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言葉は凶器 言葉に狂喜 [教育・生活]

「言葉は猛獣よ。解き放ったら帰ってこない」 二コール・キッドマン
「若い時は体の傷はすぐ治るが、心の傷はなかなか治らない。逆に齢を重ねると、心の傷はすぐ治るが、体の傷はなかなか治らない」という名言(?)があるけれど、確かに自分の過去を振り返って見ると、何故あんな言葉や出来事を何時までも引きずっていたのか?と思うのは学生時代の頃が多かった。自分を良い意味で誤魔化す事が下手だったのだろうなと思う。ネットに「お母さんが歌っているのを聴いた事が無い、鼻歌さえも無い。不思議なのでお母さんに聞いたら、小学生の時に友達から音痴と言われた事がトラウマになってしまった」の書き込みがあった。友達は「そんな事言ったかしら?」なのだろう。何気ない言葉も、言われた方は一生直らない心の傷になってしまう事もあるので、言葉は凶器なのだ。もっとも、音痴に気が付かない人の大きな歌声はもっと危険な凶器ではあるが。 


人に言われて傷つく事の一つに、体の欠点を言われる事である。太っている、痩せているは直せるかもしれないが、身長の低さや顔の造作は無理だろう。顔は整形で何とかなるかも知れないが、指摘された時点で傷つく。彼氏に振られた娘に親父が「人間は顔じゃない」と慰めようとして「お前の顔は人間じゃない」と言い間違えた、という笑い話があるけれど、顔にコンプレックスを感じている女性は沢山おいでになる。最近、マスクをしている女性がやけに多いなあと思っていたら、TVでも取り上げていてマスクをしている女性にインタビューをしていた。かなりの数の女性が、顔を隠すのがマスクをする目的と応えていた。インタビュアーがマスクを外して頂けますかとお願いすると、綺麗な方がほとんどで、マスクで隠す必要など無かった。それでも本人にしか解らないコンプレックスがあるのだろう。それを他人から指摘されれば、深く傷つく。心の傷は見えないので、言った方も気が付かないのも厄介な問題ではある。娘が高校生の時に家内から「白髪という言葉を使っちゃ駄目よ。禁句だからね」と言われた。確かに娘の髪には何本かの白髪があって、悩みの種なのだそうだ。私に言わせれば「外見より中身に悩んだら?」なのだが、勿論、泣き叫ばれるのが怖いので言える筈もなかった。


言葉は時に人を傷つける凶器だが、反対に勇気を貰える言葉、いわゆる名言だが私はどちらかというと名言よりも迷言が好きなので老人向けをいくつか紹介したい。
「私にとって年寄りとは常に自分より15歳年上のことだ」バーナード・バルーク
「最初は人の名前を忘れ、そして顔を忘れ、次にチャックを上げるのを忘れ、最後にはチャックを下ろすのを忘れる」ジョージ・バーンズ
「今日、初めての還暦を迎えまして、、、」長島茂雄
お寺の掲示板に「人間 死ぬ気になったら どっか悪い」とあったとか、「死ぬ気にさせるのは 貴方のせいではなくて 何かが間違っているのだから 死ぬ必要はありませんよ」と言う事なのだろう。生きてさえいれば何とかなる、そして生きて行くには無駄も必要で「タバコか酒どっちをやめるか選ぶとしたら人生やめる」


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今も昔も 大学は出たけれど だが [教育・生活]

新聞投書欄に「大学に行く必要があるのだろうか」というタイトルで「貸与型奨学金で多額の借金を背負ってまで大学に行く必要があるのか問いたい。意欲ある高卒者を企業が受け入れ、社内の教育システムを確立させれば、大卒以上の実力を養成出来るだろう。実務が教育になる。国や家計に重荷を負わせてまで大学に行く必要があるのか。よく理解できない」という福岡県77歳会社員男性の意見だ。読んでいて気になったのが「お金のない人は借金してまで大学に行く必要はない?社内教育システムで高卒の人材を育てる余裕のある企業がどれだけあるのか?国に重荷を負わせる?」という点が気になった。そもそも大学に行きたいと願う人は、皆行ける国にすべきだと私は考えている。投稿者に失礼だが現実離れした意見で、大学や専門学校への進学率は70%以上の昨今、高卒というコンプレックスが一生つきまとっている人もおり、最近こそ少しは良くなったが大学を卒業しても就職がままならないのが現実である。


