!」と言うので「承知してますから、お願いします」と頼んだ。翌日受け取りに行き、男性店員から無事に張り替えたラケットを受け取る事が出来たが終始無言だった。嫌味のつもりで「有難う御座いました」と言ったのだが、反応が無かった。「これではどちらが客だか判らないなあ、この店潰れるかも」と思う。


私がそう思ったのは、店内が「品物が客が触ったままで、整理整頓されていない」「切れたままになっているのに補充されていない品物が多い」「娘が靴を買おうとしたら、サイズが飛び飛びで補充されていないので諦めた」「店の規模に比べてやけに店員が多い」「店員に愛想が無い、活気が無い、無口」等々の理由である。昔、あるお店で全く同じ印象を受けたのを思いだした。「おもちゃのハローマック」で、一時は全国に396店舗もあったそうだが、2008年7月に無くなってしまった。田舎に帰った時に子供の玩具を買いに良く立ち寄ったのだが、「トイザらス」が日本に進出して来た頃から、行く度にお店に活気が無くなって行くのが判った。店員は気が付かないのかも知れないが、客は意外と敏感で、サービスが落ちて来れば尚更だ。店に勢いが有る時は、次々と店舗が増えて店内にも活気が溢れているが、勢いが無くなれば活気も無くなり、悪循環になってしまうのだろう。こういったチェーン店は居酒屋、飲食店、ファーストフード店に多く、昔あれだけの勢いがあったのに、今は無いか細々とやっている店が多い。「養老乃瀧」「ビデオ安売王 」「牛丼太郎」「ドムドムハンバーガー」「雑貨屋ブルドッグ」「SHOP99」「ダイクマ」まだまだあるのだが、きりが無い。


私の大好きなTV番組の一つにTV東京の「カンブリア宮殿」があり、様々な分野から今勢いのある企業を紹介してくれる。登場する経営者が口を揃えて言うのは「お客様の為に..」である。極普通で当たり前の事なのだが、社員にまでこの理念を浸透させるのは難しいし、維持するのも至難の業だろう。人はすぐに環境に慣れてしまい、慣れれば手抜きをしたくなる。一旦そうなってしまったら、元に戻すのは難しい。過去にあれだけ繁栄したのに、今は見る影も無い企業が多いのはそのせいではあるまいか?「カンブリア紀」とは”今から約5億5千万年前に地球で起きた生命の大爆発で、次なる進化を求めて生物が一斉に誕生した時代”の事で、番組内容もタイトルにふさわしい。この番組で紹介された店に限らず、どんなお店も何時かは無くなる。それは仕方が無いし、様々な理由がある。それでも、客が多少の我慢をすれば少しだが店を長持ちさせる事は出来るだろうし、店も変わるかも知れない。なので、私は神様ではなく客なのだから、もうしばらく「スポーツカムイ」にお世話になろうと思っている。「世の中は 神様ではなく お互い様」


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都会に出て来てビックリ [社会]

「田舎から都会に出て来てビックリする事」という記事をネットで見つけて、遠い昔の自分を思い出してしまった。私が新宿の予備校に通うために上京したのは18歳の時なので1970年になる。ネットで見つけた内容とは時代が違うので、「昔はそんな事無かったなあ」と感じる事もあるけれど、指摘されて見れば「成程!」と思う事が多い。今、どういう訳だか(?)頭の中で吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」が鳴っていて、都会に憧れと不安が混じった若者の気持ちが良く出ていると思う。もっとも、この歌には「東京へ出だなら 銭っこあ貯めで 東京でべこかうだ」の歌詞にあるように、無い無い尽くしの田舎が嫌になり、東京へ出て一旗揚げようとする、不安など微塵も無い、野心(?)で一杯の若者なのだが。この歌、何度聞いても「田舎者を馬鹿にしている」ような「田舎者を激励している」ような複雑な気持ちになってしまう。けれども、人の持つ弱さを歌わせれば天下一品の吉幾三が才能を遺憾なく発揮している名曲だと思う。


