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「貰って迷惑なプレゼント」は「メルカリ」で [教育・生活]

貰って迷惑なプレゼントなどケチな私には「無い!」、と言いたいところだが、今まで貰ったプレゼントの中にはそういう品物があったなあ、と何点か思い出した。それでもここにそれを書いてしまうと、プレゼントして下さった方に申し訳ないし、気分を害され「もう二度とお前には何もやらん!」と言われそうなので止める。「下手な鉄砲も数打ちゃあ当たる」なので、懲りずにどんどん私にプレゼントを下さい、ってこんな上から目線じゃ誰からもプレゼントなど届くまい。私がケチだからというのも理由の一つではあるのだが、プレゼントを贈るのも苦手で「こんな物貰っても相手は嬉しいだろうか?」と考えてしまい、あまり贈った事も無い。この前、娘の誕生日にプレゼントを要求されたので、仕方がないので「MAMORIO BLACK 世界最小級の落し物防止タグ」を贈った。例えばハンドバックにこれを入れて置くと、手元から離れるとスマフォに通知が送られてくる。地図でハンドバックの位置も判る。しょっちゅう無くし物を捜している娘なので、良いプレゼントだと思ったのだが、娘は「受け取った」という事をLINEで知らせて来ただけで、その後何の音沙汰も無い。贈らねば良かった、と思ったりもするが「まあ、いいか」。それはともかくネットで「貰っても困るプレゼント」を調べて見て、思わずうなずいてしまった物を紹介する。


”自作ポエムが10分超はいったmicroSD、朗読付き”、”自作の歌が入ったCD”
”好きでもない人の「おはよう、今日も可愛いね”の声入り目覚まし時計”
”相手の写真が入っているフォトフレーム”、”貝殻の詰め合わせ”、”サボテン”
”気持ち悪い手紙”、”訳の解らない、自分で描いた絵”
”好きでもない人からの、誕生日に送られて来た100本の赤い薔薇”
”職場の男性から手作りケーキを1ホール”、”超特大生シュー30個”
”ティファニーの指輪をくれた後、お金がないって言われた”
”誕生日のメッセージカードに「もしも浮気しても戻ってくるから」とあった”
”でっかい観葉植物”、”鳥取砂丘でかき集めた砂”、”結婚式の写真入り皿”
”SMボンテージの衣装と鞭”、”日本人形”、”お守り、パワーストーン”
”お節介な父から誕生日に送られて来た、忘れ物防止グッズ”


こういったプレゼントを捨ててしまうには勇気がいる。相手は良かれと思ってプレゼントしてくれたのだから。中にはゴミを押し付けられたのでは?と思うような物もあるけれど、こういった被害者(?)の方に朗報なのが「メルカリ」ではあるまいか?私も評判の良さを聞いており、この記事を書く為にアプリをインストールして見た。「メルカリ」を簡単に説明すると「売る人はスマフォで写真を撮って特徴、値段を入力するだけで簡単に出品出来る」「買う人は、欲しい物を選んで支払い方法を選ぶだけ」「魅力は誰でも、どんな物(常識内)でも出品出来るので、今では売っていない物も手に入る」。商品をざっと眺めてみたが、紹介した「貰っても困るプレゼント」を出品したのではあるまいか?と思えるような物で溢れていた。それこそ「こんな物、欲しがる人がいるのか?」と思うような商品もあり、見ているだけでも面白いので、スマフォ版フリーマーケットと言えば良いだろうか?アマゾンや楽天にはない魅力がある。いろいろトラブルもあるようだが、今の時代にマッチした良い仕組みだと思う。娘にあげた「物忘れ防止グッズ」もまだ出品されていなかった。気になったのが「チケット」で、今場所も話題になったが、大相撲の前売り券が国技館での窓口販売前に完売してしまい、せっかく長時間並んだ人が買えなかった。気になって大相撲のチケットを見てみたら、砂かぶり一人升席 11、700円が53、000円で売られていたが、こういった業者のチケットを載せるべきではあるまい。「メルカリmercari」とはラテン語で「商いをする」という意味なのだそうだが、私は「たすかり」を連想してしまう。私も「メルカリ」に何か出品しようかな?と思ったが止めた。「貰って困るプレゼント」でも、その気持ちは有難いからで、それまでもお金に換えてしまうのは嫌だ。「サボテンを 贈られ気付く 我が気性」


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「2分の1成人式」止めませんか? [教育・生活]

