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老いるにオイル [老後]

油が切れた自転車に乗ると、リズミカルな音を出しながら重いべダルを漕いで乗らなければならない。こういう時に、チェーンやギヤ等の回転する箇所にオイルをさすとかなり良くなり、ペダルも気分も軽くなる。人間も老いてあちこち油切れが始まったら、老いに効くオイルがあったらなあ、と思うのだがなかなか見当たらない。田舎の兄が「グルコサミンを使い始めて、膝の調子が良くなった」と言っていた。それでも年に一度は膝に注射をして貰わないと痛くて歩けなくなるそうだ。畑作業が好きなので、中腰の姿勢になる事が多いのが原因なのかも知れない。老人は、もう何十年も体を酷使して来たので、膝や腰の調子が悪くなるのはやむを得ないのだろう。私はバドミントンが出来る位なので、体だけは丈夫でまだまだ酷使に耐えそうだ。頭は酷使して来なかったのだが、どういう訳か調子が悪い事が多く、最近人の名前が出てこなくて閉口してしまう。


在る日、車で我が家に戻ろうとしたら、我が家の10メートル手前をゆっくりとお婆さんが道の真ん中を紙を見ながら歩いていた。クラクションを鳴らすのが嫌なので、ユックリとお婆さんの後に続く。すると我が家の玄関の前で立ち止まって表札を見ていた。「我が家に用事かな?」と思っていたら、玄関脇の駐車場に入ってしまい、なかなか出て来てくれない。これでは駐車する事が出来ないので困ったなと思ってたら、隣家に向かったのでやっと駐車出来た。車から降りると、又お婆さんが我が家の玄関先でうろうろしている。手に封筒と名簿らしき紙を持っていたので、ピンと来た。「町内会費の集金ですか?」と声をかけたら、満面の笑みで「そうなのよ」との返事。町内会費は3600円なので、4000円渡して400円のお釣りを貰おうと右手を出したら、どうしても財布を持っている左手に渡したいらしく「ごめんなさいね」と言いながら、無理やり私の左手にお金を置いた。領収書を頂けると思ったがそのまま行ってしまった。名簿に印もつけなかったので、もう彼女の記憶に頼るしかない。次の日、チャイムが鳴ったので玄関を開けると別のお婆さんが立っていて「町会費を集めに来ました」と言われたので「昨日、お婆さんに払いましたよ。領収書は貰えませんでしたが」と言うと「そうですか、あの人ぼけちゃってるから色々忘れるのよね」と言って帰って行った。今年は二人のお婆さんが町内会の班長にさせられたのだろうが、お二人共高齢なので気の毒である。、


町内会ではゴミ収集所の掃除当番を交代で行っており、掃除用具と一緒に当番ノートが廻って来る。ノートには日付、担当者名、ゴミの種類を記入する欄があらかじめ書いてあり、当番を終えたらハンコかサインをして次の人に渡すのだが、日付を見たら1週間先の日付になっていた。多分、町会費を渡したお婆さんが記入したと思うのだが、もう80歳を超えておいでなので勘違いされたのだろう。曜日によって出せるゴミの種類は決まっているのだが、時々曜日を勘違いして置き去りになったゴミを見かける。老いる、とはこういう事なのだ。私の班は8名なのだが、一人暮らしのお婆さんが2人、歩いても3分位の場所にゴミ収集所があるのだが、お婆さんは自転車にゴミを積んで捨てている。歩くのがしんどいのだろう。日本中に一人暮らしのお婆さんやお爺さんの日常は、こんな失敗の繰り返しだと思う。老人にとって、昔と今とどちらの時代が良かったのだろうか、と考えてしまった。もう戻ろうにも戻れないのだが。「起きたけど 寝るまで特に 用はなし」(老人川柳から借用)


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キレる爺さん ヒマな婆さん [老後]

新聞に中学生からの「キレる高齢者にどう対すれば」と、高校生からの「お年寄りはなぜ病院に集まるの」という投書があった。「老人とは70歳以上位の人をさすのだろうから、64歳の私はまだまだ老人ではないので無関係」と考えたら大間違いで、若者から見れば60代こそキレやすい老人なのだ。東洋経済オンラインというネット記事(2016年3月掲載)から引用させて頂くと”JR6社や日本民営鉄道協会などの調査によると、鉄道係員に暴力を振るった加害者の年齢別では60代以上が2014年度まで5年連続でトップだった。ちなみに加害者全体のうち6割弱が飲酒しており、発生した時間帯は22~翌5時が最も多い”。老人は病院でも暴れており”職員に院内暴力などをふるった人を年齢別で見ると、暴力は70代、セクハラは60代が最も多く、暴言についても60代が2番目に多い”。犯罪も深刻で”一般刑法犯の検挙人員数を年齢別に見ると65歳以上は約4.7万人に上り、14~19歳に次ぐ水準だ。全体の数は約25万人と10年前から3割強も減少しているにもかかわらず、高齢者の数は約1割増加している。高齢者犯罪で最も多いのは窃盗で約3.5万人と断トツで10年前と比べて約3割増、暴行(約0.35万人)は約4倍、傷害(0.16万人)も約5割増となっている”という恐ろしい数字になっている。キレる老人が社会問題になっているのも当然だ。一番厄介なのは「自分はキレる老人ではない」と本人に自覚が全く無い事ではないだろうか?