そんな吉幾三のなまりのある歌声を思い浮かべながら、まず筆頭は「みんな時刻表を見ずに駅に行く」である。私の田舎は今でもディーゼル列車が走っているけれど、昔は蒸気機関車で、それも2時間に一本程度だった。なので、大人は乗り遅れないように発車時刻の30分前には駅で待っていた。高齢であればある程、この30分がもっと長かったような気がする。若者でも乗り遅れるのは痛いので、必死に走っていた。なので、都会に出て来て電車が次から次へと来るのに慣れるまで結構時間がかかる。「電車が1両じゃない」「電車がワンマンじゃない」「電車にディーゼル区間がない」のにも驚く。次が「徒歩圏内にお店や自販機がある」で、説明するまでもあるまい。そして「どこまで歩いても家がある」で、「どこまでも」は大袈裟で「家がある」は「無駄な土地が無い」という事なのだが、土地が高くて林や森さえも人の手が入っている。田舎では、森で迷ったら下手をすると死ぬ危険すらあるのだから。


記事には「カエルやコオロギやキジバトの声がしない」と「セミの声はめっちゃする」「公立高校より私立高校がエラい」「時給が高い」「近くに行くにも遠くに行くにも30分」とあったが、どれも納得する事ばかりである。こういった事に、初めは驚くけれど、何時の間にか慣れてしまう。そして電車やバスが数分遅れただけでも腹が立つ生活を送っている事に気が付かない。この記事のトップに「車ではなくケータイを2台持ち」というのがあり、田舎では自家用車と農作業用の軽トラックなど当たり前、ところが都会では車よりまずは携帯で、それも仕事用とプライベート用の2台持っている。始めは憧れだった都会生活だが、数分おきに来る満員電車、ひっきりなしにかかって来る携帯、食事は24時間営業のコンビニ弁当、そして家賃が高いので三交代の夜勤も我慢の職場、こんな都会でも若者は羨ましいのだろうか?何か間違っているような気がする。「隣人の 名前も知らぬ 顔さえも」


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「ハラスメント」にハラハラ [社会]

最近「ハラスメント」という言葉が大流行している。私もこの前「免ハラ」という記事を書いたばかりで、車の免許証に興味が無い若者を、飲み会でバブル世代の上司達が「情けない!」「それでも男か!」等のいじめを受ける事を言う。朝刊の人生相談に「スメルハラスメント」という言葉があり、32歳の女性の相談で”隣席の50代上司の柔軟剤の「フローラルの香り」の匂いに、毎日8時間同じ部屋にいるので頭が痛くなって来る。本人は加齢臭を人工的な香料で抑えてつけているつもりのようだが、失礼でない方法で「くさいです」と伝えたいのですが...”とあった。この回答が”とりあえずフローラルスメルがつらいという事を口にしない限り、解決には向かわなそうですね”で、これでは「相談しなきゃ良かった」と思うだろうし、第一「人生相談」に投書してまで解決して貰いたい相談事なのだろうか?私なら「上司にファブリーズやノンスメルを大量にプレゼントして、明日からこれを頭と両脇と腹とあそこと足につけて出社してくださいね」と、遠回しに言ってみる。結果は血の匂いがしそうなので責任は持たないが。


息子も、自分の衣類を選択する時に「レノア」という柔軟剤を大量に入れる。「どうしてそんなに入れるのか?」と聞くと「職場が狭くて8畳の部屋に男が10人いる。匂いが酷いので、せめて自分だけでも嫌な臭いを出さないようにする為だ」と言う。男同士でも「くさい」と言うのは結構勇気がいるし、まず言えまい。「神経質だなあ!」「お前こそ!」「この匂いが駄目ならどうすればいいんだ!」とか逆襲に遭うかもしれない。それほど匂いに関しては千差万別で、気にしない人には何でもない匂いでも、ある人には耐え難い匂いなのだろう。私は毎日お風呂に入っている人ならば、その人の体臭は大丈夫だし、柔軟剤の人工的な匂いよりはましだ。香水が一番苦手で、この匂いはつけている女性によって好き嫌いが大きく変わってしまう。なので、人生相談した女性も、自分では気が付いていないけれども「実は上司が嫌い」なのではあるまいか?