新聞を読んでいたら「2分の1成人式 学校に浸透」という記事が目に留まったが、私には聞き慣れない言葉だ。私の子供達の小学校時代など、もう20年近く経つので、今の小学生が学校でどんな行事をしているのかなど見当もつかない。我が子の小学校時代とさほど変わりあるまいと思っていたのだが、どうも最近の小学校の行事は昔と違って来ているようだ。その典型の一つが「2分の1成人式」で、10歳になった事を祝うのだが、この行事が定着しつつあると言う。10歳ならば小学校4年生が対象で、成人式と同じ1月などの3学期に行われる事が多い。この行事で行うイベントだが「1.親への感謝の気持ちを読み上げる」「2.将来の夢や10歳の決意の発表」「3.親から子にメッセージを送る」「4.子供たちの合唱」「5.2分の1成人証書の授与」を両親と共に行う。私はこんな行事が小学校で定着しつつある事に違和感を感じた。「無理やり親子を感動させようとするお節介な行事で、何だか結婚式で花嫁が両親に感謝する手紙を読み上げる、臭い演出に似ているなあ」と感じたからである。そして、2や4や5は良いとしても、1と3は様々な問題を含んでいる。親子の関係が問われているからだ。


私立ならまだしも、公立ならば様々な境遇の子供がおり、必ずしも幸福な家庭環境にある子供とは限らない。記事にもあったが、ある小学5年生の女の子は”親は離婚し、一緒に暮らす父親は子供に無関心。そんな状態の子が親への感謝の作文を書くように言われたのだが「嘘をつくのは嫌だ」と感じた。それでも周囲の目を気にして自分を殺して書いたが、読んだ担任は「感謝の気持ちが足りない」と、2度書き直しを指導された。親から子供への文章も必要だったが、父親は書いてくれず、祖父に頼んだ。女の子は「何の感謝もしていないし、つらいことの方が多かった。みんなが幸せな家族じゃないのに」とこの行事を思い出して泣いたという”。そして、ある先生は”こういう子供がいる事を配慮して保護者を呼ばず、子供が将来の夢などを考える授業に変えたら、保護者から「上の子供の時はやったのに、どうして今年はないのか」「楽しみにしていたのに」などの苦情が寄せられたが、子供からの文句はなかった。親を喜ばせるイベントで苦しむ子供がいるくらいなら、やめてしまった方がいい”と語っているが、同感だ。苦情を言った保護者も、少し考えればイベントを止めた理由が解りそうなものだが、その前に学校側がこんなイベントをやれば苦しむ子供がいる事に気付き、最初からやるべきではなかったと思うのだが、逆に浸透しているというので理解に苦しむ。


数日前は「母の日」だったのだが、ある先生は「今年からお母さんへの感謝を作文にする授業は止めました」と母親のいない女の子の祖母に言ったら、泣いて感謝されたそうだ。今時、虐待を受けている子、親のいない子、離婚・再婚した子などは珍しくない。まして公立だったら、忙しくて学校の行事に参加できない親もいるだろう。そんな子供にとって「入学式」「卒業式」「授業参観」「発表会」「運動会」等の行事は、辛い思い出しか残らないのではなかろうか?そこに「2分の1成人式」の行事まで加えるのは酷というものだろう。言うまでもなく小学校は親の為にあるのではなく、子供が立派に成長する為にある。「親はなくとも子は育つ」という諺があるが、”親がいなくても、子供は、まわりのいずれかの人の、あたたかな心づかいと、 自分自身の力で、どうにか育っていくものだということ”の意味であって、逆に言えば”親がいない子は、まわりのあたたかな心づかいがなければ育たない”のだ。そういう意味でも「2分の1成人式」に私は腹が立つ。
「親なんか 学校に来なくても 子は育つ」


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良心は教わらないと育たない?またまた「道徳」 [教育・生活]

2016年7月に”道徳を評価出来るんですか”と今年の3月に”再び「道徳を評価出来るんですか」”のタイトルで記事を書かせて頂いたが、三度「道徳」について書かせて頂く。今朝の新聞投書欄に4月に女子中学生(12)が投稿した”「答えが無い」それが道徳です”に対する大人の反響が載っていた。彼女の主張を要約させて頂くと”小学校の道徳の授業でも本はあったが、それはあくまでも、といかけとしての話です。道徳は、人によって感じ方が違うから「道徳」なのだと思います。教科になるのはうれしいのですが、子どもたちが「こう考えるように」などの答えをつくるようになってしまうのなら、評価をしない方がよいのではないでしょうか。道徳とは、色々な視点から物事を考える「答えの無い」ものだからこそ、必要なのだと思います。答えのある「道徳」は子どもには必要ないのではないでしょうか。(中略)答えの無い教科。それが「道徳」の「答え」では?”と禅問答のような問題提起で締めくくられている。