もう一つの「病院に集まるヒマ老人」だが「診察が済んでいるにも関わらず、狭い待合室に何時までも帰らずに知り合いと長話をして、席を譲ろうとしない。立っているのもやっとの人もおいでなのに」という問題提起である。笑い話に病院の待合室で「最近あの人見かけなくなったけれど、病気にでもなったのかしら?」というのがあるけれど、高齢のご婦人方には憩いの場なのであろう。そしてお喋りに夢中になってしまい周囲に迷惑をかけている事にも気が付かない。病院の外来患者の待合室が老人のサロンとなってしまった原因の一つが、2008年4月に導入された”75歳以上の高齢者を対象とした後期高齢者医療制度”で、他の年代に比べ自己負担金額が軽減されているので気軽(?)に病院に通える。この制度を支えている人の中には、多くの若者も含まれている事を老人は忘れてはなるまい。


「キレる老人」は男性が多いだろうし、病院に迷惑をかけている「ヒマな老人」は女性が多いと思うと、男女を問わず社会に迷惑をかけている訳で、もうすぐ(?)老人になる私は憂鬱になってしまう。「キレる老人」に男性が多い原因の一つに「リタイアして社会との接点が少なくなってしまった」のではあるまいか?交際範囲も狭まり、アドバイスをしてくれる人もおらず、いたとしても聞く耳を持たない、その上さしたる趣味も無いので会話も少なくなってしまい、結果、コミュニケーションが下手になってしまったのだ。そこで、私がお勧めしたいのが「ブログを書く事」である。私はブログの記事を書くにあたり、新聞やTVニュースで話題になっている事は出来るだけ調べて書くようにしている。なので毎日2~3時間かかっており、その間はお酒を飲まない。飲んでしまうと、そうでなくとも支離滅裂な内容がハチャメチャになってしまうからで節酒(?)の役にも立っている。ブログを書く事で今の社会を考え、ヒマな時間も無くなるので「キレる老人」にならない為にも、是非ブログをお勧めしたい。しかし「キレる老人」はブログになど興味は無いのだろう。そういう老人に私はキレそうだが、段々余生も少なくなって来ているのでキレている時間が勿体無い。「いつまでも あると思うな その命」


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男性だけのゴルフ倶楽部と女性だけの永眠の地 [老後]

2020年東京五輪のゴルフ会場となる霞ケ関CC(埼玉県川越市)が女性正会員を認めていない事が問題になっており、国際オリンピック委員会(IOC)が差別を禁じた五輪憲章に抵触するとして改善を要請している。7日に東京都内で理事会が開かれたのだが結論が出なかったので、さらに協議を続ける事になった。ゴルフ倶楽部側も良い迷惑だろう。オリンピックのゴルフ会場に指定されたのは喜ばしいのかも知れないが、会則を変えなさいと言われた。こんな事なら、最初からオリンピックの会場になる事を辞退しておけば良かった、と考えておいでなのかも知れない。木村希一理事長も理事会終了後に「急にこんな事態になってしまったのは非常に迷惑。困惑しているというのが今の状況」だと発言している。


霞ケ関CCのCCはカンツリー倶楽部の略、なので倶楽部なのである。倶楽部とは”共通の趣味・興味を持つ仲間が定期的に集まって形成する団体をいう”のであるから、原則的には会員が自分達で会則を作って運営して良い筈で、女性会員を認めないという会則も許される、と私は考える。これは男女平等とは無関係の話しで、ゴルフをやりたい女性は女性会員も認めているゴルフ倶楽部など他に沢山あるのだから、そちらの会員になれば良いだけの話なのだ。倶楽部の特色をだす為に作った、女性会員は認めない、という会則を部外者がおかしいと言うのは間違いだ。今時そういう倶楽部が許されないのならば、自然消滅するだけなのであるから、倶楽部の運営方法に部外者がとやかく言うのは的外れだ。そもそも、良く調べもせずに霞ケ関CCを東京五輪のゴルフ会場に選んだ日本オリンピック委員会の落ち度ではあるまいか?