ネットで調べたら「ハラスメント」には全32種類あると言う。とても全部紹介出来ないし、全32種類というのも眉唾物で、何にでも「ハラ」を付ければ幾らでも出来てしまう。けれど中には「成程なあ」と思うものもあるので、面白い(?)ものだけ紹介する。「セカハラ(セカンド):被害に遭っているのに、かばってもらうどころか更なるいやがらせを受ける」「アルハラ(アルコール):上下関係を利用し本人の体質や体調・意向を無視して飲酒を強要(私なら幾らでもOK)」「アカハラ(アカデミック):大学教授が学生に大量の課題や宿題を出す(?)」「ドクハラ(ドクター):医者の言動、態度、雰囲気により患者が不快な思いをしたり精神的ストレスを負う」「カラハラ(カラオケ):立場を利用して、歌いたくない人に無理矢理歌わせる」「ブラハラ(ブラッドタイプ):血液型が与える印象でその人の人柄や性格を決めつけるような言動」「ハラハラ(ハラスメント):こんなハラスメントも知らないの?と馬鹿にする」。最後の「ハラハラ」は私のでっち上げである。紹介した程度の「ハラスメント」なら「ナイナイハラ(ナイスがナイ):ブログのナイスが少ナイ事をからかう」「ブロハラ(ブログ):お前のブログは内容が無くてつまらない」などと幾らでも作れてしまうが、「ナイハラ」や「ブロハラ」など私のブログのコメント位にしか使えまい。「セクハラと 騒ぐ人ほど 器量無し」


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「鉄腕!DASH!0円食堂」と「東京・戦後ゼロ年」 [社会]

タイトルの二つのTV番組はどちらも「ゼロ」が付くのだが、内容には天と地程の差があった。どちらも20日、日曜日の夜の番組だが偶然に重なってしまったのも天の配慮かも知れない。番組をご存知ない方もおいでになると思うので、簡単に説明させて頂く。まず「鉄腕!DASH!0円食堂」だが、「TOKIO」というアイドルグループ(?)のメンバーが、ある土地を訪れ、主に生産者から「捨ててしまう材料」を集めて料理をし、提供者の方に食べて頂く番組である。今回は「九十九里浜」で、「釣り船屋の長五郎丸のお客さんが持ち帰りきれないので置いていったヒラメ」「トウモロコシ農家の大久保さんの形が悪いとか変形したトウモロコシ」「マッシュルーム農家・渡辺さんの形が微妙に変化のあるマッシュルーム」「メロン農家の菅谷さんの大きく割れたので出荷できないメロン」「卵の直売所サントクファームの運搬途中にどうしても衝撃で割れてしまった卵」「豚肉加工を行っている柴さんのご自宅兼加工場から豚の腎臓」と超豪華である。なので、出来た料理は不味かろう筈もない。この番組に控え目(?)なコメントをさせて頂くと「日本は豊かになったが、食料の自給率を考えると恐ろしい」「今まで廃棄するしかなかった材料で何か料理を考えて、その土地の名物をつくれないものか?」「大したヒット曲が無いのだから、本業の音楽活動にもっと本腰を入れろ!」程度にさせて頂く。息子が好きな番組なので仕方なく観ているけれど、結構人気番組らしい。


「0円食堂」が天だとすれば、NHKスペシャル番組の「東京・戦後ゼロ年」は地どころか、地獄に近い。番組のサブタイトルは「東京ブラックホール1945-1946」で戦争に負けた日本の世相を貴重な白黒の映像で見せてくれた。大空襲で焼け野原になった東京を背景に、地獄のような悲惨な生活を強いられている庶民と、敗戦を利用して大儲けようとしている政治家、軍人、商人、やくざ等々の人物が次々と映し出された。天皇の「人間宣言」にまで踏み込んでおり、天皇の代わりに「我こそが神だ!」という新興宗教が次々と現れ、中でも北村サヨの「踊る宗教」で信者が踊り狂う様は、正に地獄である。それにしても「NHKも凄い事をやるなあ」と感心してしまった。「百聞は一見に如かず」という言葉があるけれど、1952年生まれの私は祖父や祖母、父や母から終戦直後の様子を聞いていたので、ある程度の知識はあったつもりなのだが、まさかこれ程酷いとは思わなかった。父は当時浅草で警察官をしていたのだが、余り東京での苦労話をしたがらなかったのも、実態があまり悲惨過ぎて田舎で生まれ育った私に話したところで、実感も湧くまいと考えたのだろう。この番組を観てつくづくそう思う。