元日本TVアナウンサーの徳光和夫氏が結婚式の司会で、新郎を紹介した時に「立派な成績で大学を中退され..」と笑いを誘っていたが、やりたい事が見つかったので卒業を待たずにその道を選んだ新郎は幸せだと思う。私はどんな目的でも良いから大学に進学すべきだと考えている。もっと学びたいでも良いし、まだやりたい事が見つからないでも良いし、まだ働きたくないでも良い。私の場合は一番最後の理由だった。今から45年前、私は工業高校生だったので、卒業したら就職するのが当たり前の時代だった。けれど、給料を貰ったら何を買おうかとの話しで盛り上がっているクラスメートを見ていたら、このまま何も考えずに大手メーカーに就職するのがたまらなく嫌になった。もう少し考える時間が欲しかったので、大学に進学すれば4年間の自由時間ができると考えた。大学の4年間は、軽音楽の部室と雀荘、図書館から借りた文芸書をアパートで読む事で過ぎてしまった。お陰で試験機メーカーに就職したら、苦労の連続だったが自業自得である。私は18~22歳の時期は人生で特に大切な時期だと思うし、社会勉強も出来る大学生で過ごせる事は社会人になる為にも有意義だと考えている。なので大学進学を全員にお奨めしたい。


もう20年も前になるが、田舎の高校三年生の姪が「卒業したら都内の英語専門学校に進みたいので、何校か選んだので夏休みに案内して欲しい」と頼まれた。姪と専門学校を見て歩いたのだが、どの学校もビルの1フロア程度で、キャンパスなど無くて学生は休み時間を近くの小さな公園で過ごしていた。全部見終えたが、姪も期待外れだったようで元気が無い。「帝京大学を見に行かない?」と彼女の学力も考慮して勧めて見に行った。広いキャンパスで学生が生き生きしていて、姪も気に入った様子で4年制を卒業した。はっきりとした目標があるならば専門学校でも良いかもしれないが、事情が許すならば私は4年制の大学をお奨めしたい。何故ならば、専門学校は専門しか教えてくれないからで、若いのだから勉強以外の事も学んで欲しい。小津安二郎監督の1929年度松竹蒲田作品に「大学はでたけれど」という映画があるが、内容は大学を卒業しても就職が困難だった昭和初期の若夫婦の物語、昔も今もあまり変わっていない事に驚く。「大学で 一番学んだ 酒 麻雀」


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わびさび わさび [教育・生活]

”日本の飲食店で「この人は日本人じゃない」と思われてしまう行為6選=中国メディア・今日頭条”という記事がネットにあった。確かに日本人と中国人は見た目が似ているので、外見から判断する事は難しい。けれど、この記事は「飲食店の振舞いで中国人と解ってしまうから注意しなさい」と言いたいのだろうが、中国人は自分が中国人だとバレてしまうのをそんなに気にしているとは思えない。逆に誇らしくさえ思っているのではないか?と中国観光客の横柄さを見かける度に、私はそう感じてしまう。さて、その6選だが「比較的高級な店に予約無しで訪れる」「香水をプンプンさせて店に行く」「1人前のものを複数人でシェアして食べる」「寿司屋で出された寿司をすぐに食べずに写真撮影し、SNSに投稿する行為」「刺身のツマや寿司のガリを前菜代わりに食べる」「刺身を食べるときにわさびを醤油に溶かす」である。こんな事、日本人でもやっているのであまり役に立たない記事だと思うし、肝心の「大声で騒ぎながら食事をする」が抜けており、私はこの行為を記事の第一番にあげて欲しかった。