この投稿に4つの反響が載っていたので要約して紹介すると”「問いかけ」から物事を考えてこそ、「道徳」の意味があると投げかけられて、気付かされた。教えられるのではなく、根っこから考え、対論することで生まれ育って行くことが「道徳」であり、人生に大切なことなのだ。/84歳主婦”、”道徳の勉強は、人と人との正しい関係を考える為にとても大事だが、大人から教えられる必要はないと思う。大人が子供より正しく考えているとは言えないし、教えられなくてもよく考えれば解る。/83歳男性”、”道徳とは「人として生きる道を学ぶこと。そのために評価にとらわれず『私の意見』をいうことではないでしょうか。/22歳女子大生”と、ここまでは投稿者と同意見の私の頭にも、すっと入って来た反響投稿だったのだが、一つだけひっかかる反響があった。”道徳に答えが無くてもよいのでしょうか。例えば、道徳の授業で、いじめで苦しんでいる人の例を話し合って「やはり、いじめはよくない」という結論を出してはいけないのかな?道徳とは、どういう事が良くて、どういう事が悪いのかを話し合い答えを出すこと、善悪を判断する心を育む事だと思います。私はこの心を良心と考えます。それは教わらないと育たないのです。「読み書き算盤」が、教わらないと出来ないのと同じです。”81歳の男性の投稿だった。職業が元小学校長とあったので、彼の意見に長年の教育者としての自負が読み取れる。


揚げ足をとるようで申し訳ないが「いじめはよくない」は小学校低学年の子供ならともかく、道徳以前の問題であるし、大人顔負けの問題提起をしている彼女への例え話にしてはお粗末である。私が一番気になったのは「良心は教わらないと育たない」という決め付け、そして「読み書き算盤」と「良心」が同じレベルで語られている事だ。「道徳」を通して「良心」を教え育てるのも一つの手段かも知れないが、果たして無理やり押し付けられた良心が本人の身に付いているのか?が疑問なのだ。それよりも議論しても答えが見つからず、悩み考えた末に、自分なりに心の落ち着く答を模索する事こそ、真の良心を育てる一番の方法ではあるまいか?この結論、冒頭で彼女がすでに言っているので、私は二番煎じ。なので、私は良心に恥じねばなるまい。
「道徳で 良い子が育てば 苦労せぬ」


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「地毛証明書」という名の人権侵害 [教育・生活]

朝日新聞DIGITALから引用させて頂く。”東京の都立高校の約6割が、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、生まれつきの髪かを見分けるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を提出させていることがわかった。勘違いによる指導を防ぐ狙いがあるが、裏付けのために幼児期の写真を出させる例もあり、専門家から疑問視する声もある。”「地毛証明書」が何故必要か?なのだが”東京都は全国で唯一、私立高の数が公立を上回る。墨田区の高校の副校長は、証明書を求める事情を「私立は都立より生活指導をしっかりやるイメージが広がっている。学校が乱れれば、入試の倍率が下がる」と説明する。”私はこのニュースを聞いて「北の国から」というドラマのあるシーンを思い出した。記憶で記事を書いて間違えるのが嫌なのでネットで調べたらヤフー知恵袋に「北の国から’89帰郷 で大嫌いなシーンがあります」というタイトルで”久しぶりに富良野に帰郷した純は金髪だった。寝ている純の枕もとには、歴代の番長たちが勢ぞろいして、手にバリカンを持ち、「ぼうず頭にするか、黒く染めるか、どうする?」と迫るシーンがあるが、おかしいし大嫌いだ!”と疑問を投げかけていた。89年から30年近く経っても、学生ならともかく若者の金髪や茶髪も大人になかなか認めて貰えないのが現実である。


私が高校生の時、高齢の国語の教師が「お見合いの席に、マニキュアをして来た女性には落とさせて席につかせる」と自慢(?)していた。彼は仲人をするのが趣味らしく、見合いの席を何度も設けた経験を話した。「髪を染めているのは、その場でどうしようもないので黙認するが、厚化粧も直させる」と得意げに話すので、不愉快だった。「貴方が見合い相手の男性ではあるまいし、女性は少しでも自分を良く見せようと努力して来た訳で、結果として金髪、厚化粧、マニキュアになったとしても、それは彼女そのものを表しているのだから、そういう女性が好きか嫌いかは見合い相手の男性に任せるのが筋だろう」と思った記憶がある。もし、高校生の茶髪や金髪に問題があるならば、髪の色に問題があるのでは無くて、染めた動機に問題があるのだと思う。なので、染めた動機も聞かずに表面だけ黒髪にしても、問題の解決にはなるまい。生徒を指導するという事は、そういう事ではあるまいか?無理やり地毛や黒髪にしても、生徒の悩みは解決しない。一目で染めたと解る茶髪や金髪の生徒には、そういった対応こそが必要だ。