女性会員を認めないゴルフ場の話題が私の頭の中にあったので、新聞の「女性だけの永眠の地」という記事に興味を惹かれた。内容だが”墓地や納骨堂といった「終のすみか」で近年、女性専用をうたうものが目につく。「死後は夫と別の墓がいい」「気の合う独身女性土で」といった需要があるようだ。自分の最後は自分で決めたいとの意識が強まっているという見方もある”という。思わず綾小路秀麻呂の「お墓だけは別々にしてね」のギャグを思い出してしまったが、もうギャグにならないのだ。ゴルフの女性会員を認めない話しとは何の関係も無い、と思いたいが何か引っかかってしまう。そして、女性が死後の世界を心配している事にも私は違和感があるのだが、それは個人個人の考え方なので何も言えまい。家内の実家はお寺で、義兄が数十年以上前に夫婦墓というのを考えて10基売り出した。ところが売れ行きが芳しくない。帰省する度に、何基売れたかな?と楽しみに(?)見に行くが、まだ1基しか売れていない。それも奥様が先に亡くなられて夫はまだ元気だと言う。亡くなられた順序が逆ならば、果たして奥様はこの墓を選ばれたのだろうか?と考えてしまった。勿論、生前ご夫婦で相談されたと思うので私の邪推でしかないのだろう。義兄は永代供養塔も数十年前に建てており、こちらは既に数十人の方が永眠されていて、勿論、男性も女性もおいでになるが、もし男性お断りだったならばもっと人気が出るのかも知れない。逆に女性お断りだったら、誰も入るまいと思うので、ゴルフ倶楽部ぐらいは許されても良いのではなかろうか?最後も綾小路秀麻呂で「寝床別 風呂も別々 墓も別」。


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かわいいい老人 ハイカ~イ♪ [老後]

1962年に中尾ミエがアメリカの人気女性歌手コニー・フランシスが出した曲「Pretty Little Baby」をカバーして大ヒットした「可愛いベイビー ハイハイ」、勿論「ベイビー」は赤ちゃんではないのだが、「ハイハイ」を「這い這い」と勘違いしている方もおいでになるようだ。日本語の歌詞の後半に「恋をするって素敵じゃない」「今すぐ逢って そして言って 忘れられぬあの言葉 Pretty Little Baby」とあるので、恋愛関係にある女性が男性に「ベイビー」と呼んで貰いたいという歌なのだ。それでも親が赤ちゃんをそう呼ぶのも暖かさがあるし良い歌なので、ベビー用品店などでBGMとして良く流れているそうだ。

「ベイビー」は皆、可愛いのだが「老人」はどうだろう?というのは、新聞の投稿に”バスの中で初めて席を譲られた。譲ってくれた女性は「お座り下さい」と席を立ち、私から逃げるようにバスの後部座席に移動した。その折、私はバスが揺れるので足を踏ん張り、小銭を捜す為に、ぶつぶつ言いながら財布をまさぐっていた。私の姿やしぐさが、いかにも老人臭く、薄気味悪い老人と思われたのだろうか?私達の様子を見ていた妻は帰宅後「連れ合いとしてはショックだわ。他人から見ればやはり年寄りなのかなあ」と嘆いた。一方で「年のせいではないわ。元々あなたはよその人からうっとうしがられるタイプだから」と私の慰めにもならないことをつぶやく。私自身はその時は「えっ!私ですか?」と驚き、最初は「いえいえ」と固辞したのだが、「そんなに年寄りではない!」と言うのはもう無理なのかも知れない。この日は他人の厚意を素直に受け入れる「かわいい老人」になれ、という忠告の日だったのかな”とあった。投稿された方は今年で数え年で70歳で古希を迎えた兵庫県の男性だった。「今まで年寄り意識など念頭になかった」ともおっしゃっているのだが、こう思っている老人は全国に沢山おいでで、もう少しで65歳になる私もその一人で、表面はともかく、70歳になろうが80歳になろうが心の中では「年寄り扱いするな!」と思い続けるのだろう。そう思わなければ、ますます老人臭くなってしまう。それにしても奥様の嘆きは「元々あなたはよその人から(も)うっとうしがられるタイプ」にあるのだろうから、彼は老人扱いされた事よりも、この言葉の方に深く傷ついたのではあるまいか?。


「かわいいお婆ちゃん」というほめ言葉があるけれど「かわいいお爺ちゃん」も成立するのだろうか?男性に「かわいい」は似合わないような気がする。それでも老夫婦の「かわいいお婆ちゃん」には「かわいいお爺ちゃん」が相応しいのだろう。それにしても「かわいいお爺ちゃん」になるには、ユーモア、趣味、見た目、清潔が必要なのだそうで、私には前半2つはともかく、後半2つが少々荷が重い。登場時に「何か問題ありますかね?」と容姿でまず笑わせるウクレレ漫談の「ぴろき」というお笑い芸人がおいでだが、ワンステージ最後に「つらくなったとき、苦しいとき、ボクの顔を思い出してください。何の役にも立ちません!」というけれど、彼のステージを見ていると何故か和む。自虐ネタが多いせいかも知れない。だから彼の顔は私の役に立っている。私も彼を見習ってヘアースタイルを「ちょんちょりん」にして「かわいいお爺ちゃん」を目指してみようかな?でも、そうしたらバスに限らずいろんな乗り物で先客にドン引きされる「危ない人」になってしまいそうだ。