1945年ならば今から72年前なのだが、「随分昔の話」なのか「つい最近の事」なのかは人それぞれだろうけれど、高齢であればある程「つい最近の事」なのではあるまいか?そういう人が「0円食堂」を御覧になったら、どんなお気持ちになられるのだろう?少なくとも「食べ物を捨てられる程、豊かになった」と喜ぶ人はおいでにならないと思う。誰でもスーパーで買う時は「曲がったキュウリ」や「形の悪いトマト」を選ばないし「割れた卵」など論外だろう。なので生産者も本当は捨てたくないのだが、捨てざるを得ないのだろうし、賞味期限切れの食料も捨てざるを得ないのが現実なのだ。「戦後ゼロ年」は「日本がゼロから出発した年」の筈なのだが、72年かけて到達したのが「本当は価値があるのにゼロ円にされてしまった食料で溢れている日本」なのだ。何とかならないものだろうか?私が考えたのは「賞味期限 なまじあるから 無駄が出る」なのだが、ネットでもっと良い川柳を見つけた。「賞味期限 戦中生まれは 気にしない」


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免許が無いとバブル世代から「免ハラ」 [社会]

私は「免ハラ」という言葉がある事を、あるネットの記事で初めて知った。その記事を「マネーポストWEB」から一部抜粋引用させて頂く。”「特に50代くらいのバブル世代の男性に、免許がないことを知られると大変なんです。『それでも男か?』『車は男のロマンだ』『それじゃ女の子にはモテない』『俺らの時代は車でよくデートしたもんだ。ナンパもしたな』など、やたら車と「男たるもの」とか、女性を関連付けて話をしてくる。さらには『20代初めまでに取っておかないと、後々取るのが大変』とかなんとか。僕の免許未取得を酒の肴に、だから何だというような昔話を延々……。もう免許ハラスメントですよ。車でモテたとしても、それは本質的にその人がモテているわけではないと思うんですけどね」”とあった。記事のタイトルは”「免許離れ」する若者、バブル世代からの「免ハラ」被害も”である。都会に住んでいれば、車など不要なのかもしれないし、独身の若者が都内で車を持つのは大変だ。月極駐車場の料金は高いし、自動車税もあり、当然、ガソリン代もかかる。週末に乗る程度ならば、車など不要と考えるのも当たり前で、高いお金を出して教習所に通い、使い道は身分証明書代わりでしかないペーパードライバーも沢山おいでだろう。


そんな記事を読んだ後に目にとまったのが”地方では300メートル先のコンビニに車移動が当たり前? 夏休みの帰省で驚いたこと”という記事で、”「帰省中ワイ『ちょっとコンビニ(300メートル位先)行ってくるわ』親戚一同『!!??』」というスレッドが立った。スレ主は帰省した際、300メートルほどの距離にあるコンビニに行こうとしたところ、親戚から「だれか車出してあげれば?」「そうだよねえ車でないとちょっと」などと言われたという。スレ主は、「なんやねんこいつら徒歩で道路出たら死ぬんか?」と驚きを隠せない。京都府出身女性「帰省時に歩いていたらジロジロ見られた」スレッドでは、「田舎の距離感覚ヤバい」「田舎はほんとこれ」など、スレ主の驚きに共感するコメントが相次いだ。ほかにも、「学生以外チャリは許されない風潮」「田舎者がどんなに車依存していても知ったことじゃないが、歩いてる大人は不審者みたいな風潮やめろや」”。以上は”@niftyニュース”から一部抜粋引用させて頂いた。