ところが「地毛証明書」は別のところに問題がある。「生まれつき茶髪なのに、黒く染めさせられた」「地毛であるという親の念書を提出させられた」「天然パーマであることを美容院で証明して貰った」等々、学校側が生徒を信用していないのだ。人はそれぞれ個性を持ち、当然髪の毛の色も質も様々なのだが、少し茶髪でも一律黒髪に染めさせる教育方針が恐ろしい。全ては「学校の評判を守る為」なのだろうが、本当に守るべきは「生徒の人権」だろう。私立はともかく公立はもっとおおらかであるべきで、生徒の自主判断に任せてこその教育だと思う。近々、文科省が「男子は丸坊主、女子はおかっぱしか許されない」「男女が会話をしたものは即停学」と時代錯誤を言い出すのではあるまいか?「茶髪より どうせやるなら モヒカンに」


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好きな言葉は恋?愛? [教育・生活]

何時もの新聞のアンケート調査ネタで恐縮だが、今回のアンケート調査は記事タイトル通りで「恋」と「愛」どちらの語感が好きか?なのだが、1632人の方がアンケートに答えており、結果は「愛が62%」「恋が38%」だった。英語ではどちらも「LOVE」なので、やはり日本語って凄いなあとつくづく思う。理由だが「愛」と答えた人は「相手をおもんばかる気持ち」「人間以外にも対象が広い」「恋より深さがある」「人生で一番大切な気持ち」「永続的な気持ち」等々だった。一方「恋」は「ドキドキする言葉だから」「青春時代を想起させる」「特定の相手を思いだす」だった。私は「愛」が好きだ(顔が真っ赤)。このアンケートの紹介記事の冒頭に”不倫の場合、相手は「愛人」と呼ばれ、「恋人」とは言いません。”とあったが、それは第三者の立場から見ての話で、当人同士は「恋人」と思っているのかも知れない。まあ、どちらでも私には縁が無い話ではある。


このアンケートを紹介したかったのは、寄せられたコメントが名言揃いだったからだ。多分、自分の人生経験から出ているのだろうが、深い。「恋は自由。愛は重たい自由/81歳男性」「恋は乞う、愛は会う。ないものを望むのが恋で、そこにあるもの愛でしょうか/59歳女性」「恋=松山千春、愛=美空ひばり/53歳男性」「愛は宇宙で、恋はその中の地球やさまざまな星/51歳女性」「恋は有償、愛は無償/61歳男性」「恋の方が軽いという扱いを受けている。恋は直木賞、愛は芥川賞なのか/59歳男性」。コメントやこの記事でも指摘しているように、愛と恋を比べると愛の方が上。上という言い方はおかしいかもしれないので、より崇高と言う表現になるのだろうか?例として「人名に愛が使われる事は多いが、恋は少ない」「県名でも愛はあるが、恋はない」をあげていたが、ちょっと説得力に欠ける。「人間にとって大事な気持ちは?」の設問では「愛92%」「恋8%」だったのだが、「どっちが好きな言葉か?」では「恋38%」に増える。理由は「人は恋に憧れているから」で「恋の体験は万人がすべきだ。でないと、人間の崇高さはわかっても人間のでたらめさ、いい加減さは分からない。恋ほどその人をもろに表すモノは無い。愛はいずれ人生のどこかで考えなければならぬ問題になる。恋はそうではない。損得を無視する衝動が人間にあることを教えてくれるのは恋だけ/75歳男性」


このアンケート調査に答えている人の年齢層が高い事に、今気がついた。50歳以上の方ばかりで、若者が見当たらない。まさか、50歳以上の方を対象にしたアンケートではあるまいな?もしそうだとすれば「恋38%」という数字は素晴らしい。綾小路きみまろのギャグに「老人ホームで一番生き生きしている人は、何時も恋をしている人なんです!」というのがあったけれど、若さを保つ秘訣なのかも知れない。「恋や愛といったアンケートは気恥ずかしい?」の設問に「はい35%」もおいでだったので、ますますこのアンケートは50歳以上が対象だったのではあるまいか?との思いが強くなった。私もこの記事を気恥ずかしい思いで書きました。昭和23年、68歳の歌人川田順が弟子と恋愛、家出し、詠んだ句で「老いらくの恋」という語が生まれた。「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」


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5月病という病気は無い? [教育・生活]