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腰痛に要注意 [老後]

朝布団から起き上がる時に腰の痛みが酷くて起き上がるのが辛く、歩き出し始めるまで5分位かかってしまう日がここ3日位続いた。こういう時に辛いのが「思い当たるふしが無い」という事だ。「重い物を持った」とか「運動し過ぎた」とか「XXXXX(勝手に想像して下さい)」とかだったらまだ解るのだが、「腰に悪い事を何かやってしまったかなあ?」と思い出そうとしても何も浮かばない。ここで「齢だから仕方が無い」と考えるのは避けたい。何故なら何の解決策にもならないからで、そう考えるにはまだまだ若いと思っているし、益々衰えを自分で加速してしまいそうな気がする。「病は気から」という諺があるように、マイナス思考は体に良くない。



ネットで腰痛の原因を調べて見たら、都合の良い(?)原因が見つかった。それは”働き過ぎによるストレスから来る腰痛”で「確かにこれだ!」と強引に決めてしまった。腰痛の原因を教えて呉れた記事には更に嬉しい事が書いてあり「体が起き上がれない程の腰痛は、仕事をしないで体を休めなさいという信号なのです」とあったので、思わず「成程!」とうなずいてしまった。私はソフト会社でバイトをしているが、肩書は”技術営業顧問”(何となく胡散臭い)、納期の迫った仕事を任されている訳ではなく、技術的なアドバイスをしたり調べ物を頼まれたりする事が多い。なので朝は9時に出社するが、夕方まで体力や気力が持たないので、午後2時か3時で帰宅する事が多かったし、週に一度は休んでいた。ところが最近「全社あげて取り組んでいます」という仕事に加わってしまったので、私宛に電話があった場合「帰っちゃいました」とは言えないので、社長から「寝てても良いから午後5時までいてね」と言われたので、仕方が無いからブログの記事を書いて時間を潰す事にした。なので最近の私のブログ記事は無駄に長い。休みたいのだが休まず、長時間勤務が2週間程続いたので疲労とストレスで腰痛が出たのだろう。「体は本当に正直だ」。この腰痛だが、腰まわりの筋肉が固くなっているらしい。触って見ると確かに硬くて「脂肪ならばこう硬くはならない筈」と自分に言い聞かせる(さすがにお腹は脂肪が付き過ぎて柔らかいけれど)。寝る前にお風呂に入り、腰の筋肉を良くマッサージをして、湯上りにバンテリンを塗って、さらにサロンパスを貼って、寝る前に腰の筋肉を和らげる体操をして、仰向けを避けて横になって膝小僧を抱えるようにして寝る、これを3日続けたら朝は痛みが無く起き上がれるようになり、まだ腰に重さを感じるがかなり症状が改善したと思う。単純な心と体に生んでくれた両親に感謝する。



腰という漢字は、肉月(にくづき)偏に要(かなめ)と書くように人体の要、腰痛になると「本当に体の要だな」とつくづく感じる。学生の頃、配送センターでバイトをしていてぎっくり腰になってしまい、寝る時など直立不動のままで布団に倒れて、起き上がる時は柱にすがらざるを得ず、滅茶苦茶辛かった。あの時に比べれば今回の腰痛など大した痛みではないが、若い時のぎっくり腰は必ず治ると信じて疑わなかったのに、今は「このまま治らなかったら?」「寝たきり老人になってしまったら?」という恐怖が頭をよぎる。それでも、反面そういう感覚をまだ持っている事が嬉しい。これが痴呆症(認知症という言葉が大嫌いだ)ならどうだろう?自分で自分がおかしい事に気が付けない、これは辛い。でも「こんな人は老人に限らず今の世の中に一杯いるんだよなあ」と思う。「痴呆症でもないのに痴呆と変わらない人はどうすれば治るんだろう?」。相変わらず記事の結論が「腰くだけ」になってしまった。


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女性はやっぱり長生きだ! [老後]

先日お昼を馴染みのお店で済ませてレジに向かったら、二人の女性客とかちあって
しまったので「お先にどうぞ」と言って順番を譲った。店員「お勘定は別々ですか?」
と女性達に聞くと「そうよ」という。先の女性が勘定をすませ、次の女性の番になった
ら「幾ら?」と尋ねた。このお店のメニューには税抜きの値段しか書かれておらず、
請求書にも合計金額に消費税を掛けるので、自分のお勘定が消費税込みで幾らな
のかは計算しないと解らない。「756円です」と答えたので、私は700円に消費税の
8%掛けると56円なので,「それ位計算できるでしょう」と思ったのだが「まあいいか」
と考える事にした。そうしたら女性はバッグから財布を取り出した。「前の女性が支
払いをしている時に暇だった筈で、その時間何をしていたの?」と思う。そして財布
を出して小銭を集め始めたが、結局無かったらしく千円札を出して支払い店の出口
に向かった。私の番になったら「お待たせしました」と店員がその女性客にも聞こえ
るように言ったような気がした。待たされた時間は1分間も無いのだが、こういう目に
遭っている男性は結構多いのではなかろうか?お昼の混雑時なので、お店によって
は”お支払いは一括でお願いします”の貼り紙をレジで見かける事もある。女性はこ
の程度の事ぐらいでいらいらなどしないのだろう。「長生きしたけりゃ見習いな!」