NHKのTV番組に「鶴瓶の家族に乾杯」というのがあり、私の大好きな番組だ。この番組を観ていて思うのは「人っ子一人歩いてない町が日本には多いなあ」なのだが、歩いている人が見当たらないだけで、実際にはその町で元気一杯に働いて生活されている方が沢山おいでになるので感心してしまう。車が下駄代わりなのだろうから「300メートル先のコンビニに車」は少し極端かも知れないが、成程なあとも思う。田舎に住んでいる私の姉や兄の家にも、大人の数だけ車があり、自家用車ならぬ自己用車だ。「免許不要の都会の若者」と「車は必須の田舎の若者」のどちらが体力があるのだろう?前者は「電車の乗り継ぎで足腰は鍛えている」だろうし、後者は「農作業で力仕事は日常茶飯事」なので両者互角かも知れないが、どちらも老後が心配である。都会も田舎も同じ日本なのだが、何だか二つの別な世界があるような気がして来た。「免許証 切れてますねと 銀行で」(ネットから借用)


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「ゾウガメ発見50万円ニュース」はロールシャッハ・テスト [社会]

”岡山県玉野市の渋川動物公園から大型陸亀のアルダブラゾウガメ「アブー」が2017年8月1日に逃げ出し、飼育員らが血眼になって探すものの「フン一つ」見つからなかった。園は発見者に懸賞金50万円を贈ることを14日に発表し、親子連れ2人が16日午後に元気なアブーを園から約100メートル先の茂みで発見した。発見までの所要時間は、なんと15分ほど。ネット上では「時給200万円か、スゲー!」などといった声が挙がったが、どうしてそのような場所にいたアブーを、園の飼育員たちは発見できなかったのだろうか?”。このニュースには続きがあり”宮本園長は取材に対し、「メディアの方々には大きな声で言えないことがあるんですよ」とし、小声でこんなことを話してくれた。アブーが発見された場所は飼育員がこれまで2度探しに行っていてフンや食べかすなど痕跡は一切なかった。しかもあの場所、本来は調べる必要がないという。それは側溝があるためカメはあちら側には行けない、というのだ。そして戻ってきたアブーを見た時に「なるほど!」と思ったという。居なくなった時と様相が違っていて、甲羅がピカピカで体には埃一つないような状態だった。お腹を空かせている様子もなかったという。「とにかくアブーが見つかり言葉にならないくらい嬉しいし、捜索に協力してくれた人、懸賞金をゲットして大喜びをしてくれた親子、結論としては全部丸く収まった。みんな喜んでくれて万々歳、ということです」と宮本園長は喜んでいた”。


私はこのニュースをTVで観ていて「何か変だな」と思ったのだが、ネットの記事で園長の談話を見つけ、ある程度納得してしまった。私が「変だな」と思ったのは「発見場所が動物園に近過ぎる」「賞金をかけたらすぐに捕まっている」「あんな大きな動物が長時間目立たずに逃げていられる訳が無い」等々。そこを園長は「誰かが偶然に見つけて、その人は出来心で大切に飼おうかなと思ったのだが、まさかこんなに大騒ぎになるとは思っていなかった。なのでそっと返したいのだが、今さら手渡しは出来ないので何か良い方法は無い物か?賞金でもかけてくれれば大騒ぎになり、大勢で探しているところにそっと置いておけば、無事発見してくれるだろう、と考えたのだろう」と言っているのだと思うので、優しい園長ではある。ネットの書き込みには「イイ話が一気にゲスい話に・・」「見つけた親子が犯人だ!子供が可哀そう」「飼うつもりで盗んだのか。懸賞金目当てで盗んだのか」「いやいやいや。それは思っても言っちゃダメだろうw」「親父の雰囲気と子供のバツの悪そうな感じで、何となく察したわ」と、どうしても発見者の親子を犯人にしたいらしい。私はこういう反応を見ると「ロールシャッハ・テスト」を思い出してしまう。このニュースに自分なりの感想を述べているつもりが、コメントに自分がさらけだされてしまっている事に気が付かない。他人事ではないけれど。