「そんな事言われても、今の私の状態は5月病なのに」と嘆く若者が多いのではなかろうか?「老人には5月病など無い!」と私は言いたいのだが、私も軽い5月病にかかってしまったような気がする。バイト先の会社のゴールデンウィークはカレンダー通りだったので、連続して休めたのは3日~7日の5日間だったが、久々に結構長い休みに感じた。休み明け初日の8日から何故か仕事が忙しくなり、何時も午後2頃帰宅(私は昼食を取らない主義で、昼休みも働いている)出来たのだが、今週はお客様との打ち合わせが多く、午後5時迄仕事をする事が多かった。このままでは過労で死ぬのでは?と思った程だが、普通のサラリーマンの普段の勤務時間なので、我ながら自分の気力と体力の衰えが情けない。おかげで、昔、学生や勤め初めに5月病になった事を思い出してしまった。考えて見れば、4月に新しい環境での生活になり、やっと生活にリズムが出来た頃にゴールデンウィークに突入する。しばし昔の自分に戻れたと思ったのも束の間、ゴールデンウィークがあっという間に過ぎてしまい、明日から又学校や会社かと思うと、憂鬱になってしまう。もしかすると、ゴールデンウィークが無ければ5月病にもならないのでは?と思ってしまう。


新聞に「ああ、5月病」のタイトルで投稿が載っており、投稿者はすべて大学生だが学年がまちまちだ。「暑すぎず寒すぎない爽やかな空気を吸っても、出て来るのはため息/昭和女子3女性」「5月にかかわらず、5月病みたいです/東京理科3女性」「朝9時なのに起きられません。早寝早起きを取り戻したいです/早稲田2女性」「勝手に授業を休む「自主休校」を覚えるのも5月病の症状の一つ/明治4男性」「毎朝同じ時間に乗るバスの列が短くなり、世間の5月病を実感../法政大学院1女性」等々、紹介している私の気分もますます落ち込んでくるような投書ばかりである。そして、「昔私もそうだった」と共感するような症状に懐かしささえ感じる。でも、そんな時期があっても良いのではなかろうか?何しろ人生は長いのだから、時々さぼらないとやっていけない。どうも5月病は真面目な人、責任感の強い人、感受性の豊かな人程かかりやすいようだ。私など3拍子揃っているので、老人になっても5月病になってしまうのだろう(さらっと読み飛ばして下さい)。


「5月病マリオ」という名前の漫画家がいる事を初めて知った。漫画家というよりイラストレーターと言った方が良いのかも知れない。マリオとは任天堂の「スーパーマリオ」ゲームに出て来るマリオの事で赤い帽子を被っている。このゲームはキノコを食べて無敵になったり、土管に出入りしたり、ジャンプして金色の大きなコインを集めて得点を競うのだが、それがネタになっている。例えば「実は自分キノコとか嫌いやねん」「こんなもん 食いもんとちゃうやろ..」「何この金 石器時代かよ」「土管って 皆横から見てるから分かんないだろーけどさ..すげー深いんですよ。コワい」「絶賛 5月病中だ 悪いか」等々、5月病にかかったマリオがぼやきまくっていて笑える。一番笑えたのが、何故かドラえもんが登場し「のび太君..もう..ジャイ子で良いじゃん..」とかったるそうにぼやいているイラストだった。そうなんだよなあ、無理して頑張り過ぎちゃうから、5月病になっちゃうんだよなあ。「5月病 6月になれば 治ります」


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屋根より低い鯉のぼり [教育・生活]

”やねより たかい こいのぼり おおきい まごいは おとうさん ちいさいひごいは こどもたち おもしろそうに およいでる”は「こいのぼり」という有名な童謡だが、作詞者は近藤宮子さん、作曲者は不詳なのだそうだ。2番目は「みどりの かぜに さそわれて ひらひら はためく ふきながし くるくる まわる かざぐるま おもしろそうに およいでる」。「いらかのなみと~」で始まるもう一曲があった筈と思い調べたら、「鯉のぼり」と漢字表記になっていたが作曲者は弘田龍太郎氏、作詞者は不詳、「こいのぼり」と不詳が逆なのが面白い。「こいのぼり」なんて幼稚園児が歌うもんで、俺たちは「鯉のぼり」だろうと、生意気な小学生だった私は思ったものだ。ところが「いらか」が何だか解らなかった。本を見たら「甍」とあったが、ますます解らなくなった。それでもそんな事も気にせず歌ったっけ。何しろ元気が出る軽快なメロディーなのだ。”甍の波と 雲の波 重なる波の 中空を 橘かおる 朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり”。甍とは屋根の瓦の事だと大人に教えて貰った。田舎で育った私は屋根より高く泳いでいた鯉のぼりが沢山あったのを思い出す。青空を川に見立てるセンスは日本人独特のものだろう。