「お里が知れる」という言葉があるが、「言葉遣いやしぐさによって、その人の生まれや育ちがわかる」の意味で、昔は良く使われたが最近は死語に近い。育ちが良いとは、裕福な家に生まれたという意味ではなく、たとえ貧困家庭であろうが親が躾(しつけ)に厳しければ他人を不愉快にさせたり、自分が恥ずかしい思いをしなくても済む。育ちが解るのは食事の時が一番だろう。姿勢、箸や器の持ち方、食べ方、調味料の量などで一瞬に「お里が知れる」。冒頭に「刺身を食べるときにわさびを醤油に溶かす」と書いたが、高級な日本料理店では、わさびを少し取って刺身の上に乗せ、それから醤油をつけて食べるべしという常識があるからだ。しかし、高級店の本物のわさびならともかく、回転寿司等のねりわさびなど醤油に溶かして食べても良いのでは?と思う。要はわさびという薬味が料理を引き立てれば良い訳で、わさびの種類や食べ物によって使い分けても構わない。私はざる蕎麦を食べる時は、わさびを蕎麦に少し乗せて食べる。つゆに溶かしてしまうと、わさびの量が少なすぎて薬味にならないからだ。言いたいのは、本来の食べ方を知っているならば、後はどう食べようが本人の勝手である。私はこの考えを「東海林さだおの丸かじりシリーズ」で教わった。


「ワビ・サビ・ワサビ」という曲があるのを御存知だろうか?歌っているのは「UMAN WITH A MISSION」という3人の外国人ロックバンドで、ユーチューブに動画があり、冒頭に大量のわさびを寿司に乗せて食べ、あまりの刺激にのた打ち回ってから曲が始まる。3人とも馬の覆面をしているのでUMANなのだろう。英語の歌詞なのだが、どうせふざけた内容だろうと思ったのだがネットに和訳があったので抜粋させて頂く。「”WABI”とは日本語で、時として”詫びる”という謝罪の意味を表している。しかしそれと同時に、日本人の持つ感覚や感情をも表している言葉である。静寂、美、孤独、そして人の命はいつか終わるんだという無常観 そういったこの”詫び”という精神は、私にもあなたの中にも在り続けるものなんだ。”SABI”とは日本語で、時として”寂しい”などという孤独の意味を表している。しかしそれと同時に、日本人の持つ精神性をも表している言葉である。永遠に続くものも無ければ、終わりも無く、そして完全なものも無い。しかし真実はいつだってそこにあると、この言葉が教えてくれる。少年よ、君はワサビというやつをちっとも美味しくないと言う。そう、僕らもこれを丸かじりにしろなんて言われたら尻込みするさ。子供の時には分からない人生の苦しみや、寂しさや、悲しみというやつを、君が大人になるにつれ味わっていく時、君はこのワサビというものの味が分かるようになっているはずさ。ほんの少しの涙とともにね」と見事にわびとさびがわさびに繋がっており、日本人以上に理解している。残念ではあるが「わびさびは 中国人には わかるまい」


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中国で だんご3兄弟は 許されない [教育・生活]

中国が1979年に始めた「一人っ子政策」を、2016年に「二人っ子政策」に変更して1年あまりが過ぎたので、急激な妊婦の増加に医療機関が間に合わず社会問題になっている。中国の政策転換の背景には労働力不足があるのだが、つくづく恐ろしい国だと思う。子供を何人持つのか?は個人の判断であり、国が法律で強制する事ではないのだが、国体を守るためには国民の生活などどうでも良いのだろう。急に「二人目を生め!」と言われても、様々な事情があるのでそう簡単に二人目を持てない。実際に中華全国婦女連合会の調査では、子供が一人いる夫婦の53.3%が二人目は欲しくないと答えている。中国の教育費は家庭の平均収入の半分を占めるという。中国は日本以上の学歴社会であり、大学を卒業しなければエリートにはなれない。しかし、昔10%未満だった大学進学率を政府がやっきになって35%以上にしてしまったので、大学を卒業しても満足いくような就職先が十分に確保されていないのが現状なのだ。もう少しすると政策は「子供を二人以上持たない夫婦は罰する」になりかねない。いっそ、そんな政策など取り払って「だんご3兄弟」が実現するような社会にすれば良いと思うのだが。