我が家の隣の家では亀を飼っていて、ひと月に一度、回覧板を届ける時にそっと覗いて元気かどうか見るのが楽しみだ。飼われて居る場所は池などではなく、リンゴ箱より少し大きなプラスチックの箱の中。箱は屋根がある駐車場においてあるので雨に濡れる心配はないのだが、亀以外は何も入っておらず水が体を濡らす程度。大きさは20cm位だろうか?なので彼の全世界は60x30x30cm程度でしかない。「幸せ?」と聞いて見るが返事は無い(当たり前)。「自分も似たようなもんかな?」とも思う。自分がどんな容器に入っているのかさえ解っていないのだから。もし、自分が容器の中で飼われている事を知ったなら、一度は逃げ出したくなるだろうが、ゾウガメ程の価値も無いので50万円もの懸賞金をかけて探してはくれまい。「真相は カメのみぞ 知る」


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「終戦記念日」「敗戦記念日」どっちだろう? [社会]

もうすぐ8月15日「終戦記念日」だが、私は「敗戦」を「終戦」と誤魔化しているのはいかがなものか?と考えていた。他の人はどうお考えなのか?とネットで調べているうちに、やはり「終戦記念日」で良いのでは?と思うようになった。その理由だが、まず”8月15日は、1945年に「単に天皇の玉音放送のあった日」で、公式に日本の降伏を内外に認める、「降伏文書への調印式」は同年の9月2日に、戦艦ミズーリ上で行われている。なので「敗戦の日」又は「降伏の日」ならば9月2日になる”という歴史的な背景がある事。次に”仮に「敗戦記念日」とすると、アメリカに対する報復を忘れない日の意味合いが強くなる”という事。そして”自分の国が敗北した日を記念するという感覚のほうが変で、終戦という捉え方をしたほうが、もうこれで戦争は終わりにして平和を目指そうとする前向きな意思が表われている”という考え方が、私の頭に素直に入って来た。なので「終戦記念日」が良い。


私の住んでいる埼玉県所沢市には在日米軍通信基地がある。元は陸軍所沢飛行場で、日本で初めて飛行機が飛んだ事を記念して、通信基地の隣には航空記念公園がある。元々は所沢補給廠跡地だったのだが、戦争に負けて米軍に接収されてしまった。その後、地元の返還運動により、通信基地を除いて約6割が返還され市役所、市民ホール、郵便局、警察署等の公共施設が建てられた。車で米軍通信基地を通る度に「日本は戦争で負けたんだなあ」と実感する。広さは100万平方メートルもあるのだ。一周すると5Kmなので、近隣の大人、高校生、中学生がマラソンや部活で走っている姿を良く見かける。私は目撃した事はないのだが、基地の近所の噂ではヘリコプターの訓練をやる事もあるそうで、その時の騒音には辟易するらしい。それでも、沖縄の比ではあるまい、と思う。


オスプレイがオーストラリア東部沖で事故を起こしたので、小野寺五典防衛相はオスプレイの飛行を自粛するように米軍に求めたが、「オスプレイは世界中で飛んでいる 軍の方針に変更はない」の回答だった。日本など米軍から見れば「戦争で米国に負けた国」という感覚でしかあるまい。何しろ「日米地位協定」があるので、日本は手も足も口さえも出せないのだ。先日、江崎鉄磨・沖縄北方相が「日米地位協定、見直さないと」という発言をしたが、直ぐに弱腰の発言に後退してしまった。「役所の答弁書を朗読する」という発言が問題になったが、実直な人柄ゆえの発言なのだろう。その後の記者会見でも、記者が失言を誘おうと意地悪な質問をし、メモに頼れずに慎重に答えていた姿は気の毒で、人の良いお爺さんの印象が残った。彼には失礼だが、沖縄北方相の重責が務まるとはとても思えず、安倍総理の「仕事人内閣」というキャッチフレーズが虚しい。内閣改造をしただけで、まだ何の仕事もしていないのに支持率が上がるのも、考えて見ればおかしな話で、こういう大臣を起用すればまた支持率が下がると思うのだが、何故、「重責」「重荷」と固辞している彼に無理やり押し付けたのか不思議で仕方がないし、彼以上に国民が不幸だ。「放言を せぬ大臣の 名を忘れ」(半世紀以上も前からある有名な川柳)