現在私は埼玉県所沢市に住んでいるが、農家も多いので庭先に立てた丸太(本来は竹)に立派な鯉のぼりも結構見かける。てっぺんに矢車を立て、上から吹流し、真鯉、緋鯉、子鯉の順で「こいのぼり」の歌詞に逆らって申し訳ないが、緋鯉はお母さんである。農家でもない限り、屋根より高い鯉のぼりは無理だろう。少し広い庭があれば何とかなるけれど、そこまでして鯉のぼりを飾る気力が無い人が大部分だと思う。私もベランダに飾れる「鯉のぼりセット」を買った。手摺を利用して斜め上にアンテナのように伸びる棒にロープをかけ、鯉のぼりをロープに結ぶ。「真鯉と緋鯉の上下を逆にしないでね」と家内に先手を打たれてしまった。子供だましの1メートルも無い鯉なのだが、子供は大喜びだった。「こんなおもちゃで元気な子が育つのだろうか?」と思ったが、元気だけがとりえの立派な息子が育った。家の中に義母がプレゼントしてくれた「兜」も飾ったのだが、田舎の農家育ちの私は「やはり屋根より高い鯉のぼりが良いなあ」なのだが、諸事情が許さなかった。屋外用は10万円もする上に、狭い庭なので鯉の尻尾が風で隣家にはみ出してしまう。竿に尻尾をしばられた鯉のぼりでは元気な良い子は育たない。


2017年4月1日現在、15歳未満の子供は1571万人で、男子が805万人で女子が767万人、昨年より17万人減り1950年以降で最低になった。人口に占める割合は12.4%で少子化に歯止めがきかない。「少数精鋭」という言葉にすがるしかないのかも知れないが、そんな子供を新聞投書に見つけた。「宿題 なぜ子どもだけに」というタイトルで”私はぎ問に思います。なぜ子どもに宿題があるのか。社会人になったらなぜ宿題が無くなるか。(中略)子どもはどんなにいそがしくても宿題をしなければいけません。そうでないと先生におこられる。子どもには子どものじじょうがあるんです、と言いたくなるけど、それは頭の中にしておきます。学校のつらいつらい宿題をのりこえた大人はすごいと思います。私の宿題へのぎ問は、宿題が終わるまで続きます。”たくましい男の子だな、と思ったら11歳の女の子だった。男の子顔負けなので、ご両親は大きな鯉のぼりで祝ってあげて下さい。私は金太郎の腹巻とまさかりをあげようかな?
「こどもでも いろんな なやみ あるんです」


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血圧計のおかげで血圧があがってしまった [教育・生活]

血圧を上げる要因の一つに、ストレスがあるそうだ。ストレスが交感神経を刺激してしまい、興奮して心拍数が増えることで昇圧物質が増え、血管を収縮させるため血液が流れる時にどうしても圧力を上げざるを得ないからだ。私は20年以上前から降圧剤を飲んでいて、今は「エックスフォージ」という薬である。一月に一度薬を貰うために病院に通わなければならないのだが、院長から「一週間で良いから、朝薬を飲む前に自宅で血圧を測って持って来なさい。」と言われたので、しぶしぶ従っている。朝袖をまくり上げて測定するのが面倒臭いのだ。20年前こそ、熱心に血圧計で測定して記入した血圧手帳を病院に持って行ったのだが、医者によっては見もしなかった。医者の入れ替わりの激しい総合病院で、20年間の間に数十人に診て貰ったのだが、医者によって方針がばらばらで、血圧手帳など持って行かなくとも何も言われないので、測定しない時期もかなりあったのだが、今度の院長は一週間分の血圧手帳を見せるようにと言われて半年は経つ。


毎朝自宅での血圧測定の数値と病院で測る血圧がかなり違う。自宅では最低100、最高140位なのだが、病院では85、130位なのだ。「一度自宅の血圧計を持って来て見たら?」と院長がいうので、持って行って比較する事にした。その日は提案した院長ではなく初めて会う医者でかなり饒舌だった。病院の測定では最低85、135だったが、私の血圧計は105、165と今までにない高い値が出た。「何年前に購入しましたか?」と尋ねられたので「20年前ですかね。上腕式が面倒なので一時手首式で測っていたのですが、誤差が大きいように思えて、今はこの上腕式です。古いから誤差が大きいのでしょうから買い直した方が良いですか?」と応えたら「近くに大型電気店も開店し、値段も昔より安くなっていますので是非そうして下さい。左腕で測って見ましょう」と言われたので、測ったら病院と同じような値が出た。「左腕でも良いんですか?」と尋ねると「右腕です。出来れば5回位測って平均して下さい。血液検査をしたのも一年前ですね。年に3、4回は検査すべきです。今日、やりましょう」と言う。「アマゾンで買う方が安い。左腕の測定は何の意味があったんだ?5回の平均なんかやっている程暇じゃない。そんなに血液検査をしたら貧血を起こすだろう。血液検査をすると解っていたら昨晩のお酒を控えてたのに」と心の中でつぶやく。この病院の受付の横壁には、一週間の担当医の名前が書いてあるのだが、どういう訳か数ヶ月前からほとんど空欄で院長の担当曜日が不明だった。出来れば院長に診て貰いたいと思うし、それが出来なくとも同じ医者が良い。何しろ、医者によって方針がばらばらなのだから。会計を待っている間に担当表を見たら、全部書き込まれてあり、院長の担当曜日も解ったので、今日の医者に遭う事も二度とあるまい。私は饒舌で年寄り扱いする医者が苦手だし嫌いだ。