日本の平均寿命は、2015年度は男性が80.79歳で女性は87.05歳なので差
は6.26歳になる。”美人薄命”という諺があるので、長生きの女性は..止めます。
私はレジで現金でお金を払わなくてはいけない場合は、小銭入れをかき回して99
円が作れないかと試みる。そうすれば金額が幾らであっても支払いにもたつかない
で済むからだ。そうでなくても年寄りがもたもたしていると思われるのが悔しいので
何時からかそういう習慣が身に付いてしまった。これだから「俺は短命だろうなあ」。

車で買い物に出かけ、お店の駐車場が一台ずつ駐車して後続が待たされるという
狭い駐車場を良く見かけるが、女性は真っ先に見つかった場所に入れたがる。それ
も運転が下手なのにバックで入れないと気が済まない。そうすると、後続車は女性
の車が完全に駐車するまで待たされる。正直何回も切り返しをして駐車されると、い
らっとする。娘もそうだったので「少し歩く距離が長くなるけれども、2~3箇所は見逃
して駐車するようにすれば後続車に気を使わなくても良いので楽だよ」とアドバイス
をしたのだが「私は後続車などに気を使わないので平気」という答えが返って来た。



交通量の激しいT字路があって、私は左折で車の途切れるのを待っていた。ふと右
を見たら女性の運転する車が右折で出ようとしていた。彼女の車は完全に対向車
線にいる訳で、「車が来たらどうするのだろう?」と思っていたら、案の定右折で入ろ
うとする車が現れたのだが、道は彼女の車でふさがれているので彼女の車を出さな
い限り自分の車は入れない。なので彼女が出て来るのを待つしかなく、彼女はそれ
を期待していたかのように出て行った。「こんな運転が許されて良いのかな?」とぼ
んやり考えていたら、出そびれてしまった。車を運転していてつくづく思うのだが、女
性に道を譲ってあげる事は沢山あるが、逆に譲って貰った事などほとんど無い。

新聞のお笑い投稿記事からの引用だが”保育園で働いている56歳の女性、1歳に
なる園児に白雪姫の絵本を読んであげると、悪い女王が怖い顔をしているシーンで
「ママ」と指差す。お迎えに来たお母さんに白雪姫の絵本を見せると「ママ」って言う
んですよ、と伝えるとママは真っ赤になって恥ずかしそうににっこりした。”「このママ
は長生きするだろうなあ」と思う。私が今度生まれ変わったら両性の良い所を持った
オネエかオカマになろうかな?又しても「それじゃ、駄目じゃん!」になってしまった。


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何を忘れたかも忘れる日々 [老後]

1年振りに武蔵小杉の会社に行く事になった。所沢から横浜の中華街に直通の電
車が、時間帯にもよるが1時間に2本出ていて、乗り換えなしで行ける。打ち合わせ
に遅れては大変なので大抵余裕を持って30分前には到着出来る電車に乗る。駅
に着くと当然時間があるので「このビルの3階に本屋があった筈だ」と思い入った。
取り立てて買いたい本も無いのだが、文庫本のコーナーはタイトルと表紙を観てい
るだけで楽しいので良く立ち寄る。「東海林さだおの丸かじりシリーズが出ていたら
買おうかな?」と思ったら東海林さだおの本は3冊だけあって、そのうち2冊が丸か
じりシリーズだった。このシリーズで困るのはタイトルがどれも似ている事で、例えば
「さんま、ゆで卵、アンパン、目玉焼き、...」の下に「...の丸かじり」が付くのだ。



はっきり言って、中身も似たようなシリーズなので、「はて、これ読んだかな?」とパ
ラパラと中身を見るのだが、持っているのかどうか解らなかった。仕方が無いので、
発行日を見ると2016年6月と2015年6月なので大丈夫と思いレジに向かった。
「有隣堂」という書店で「カバーをおかけしますか?」と聞かれたので「お願いします」
と応えると、「どの色になさいますか?」と指差された紙にはカバーの色が10色以
上あった。2冊買ったので本当は違う色にしたかったが、レジには行列が出来てい
たので素早く決めねばと思い、一番左の紺にした。打ち合わせが終って帰りの電車
の中で読もうと考えていたので、バッグのサイドポケットを開けて入れようとしたら、
中に既に2冊文庫本が入っていて、カバーの色も入れようとしていたカバーと同じだ
った。「まさか?」と思って入っていた2冊をめくったら2冊とも「東海林さだおの丸か
じりシリーズ」だった。「同じ本を買ってしまったのかな?」と思ったら、違っていてほ
っとした。それでも2冊とも、しおりの位置からしても半分も読んでいない事が解る。
勿論、内容など記憶にないので新刊を買ったのと同じだ。つまり、1年前とまったく
同じ行動をした事になる訳で我ながら呆れてしまう。カバンなど会社に置きっ放しだ
し、本を買ってカバンに入れた事などもすぐに忘れてしまっているのだろう。困った。