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金運をアップする方法 サマージャンボにどうぞ [社会]

たまに行くスーパーには大型駐車場があり、周囲には、本屋、レンタルビデオ店、パソコン店、百円ショップ、美容院、トイザラス、美容院、ドラッグストア、シューズショップ等がある。買い物に便利だから平日でも人が多いのだが、りそな銀行と郵貯のATMもあり、その隣には宝くじ売り場もあって、この前通りかかったら女性がのぼりを背中に付けて、ハンドスピーカーで「サマージャンボ宝くじ」の購入を通行人に呼び掛けていた。売り場の窓口の上に大きく「2等1億円」「ロト…」などと、過去にこの売り場から出た当たりくじの宣伝が大きく貼りだされていた。私はここ数十年、宝くじ等を買った事が無いので、現在のくじがどうなっているのか詳しく知らないが、「スクラッチくじ」や「ロト6」等と思われる物を気軽に購入している老人や主婦が多いのに驚く。気軽な「運だめし」なのだろうか?「ひょっとすると?」とか「今日はついているから」「胸騒ぎを感じる」「神のお告げがあった」「朝ご飯が美味しかった」などという理由で購入する気になるのだろうか?何時も思うのだが、ジャンボ宝くじの一等が高額過ぎる。今回のサマージャンボの1等は5億円が20本で、2等が1千万円で60本、3等が3千円で2百万本、4等が300円で2千万本。一枚が300円なので10枚買うと必ず4等が当たるのだが、ほとんどの人は4等しか当らない。いっそ1等を100万円ぐらいにして当たり数を増やしたらどうだろうか?と思ったら、すでにそういう宝くじがあって100万円が5000本で、名前が「サマージャンボプチ」。他にも1億円が45本の「サマージャンボミニ」まである。ジャンボとは巨大という意味だと思うのだが、「ミニ」「プチ」が付くと意味不明だろうに。


新聞の一面広告に「サマージャンボ宝くじ1枚プレゼント! 白蛇神社ご祈願済 財運白蛇長財布」が載っていて、価格は税込み4888円、発送料税込み777円。実に良く考えられた価格と発送料だと思う。「こんな財布誰が買うんだろう?」と考えたら、宝くじ売り場に群がる(失礼)人を思い出した。こんな財布を大量購入して宝くじ売り場の横で8888円で売れば飛ぶように売れるのではなかろうか?それとも「そんな財布を買う位なら宝くじを買った方がましだ!」と考える人が多くて、まったく売れないのかも知れない。それにしても、今「役所広司」扮する侍が現代にタイムスリップし、祭りの屋台で大暴れしているCMが流れているけれど、私には意味不明で購買意欲が全く湧かない。昔、「いしいひさいち」の漫画に「がんばれ!!タブチくん!!」というのがあったけれど、田淵がホームランを打っている絵の横に大きな文字で「あなたに当たらぬ筈がない!」というギャグは秀逸だと思う。こういうポスターでも宝くじ売り場に貼れば、売り上げ伸びる事間違いなしだと思うのだが。


「あなたはいくつ知ってる?読むだけで金運アップなお金のことわざ4選」という記事がネットにあったので、読むだけならばタダなので早速読んで見たのだが「稼ぐに追いつく貧乏なし」「ないときの辛抱、あるときの倹約」「金は天下の回り物」「見切り千両、損切万両」の4つの諺が載っていた。これならば私も知っているので、「金返せ!」と言いたかったが、払っていなかった。考えてみれば、大金持ちの人ならいざしらず、貧乏人(失礼)が金運アップの為にお金を使うのは矛盾してはいまいか?宝くじを買える程の余裕があるならば、そのお金で別な物を買った方が幸せではあるまいか?私が好きな金運アップ(?)の名言は「吾れ唯だ足るを知る」で、京都の龍安寺のつくばいに4つの漢字が口を共有して、上、右、下、左の順に吾、唯、足、知と書かれている。この教えのように、宝くじを買わないのが一番ではあるまいか?「この文字が書かれたグッズを売れば儲かるんじゃないかな?」と考えたら、楽天市場で200円のキーホルダーを見つけた。このキーホルダーを宝くじ売り場の横で売ったなら、宝くじ愛好者に殴られそうだ。「宝くじ 当った妻は 即離婚」