自宅に帰り、早速アマゾンで血圧計を買った。5月2日に注文し、プライム会員なので翌日届くと思っていたが、翌日配達状況を調べたら6日土曜とあったので頭が「?」。気になって販売元を調べたら「ハンプラAmazon店」だった。「ハンプラ?外国?ハンプラディッシュ(バングラディッシュ)?」と想像したが、3日の夕方には届いていたので「あの配達状況の情報はフェイクか?」。それはともかく、早速測って新旧の誤差を比べて見たら殆ど同じで、結論から言えば、4千円も出して買い換える必要など無かったのだ。思えば私は高血圧の治療を受けている訳で、毎日血圧を測って高いだの低いだのと気にしていては、それこそストレスになり血圧を上げる効果しかなく、血圧が高いと解ったところでどうしろと言うのか?と叫びたくなるが、やはり暴論だ。毎日測定し、食事や運動に気を配り、お酒も控えて、ストレスになるような人や心配事は出来るだけ避けるべきなのだろう。けれど、頭では理解していても、なかなか実践するのは難しいし、そのギャップが又ストレスを生む。そんな努力をしてまで長生きするよりは..と思うが、やはりよいよいになっても長生きしたいのだが、今の日本はそんなストレスなど吹っ飛んでしまいそうなストレスで満杯なのだ。国民の最高血圧は200を超えているのではなかろうか?「良い数値 出るまで測る 血圧計」(私は一発勝負だ!)。


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PTAと どこか似ている 町内会 [教育・生活]

私のアルバイト先に小学4年生の男の子を持つバツイチの女性が社長に「これから学校の行事で早退、遅出になる事があります」と話していた。今年、学校の役員を引き受けたのだという。「高学年で引き受けると益々大変なので、今年役員をやってしまう事にした」と言っていた。彼女はご両親と同居の実家から通っているので、少しは子育ての苦労も軽減されているのかな?とも思うけれど、毎日必死で働かなければならないプログラマーである。こういう話を聞くとPTAの役員は「専業主婦に代わって貰えないものだろうか?」「お金で役員の数を減らしたり、それなりの報酬を出したらどうだろうか?」と思ってしまう。私の家内は子供が小学生だった時にPTAの役員にはならなかったが、学校の奉仕活動には良く行っていた。その奉仕活動だが「校庭の草むしり」「登校時に横断歩道に立つ」が今でも印象に残っている。家内と口論したからだ。「草むしりなんか業者に任せれば良いじゃないか」「横断歩道も警備会社に頼めば良いし、勤めている女性には無理だ」と言ったのだが、「PTAの総会で貴方が言えば良いじゃない!」と逆切れされてしまった。家内は専業主婦だったので、勤めている女性の苦労をさほど理解出来ていないのでは?と思ってしまった。私は今でも「お金で解決出来るならば、ボランティアに頼らずにそうすべきだ」と頑固に考えている。


バドミントン仲間の女性の話しだったと思うのだが、子供が小学生の時に写真係を任されたのだと言う。運動会、遠足等で一緒について行き写真を撮る係りなのだがプロには任せられなかったと話してくれた。何故ならば、卒業アルバム等を製作した時に写真に写っている子供が平等でなければならないからだそうだ。なので、全員が均等に写っているように撮影しチェックする苦労が大変だったとぼやいていた。この話しを聞いて呆れてしまったが、そういうクレームをつけてくる親がいたのだろう。日本のPTAの役員の苦労が良く解るエピソードだと思うのだが、悪い意味で日本的だなあと感心してしまった。近年、PTAの在り方が問題になっている。本来、入退会は自由の筈なのだが入会しない勇気を持っている親は少ない。そもそも「入会は任意です」の説明をしていない場合が多いのではあるまいか?以前の新聞に”PTAの入会は任意と聞き退会した。ところが卒業式で配られた記念品が我が子には無かったので、学校に抗議した。”という内容の事件があった。記念品以外でもPTAに入会していない子供が嫌な目に遭っているケースが多い。PTAに入っていても、役員をやらない人を「ずるい」と考えている人が大勢おいでなのだから、入会しないなど論外なのだろう。朝日新聞の2015年5月の「PTAは必要か?」のアンケートに「絶対必要」「必要」「あっても良い」が968人中360人なので、およそ6割以上が「不要」と考えている。