さて、この「だんご3兄弟」だが、この曲は1999年に大ヒットしたNHK教育テレビの「おかあさんといっしょ」のオリジナル曲で、タンゴとだんごをかけた童謡である。あまりの大ヒットに本来は串に4つさしているのを3つに変えただんご屋も現れた。本来串だんごは4つが決まりだとかで、対抗して「元祖だんご4兄弟」という曲まで出来て、4こ目は生き別れの妹という設定になっている。「だんご3兄弟」の歌詞は兄弟の仲むつまじさを歌っているのだが、私は”弟想いの長男 兄さん想いの三男 自分がいちばん次男”という歌詞が兄弟を良く表していて一番気に入っている。私が4人兄弟の次男である事も影響しているのだが。「それは偏見だ!」と言われるのを承知で言うが「一人っ子は懐が浅い」人が多い。私は今まで「貴方は一人っ子だろう」と心の中でつぶやいた人に何人も遭ったが、何故そう思うかというと「自分には優しいが、他人には厳しい」からだ。勿論、一人っ子全員がそうだと言っているのではなく、そういう性格になり易いからだ。何故なら、兄弟のいる環境の中で育てば、喧嘩等で我慢も優しさも兄弟から否応なく教えられ、自分を抑える事を学ぶ。これが、一人っ子だと親の愛情を独占出来るのでストレスに弱い。その反面、競争心がなく穏やかで、集中力や想像力が豊かなのも一人っ子の特徴だ。そもそも兄弟の数に本人の責任は無いし、どう育つかは親の育て方次第なので、一人っ子の親は兄弟がいない事に配慮して育てて欲しい。


今、益々「子供の貧困」が問題になっていて、今朝の新聞でも取り上げられており、記事に「この表現に違和感があります。まるで同情心をあおり、寄付やボランティアで解決していこう!!と呼びかけているような気すら感じています。でも本来は国が子供や教育にもっと公的資金を充てるべきです」という神奈川県40代女性の意見があった。私もこの問題の提起表現が疑問で、意味があるようで何も伝わって来ない。「貧困家庭の子供達」等の表現にすべきである。涙が出そうになったのが「子だくさん世帯の貧困にあまりスポットが当たらない。収入の半分が食費、夕飯はご飯だけという日が週に何回もある。私自信、豚肉牛肉類はもう一年以上食べていない。食卓に並ぶのは胸肉とか豆腐類。お金の援助も嬉しいけれど、食品での援助が切実に欲しいです」群馬県50代女性の意見だった。子供は未来の社会を担う宝であるにも拘わらず、国は貧困家庭に十分な公的資金を充てていない。こんな状態では日本にこそ「一人っ子政策」が必要なのではないのか?と国を皮肉りたくもなるが、それはさておき親子で生活が出来る事は幸せだと思う。「親と言う 串あればこその だんごかな」


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愛情の無いスパルタ教育を虐待という 再び森友学園 [教育・生活]

私は土曜日に仲間とバドミントンを楽しんでいるのだが、久々に不快な気分をスポーツで味わってしまった。バドミントンのコートは3面あるのだが、真ん中でやっている我々の隣のコートで30代の父親が小学2年生位の我が子に一対一でコーチをしていた。午前9時から11時までの間、子供は1時間以上泣いていた。泣くと余計に叱られるので泣くまいとしているのが気配で解る。けれど、それ以上に父親の罵声が子供に容赦なく飛ぶので、我慢できずにやはり泣いてしまう事の繰り返しだった。子供がミスをすると、素振り50回、教えた通りにやらないと素振り50回、上手に出来ても何も言って貰えない。2時間近くのコーチだったのだが、その間子供を褒める言葉は無かった。練習の最後に「教えた事が出来ていないのは、家で遊んでばかりいて練習していないからだ。家に帰ったら教えられた事を思い出しながら練習しろ!」と我が子を叱っていた。練習が終われば仲の良い親子なのかな?と思いたかったのだが、後片付けの時は子供が1人マットで床掃除をし、その間父親は縄跳びをしていたので、大丈夫かな?と不安になった。仲間の女性も「あんなの虐待よ!」と言う。親の教育方針なので、他人の口出しするところでは無いのだが、何となく割り切れない物を感じてしまい、スパルタ教育という言葉を思い出してしまったが、もう死語だろうか?