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新聞 vs スマフォ [社会]

今時の日常生活には新聞もスマフォも両方必要であると私は思っている。パソコンやタブレットの役割は、ある意味スマフォと重ねっている部分もあるが、スマフォの手軽さには適わない。逆にパソコン、タブレットは画面が大きいので情報量も多い。要は使い分ければ快適で便利な情報が得られる生活だろうし、今では小学生でさえ持っている子もいる位、スマフォは若者にとっては必需品だ。それに比べて新聞はどうなのだろうか?私の息子は26歳なのだが、彼が新聞を読むところを見た事が無い。30歳になる娘は大学受験の時に朝日新聞の天声人語から出題される事が多いと聞き、私に新聞のどこに載っているのか?と尋ねて来た。第一面にあると教えたのだが、数週間で飽きてしまったようで読まなくなった。今でも「新聞は旦那が会社で読めるからとっていない」と言う。私は「何故、子供達に新聞を読む習慣を身に付けさせなかったのか?」と悔やんでいるが、彼らには大きなお世話だろうし「スマフォがあるじゃないか」と反論されそうだ。新聞とスマフォの違いを言ってもうるさがられるだけだろうから、もう諦めた。私は朝日と毎日を購読しており、毎月4037x2で8074円払っているが、あっと言う間に溜まる新聞を見ながら「息子も読んでくれれば、もっと元が取れるのに」とケチ臭い事を考えてしまう。今時の一人暮らしの若者には4037円の新聞代は痛い出費になるだろうし、新聞を読む習慣が無ければ何の不自由も感じまい。


新聞に「新聞購読を休んで気づいたこと」の投書があった。福岡県にお住まいの48歳の会社員の女性で”どんなに仕事や育児で疲れていても、夜寝る前に1時間以上かけて新聞を読むのが日課です。しかし先日、英語の試験勉強の為、一ヶ月新聞購読を休止しました。その間は、日本や世界の政治、経済、文化、ファッションにいたるまで、スマホに頼るしかありませんでした。感じたのは、まるで情報という海の孤島にいるようだったという事です。興味ある情報はスマホにずらりとアップされますが、果たして確かな情報なのか信頼性に欠け、判断に困ったからです。私のスマホ使用時間は長いし、新聞をお休みするまでは、スマホが情報と知識の無限の扉だと思っていました。でも、新聞を再び読み始めて、自分の好きな分野、嫌いな分野、興味ありなしに関わらず、新聞の全てに目を通すことで、新しい好奇心に出会えるのだと気付きました。”(要約抜粋引用)


スマフォ(やはりスマホの表現が嫌)で読めるニュースも、新聞と同じように分野別に別れているものも多いのだが、一度に見渡せる情報量が少ないので、余分な情報が目に入ってこないし、自分が興味のある記事しか読まない。ところが新聞は「めくる」という行為があるので、めくっている最中に思いがけずに目に入ってくる記事がある。私はまずは一面から順序よくざっと斜め読みし、2回目以降は気になった記事を読み、最後は番組表を見る(時々、阪神タイガースの勝敗が気になり、真っ先にスポーツ欄という事もあるが)。新聞とは不思議な物で、何度読み返しても、必ず読み落とした記事が見つかり、何だか得をしたような気になるから面白い。投書された女性の「新しい好奇心に出会えた」という表現が、まさにピッタリなのだ。私は全国紙しか知らないが、全国紙の良いところは、あらゆる分野にわたって専門的なニュースが厳選され、信憑性も補償されて(時々訂正記事が小さく載るが)手軽な値段で手に入る事だろうし、それ程読み応えがある。私が新聞に不満があるとすれば「株価欄」で、朝日は32面中2面、毎日は30面中1面さいているが、私は全く興味が無いので読んだ事も無い。なので、何とかこの分だけでも新聞代を安くして貰えないものだろうか?「株価など それこそネットで 十分だ」


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