私は「町内会」に入っていて班ごとにゴミ収集所があり、掃除も当番制だ。私の班の区画には20軒程の一軒家があるのだが、入会しているのは8軒だ。入会していない人はゴミ収集所にゴミを出してはいけないという規則は無いが、そういう規則がある町内会もあり、問題になっている。「ずるい」と考えてしまうから角が立ち、「まあ、いいか」なら円滑に生活出来るのだが、そういう境地になるのがなかなか難しい人が多い。PTAも町内会も時代と共に変わって行くのだろう。本来はお互いに助け合う為の組織だった筈なのだが、今は逆に軋轢を生んでいるのが何とも皮肉ではある。PTAとは本来、学校と親が協力して、子供の為に出来る事があれば行う筈だったのだが、今は慣例の年中行事をこなす為に、大きく成り過ぎた組織を必死に守っているように見えてしまう。「PTA 先生生徒は そっちのけ」


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心もつなぐライン [教育・生活]

朝日新聞に「ひととき」という、生活に関する女性の本音が投稿される欄があり、私も毎朝楽しく、時には涙も出る時もあるのだが、感心したり共感する内容が多い。記事タイトルの「心もつなぐライン」は津市の69歳の女性の投稿タイトルから頂いた。内容だが”娘がLINEの仕方を教えてくれたが、若者が仲間同士で話しを共有するもので、老いた自分には無縁だと思っていた。しかし、表情豊かな人や動物のスタンプで縁取られたカラフルなメールを見ると気分も晴れる。(中略)簡単な返事は、それらしきスタンプ一つで済ます。相手の返事がなくても「既読」の印を見て安心する。重い話しには、慎重に的確なスタンプを選んで送ると、お互いの気持ちもほぐれる。(中略)現代の親子関係は友人のようにも見えるが、その本質は昔も今も変わらない。情報技術の進化で、娘と離れて暮らしていても、傍らにいるような安心感が生まれる。”


私もLINEを使い始めて随分長い。事の発端は、娘が電話して来る時は私が酔っている事が多く、後日「言った、言わない」の口論になる事が何度かあった。なので証拠が残るようにしようという娘の発案でLINEを使い始めたら、しっかりと記録が残ってしまうのでとぼける事が出来なくなってしまった。LINEの内容は何時も娘が私に何かを頼み、私がしぶしぶやってあげる事になるやりとりが多い。今までに「床をフローリングにしたい」「室内にうんていを作って欲しい」「食洗器を買ったので台所に置くスペースを作りたい」「浄水器から水が漏れるので何とかして」「速いパソコン一式が欲しい。代金は出世払いで」「ダイソン掃除機の充電器を壁に付けたら取れた」などなど、思わず「業者を頼めば?」とか「材料代も私か?」とぼやきたくなってしまうのだが、ぐっとこらえてLINEで「面倒だけれど、泣く泣くやってあげます」という意味を込めたスタンプを送るのだが、流石に娘は若いだけあってスタンプにも凝っていて、やりとりの最中に的確なスタンプを返して来るので、文章以上に気持ちが伝わるスタンプの威力は凄いなあと感心してしまう事もしばしばだ。このブログの記事なども、文章などよりLINEのスタンプの方が私の思いが伝わるのではあるまいか?


LINEは電話やTV電話にもなるので、スマフォの通話料金が気になる時は娘にLINEでかける事もあるが、少々音質が悪かったりTV電話だと画像がカクカクになってしまう場合があるので、やはり文章やスタンプの方が記録も残るのでお奨め。普通のメールも絵文字が使えるのだが、機種が違うと表示されなかったり絵が小さいので、やはりLINEにはかなわない。このスタンプだが、40個(!)自作すれば売る事が出来る。その為には審査を通らなければならないのだが、昔は3ヶ月かかっていたのが今は5日だとかで、2016年現在では120円で販売すると、65%はLINEにとられてしまう。結構稼いだ人もいるらしいので、昔私もやって見ようかなと思ったのだが40個のハードルが高過ぎて断念した。”目は口ほどに物を言い”という諺があるけれど「スタンプは 口以上に 物を言う」


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