最近、こんな経験は珍しくない。最初の頃は「俺も齢を取ったなあ」と悔しかったが
近頃「最近自分にがっかりした事があったけれど、なんだったかな?まあいいか!」
で済ませてしまう。そろそろ鏡を覗いても「お前は誰だっけ?」と言いそうになりそう
だ。前に書いたかどうかも忘れてしまったジョークだが(書いてるに決まっているが)
「ボケ防止の本を買って来たからもう大丈夫だ!」とお爺さんが言ったら「昨日もそ
の本買って来た」と孫に言われた、という話。案外長生きするのではあるまいか?

東海林さだおの丸かじりシリーズだが、面白いのでお奨めします。漫画はあまり好
きではないが、エッセイは面白いし挿絵も秀逸だ。食べ物に対する好奇心が物凄く
て人がやらない食べ方や、人がやりたい食べ方を実際にやって記事にしているの
が楽しいし、値段も安いものばかりで「真似してみようかな?」と思えばすぐ実行出
来る。例えば「スイカを丸ごと1個食べる」話があるのだが、スイカを切らずに皮を全
部剥いてボール状のままかじりつくのだ。正にスイカの丸かじりで、思った程美味し
くなかったような結論だったと記憶している。こういうのって、読み終えてから真似し
たいようなしたくないような微妙な気分になる。こういう話で一杯なのでお奨めする。

この記事を書こうと思って、バッグは絶対に家に持ち帰ろうと朝家を出たのだけれ
ど、見事に忘れて帰宅した。なので所々記憶で書いている。近々、又武蔵小杉に行
く予定になっているのだが、行く度にバッグが重くなりそうだが、まあいいか。


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秋の味覚は芋と松茸だけじゃない [老後]

子供の頃は秋になると山に遊びに行った。目的は山栗とアケビで、結構美味しかっ
た。でも山栗はそう取れなかったので、里に降りて来て農家の栗畑を狙って怒られ
た。やはり栗はそう簡単に手に入らなかったが、母に茹でて貰って食べた味は今で
も忘れられない。私は現在所沢に住んでいるが、車で走っていると芋掘りののぼり
を良く見かける。サツマイモが2株で500円、サトイモが1株で400円とかの料金案
内があり、お金を払って迄も労働して芋を買うという事に私は奇妙な感じを受ける。
家が農家だったので、子供の頃はジャガイモ、サトイモ、サツマイモ堀を手伝わされ
た。芋堀など苦痛でしかなくて、何でこんな事にお金を払わなければならないの?
という思いしかない。お金を頂けるのならば、まあやってもいいかな?位の気持ちし
か無くて、ましてやお金を払ってまで嫌な作業をするという事が理解出来ないのだ。
そして作業がダサい、田舎臭いと心のどこかで思っている。昔、家内が幼稚園児の
長男を自転車に乗せて家に帰ろうとしていたら、農家の人に呼びとめられたという。
「これからTVの取材があるので、楽しく芋掘りをしている親子を演じてくれないだろ
うか?」と言われたという。私はこの話しを聞いて「余程、芋掘りする親子にピッタリ
の顔だったんだね」と言って大笑いをしてしまった。家内は「どうせ私は」と怒ったが。



育ちのせいなのだろう、柿などスーパーで買う気がしない。これが梨か葡萄やみか
んならば、買ってたべようかな?という気になる。けれども「柿を買って食べる?」と
いう発想が無い。何故ならば、田舎では柿などタダで幾らでも食べられた。この感
覚、例えば静岡のみかんや山梨の葡萄の県民に「その果物って、買ってでも食べ
たい?」と聞いてみたい。子供の時にタダで食べられた物は、買って迄食べたいと
思っていないのだ。ましてや芋、などと言ってしまったら罰があたるのだろうけれど。

家内の実家はお寺と言う事は何度も申し上げて来たが、境内に落ちている銀杏は
拾っても構わないと思っている人が大勢ではあるまいか?これはお寺にとっては痛
い事なのだ。銀杏はお寺の行事の料理に使うので、足りなければ買わなければな
らない。けれど、参拝者にして見ればお寺は公共の場で、銀杏など公共の場に落ち
ている臭い物で拾ってあげた方が良い、と思って居られる方が大半だと思う。私も
家内と結婚しお寺の内情を知る前はそうっだった。義姉も時々銀杏を拾っている老
人に「何してるんですか~?」と柔らかく注意をするらしいが、あまり効果が無い。

秋といえば松茸だが、坊主の義兄は松茸貯金という物をしており毎年国産の松茸
を我が家に送って来て呉れた(過去形に注意)。やはり「秋は松茸だ!」というので、
秋に寺に行けば松茸ずくしの御馳走が出て来た。でも、松茸貯金をして迄御馳走を
してくれている訳で、世間で言う程の「坊主丸儲け」では決して無い。けれども、家内
の姉の子供達が幼い時に「じゃん(義兄)が、朝早く境内の松ノ木の根元に松茸を
植えておいて、松茸が出てるぞと朝早く起こしてくれた」といういたずらを聞いたら、
やぱりこんないたずらが出来るのは儲かっているんだなと思えて仕方が無かった。



このお寺福島県の会津若松にあるのだが、観光客目当ての松茸街道というのがあ
り軒並み道路を挟んで松茸を売っていた。中には国産品と偽って韓国産の松茸を
売っているお店もある。義母は小学校の教師をしていたので、こういう商売を許せ
ない性分で「韓国産でしょ!」と言う。それだけならば良いのだが、それを値切って
結局買わない。店主とのやりとりをはらはらしながら見ていた私は、結局「?」で終
わってしまうのだが、秋の収穫を一番楽しんでいるのは義母だという事に気付く。
もう90歳になろうとしているのだが、実りの秋を何時までも楽しんで欲しいと思う。
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七転八倒 七転び八起き 七勝八敗 [老後]

ブログの記事を書く時間が無くて困ってる。昨日もバイト先で9時から17時迄働いた。
私は昼食を食べない主義で他の社員が昼食時間でも仕事をしている。たまには仕事
をしている素振りの時もあるが、時給なので労働時間は8時間と自己申告している。
会社に拘束されている時間なので正当な申告だと思うのだが8時間も働いてしまうとブ
ログを書いている余裕も無い。労働時間が7時間でも苦しいので正に七転八倒状態だ
が転んだ状態では又転べないので矛盾している諺だと思ってたが試した子供がいた。



子供電話相談室で、実際に相談者の子供が「七転び八起き」をやろうとしたが「七転び
七起き」になったという疑問を呈したエピソードが紹介されていた。先生が説明をした後
「ホントにやったのは偉い」としたもののすぐさま別の先生が「七転八倒の方はやらない
方が良い」と突っ込むあたりさすがである。確かにどちらかといえば七転八倒するより
は七転び八起き的な人生を歩みたいものだがなかなかそれが難しいのだと痛感する。

今場所の稀勢の里を見ていて失礼だが彼こそ「七転八倒」状態だと思う。横綱の期待
がかかる余りなのであろうか?皆の期待を裏切り続けて久しく、その間に琴奨菊が優
勝してしまったし今場所は豪栄道が優勝しそうな勢い。それこそ相撲が七転び八起き
ではあるまいか?八勝すれば勝ち越しで、7勝の負け越しとは雲泥の差なのである。
それにしても、相撲という格闘技は凄いなあと思うし、日本の国技である事が誇りだ。



八時間働いて八時間寝れば残りの八時間で何とか色んな事を済ませねばならない
訳だが、そうは都合良く行かないので大抵は睡眠時間を削るしかないのだろう。老人に
なって来てつくづく思うのだが「眠るのにも体力が要る」という事。息子がまだ26歳なの
だが、休みの日は羨ましいほど良く寝ている。私も寝ていても良いのだが残されている
時間が少ないと思うと何かしないではいられない、とは言っても新聞を読んだりTVニュ
ースを見る程度なのだが。昔近くに住んでいた60代後半の女性が「夜中に眼が醒める
とどうして良いか解らなくなるので12時まで我慢して起きている」という話しを聞いた時
に私はオンラインゲームに夢中で時間が幾らあっても足りなかったので「眼が醒めると
いう事は体がそれ以上睡眠をとらなくてもいいですよ、と言っている訳なのだから起き
自分の好きな事をやればいいんじゃないのかな?」と思っていた。ところが実際に同じ
ような年齢になってみると彼女の悩みが解って来た。要は「枯れて来た」のだ。月で
言えば九~十月、七月や八月を過ぎてしまい「やれやれ」と思うのと「まだまだ」と思う
と言えば良いのだろうか?要するに人生の秋なのだ。七転八倒か七転び八起きはとも
かく次は九なのだ。この九が苦にならないように頑張らねばと思いながら眠ろうと思う。
もっとも寝相は七転八倒なのだろうが、本人は気が付かないので長生きするのだろう。



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幽霊とお化けを見分ける方法 [老後]

ネットで調べて見たのだが、柳田国男氏の説が主流らしい。それは"幽霊"は「特定
の時間(丑三つ時)、特定の相手に対してだけ、場所を選ばずに現れる人間の霊」
"お化け"は「丑三つ時に限らず特定の場所に現れ、誰にでも見えてしまう動物や器
物、または人間の霊」。別な説では、”足がないのが幽霊で、あるのがお化け”という
説もあるがイマイチかな?私が好きなのは(?)綺麗な人が"幽霊"と呼ばれ色んな
職場から引く手あまた、それ程でもない人を”お化け”と言い働き口はお化け屋敷
しかない。なので万が一”お化け”と遭遇してしまったら「お化け~!」と叫ぶと益々
酷い目に遭うので、「幽霊~!」にしましょう。(もっとも余裕があればの話しですが)
男はどうなる?という突っ込みはご遠慮下さい。そんなの妖怪と一緒で沢山だろう。

昔、お台場の東京ジョイポリスにハイテクのアトラクションがあるというので行った。
アトラクションの一つに”お化け屋敷”があったので、さぞやハイテクで怖がらせて
くれるのかな?と思い入り口に並んだら、「お化けを殴らないで下さい!」の立て札
があって笑ったが、ハイテクを期待していたのでがっかりしてしまった。入り口で
案内している太った店員に立て札の理由を尋ねたら、「酔っ払いや、カップルの男が
良い処を彼女に見せようとしてお化けを殴るんですよ!」と言う。お化け屋敷を体験
して出て来たら、さっきの店員に「どうでしたか?」と聞かれたので、「貴方が一番
怖かった!」と言ったら、むっとしていた。私は何時でも一言多いんだよなあ。

「ばけべそ」、もう死語で落語家しか使わない言葉だけれど、意味は「化け物がべそを
かいているような酷い顔」。私はそういう人に会った事が無いので「すぐ隣に座ってる
よ!」というラッキーなご主人が羨ましい。(立腹したら事実になってしまうので注意)
昔は夫婦喧嘩で良く使っていたらしいのですが、使ったご主人は短命だったそうな。

私は”幽霊”や”お化け”が存在するとは思わないが、存在するという方が沢山おいで
なので存在を否定しません。”幽霊”や”お化け”の種類(?)にもよるけれども、
冷たかった世間を恨み無関係の人を脅かしたり傷つける、先祖が自分をないがしろ
にした恨みで子孫に酷い仕打ちをする等は理不尽だ、なのでいないと思いたい。
この理不尽を逆手に取ったアメリカ映画があり、毎晩ある女性が名も知らない女の
モンスターに酷い目に遭う。頭に来た彼女は女の墓場に行って棺桶から遺体を引き
ずり出してボコボコにしてしまう、という話。私はこの映画を観ていないが(観る気も
無いけれど)紹介記事で笑った。正にサム・ペキンパーの「わらの犬」ホラー版だ。

どうしてこんな記事を書こうと思ったのか?と言うとバドミントン仲間の女性が、
「私は幽霊に遭った!」と話し始めた。(私も今目の当たりにしてます。御免ね)
「ある事情で遺骨を室内に置いている女性に届け物があり訪ねた。チャイムを押し
たら奥から玄関に近付く足音がしたけれどもドアが開く事は無かった。仕方が無い
ので荷物をドアノブに掛けて帰った、後日その女性から留守を詫びる電話があった。
息子も同じ経験をした」と言った。(真顔が怖かった。)実際に幽霊に遭った訳では
無く足音だけなので、例えば風、猫がいる、室内で犬を飼っている、幽霊と同居し
ている(それならば納得)ではないのかな?と私は考えてしまうのだが、勿論反論
など怖くて出来ない。彼女が遺骨があるのを知っていたから、別な音を人の足音だ
と思い込んでしまったのではないか?知らなければ遭わなかったのでは?とも思う。

家内の実家は会津若松のお寺、名前を出しても良いですか?と義兄に聞いたら「年
間使用料は幾らだ?」と訊いて来たので使えません。このお寺には「幽霊の足跡」
という名物(?)があり、本堂の床に片足で踏んだような跡がある。TVでも紹介
されていて、義兄が緊張のあまり京都弁(花園大学卒)と会津弁がごちゃ混ぜにな
った解説をしていた。幽霊には足が無い筈なので、随分と人を喰った名物ではある。
「造るのに苦労したでしょう?」と訊くと「昔からあった!」と言う。本当かなあ。
この名物は観光に来た小学生に人気で、義母が案内していたが高齢になったのと、
無料なので現在は公開していないが、”幽霊の足跡のキーホルダー”を500円で
売っていて、”死ぬまで長生き出来るお守り”が何と、たったの千円!(本当は
お不動様のお守りです)。この義兄に「死んだらどうなるんですかねえ?」と訊いた
事があったが、「何も残らん!」の回答で身も蓋も夢も希望も無かった。それでは
商売あがったりだと思うのだが深い意味があるのかも知れない。良かったら訪ねて
見て下さい。ただ最近の葬儀不足を嘆く義兄に生き仏にされないように注意が必要。
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