今、スポーツ界は若い世代が大活躍している。2020年の東京オリンピック出場候補になる若手有望選手だが、卓球では伊藤美誠や平野美宇そして石川梨良、バドミントンでは桃田賢斗や山口茜、体操では白井健三や村上茉愛、競泳では瀬戸大也、テニスでは中川直樹や岡村恭香など、まだまだ沢山いる。彼らは小さな頃から厳しい練習をして来たのだろうが、スポーツもコーチがいなければ上達しない。そのコーチの指導の根底に選手への愛情がなければ、良い選手は育たないし選手もついて行かない。良いコーチに出会ってこそ良い選手が育つのだろう。コーチが親である場合も多々あるのだが、親子の関係がマイナスではなくてプラスに働いたからこそ、良い選手が生まれたのだ。冒頭のバドミントンの少年も、早く良いコーチに出会い良い選手に成長してくれる筈、と思いたい。


もう書くのも嫌になるのだが、TVで塚本幼稚園の園児達が「教育勅語」ばかりでなく「五箇条の御誓文」まで暗唱させられていて、園児達にとってスポーツのコーチに相当するのが理事長だと思うのだが、私には園児達への愛情などかけらもないスパルタ教育に見えた。人は自分の為に生まれて来たのだ。勿論、成長して自分は誰の為に生まれて来たのかを考え、それが親であったり家族であっても良いのだが、決してお国の為や天皇の為であってはならないし、天皇もそれを望んでおられず国民の幸せを願っている。園児達が泣きながら「教育勅語」や「五箇条の御誓文」を暗唱させられていなければ良いがと心配になる。何度も書いて恐縮だが、私は「教育とは自分で考える力を身に付けさせる事」だと考えている。なので、時代錯誤でもある森友学園の教育方針には承服出来ない。もしかして塚本幼稚園に入園させている保護者は「教育は幼稚園がしてくれる」と考えているのだろうか?もしそうならば、親の義務を放棄している。あくまでも、幼稚園は教育の手助けをしてくれるのであって、全面的に任せる場所ではない。そして偏った考えの教育者からは偏った考えの人間しか育たない。「天皇も さぞ迷惑だろうな 森友学園」


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森友学園の校歌は逆効果 [教育・生活]

森友学園の校歌を聴いて懐かしかった。この校歌は1964年に大ヒットして映画にもなった舟木一夫が歌う「あゝ青春の胸の血は 」という青春歌謡曲である。今から53年前なので、私は12歳だったから小学校6年生だろうか?少しませていたのかも知れないが、大好きな歌だった。私の記憶が正しければ、舟木一夫のステージ衣装は詰襟の学生服だったと思う。この事も森友学園が校歌に選んだ理由なのかも知れない。けれど、森友学園に入学させようと考えておいでの保護者は30~40代であろうから、この曲も歌手も「?」なのではあるまいか?その証拠に森友学園説明会で「校歌の作詞、作曲は誰ですか?」の保護者の質問に「自分で調べろ!」との回答だったが、学校にとって校歌は重要であるし、ましてや説明会なのであるからこの歌謡曲をなぜ校歌に選んだのかを保護者に説明する責任が森友学園にはあると思う。昔の歌謡曲を校歌にしてしまう時代錯誤も森友学園らしい。


大好きな歌だったが、歌詞などとっくに忘れてしまっているので気になって調べてみた。もしかして「お国の為に」とか出てくるのでは?と期待したけれど、青春歌謡曲なのでそんな歌詞など有り得ない。歌詞は三番まであり、すべて「あゝ・・・青春の胸の血は 夢ひとすじに 燃えるもの」で終わっている。一、二番の歌詞はともかく三番の歌詞が「瞼にあわき 花すみれ ゆきずりの君 今いずこ 虹は消えても 若き日の はかなき 思い出 忘るまじ あゝ・・」なので、小学生にはちと早いので校歌は二番まで歌うのかも知れない。それにしても小学生に「青春の胸の血は」の歌詞は似合わない。私の憶測だが、歌詞よりもメロディーで選ばれたのではなかろうかと感じた。こう言っては作曲家に失礼だが、どこか哀愁軍歌に通じるフレーズも使われており、4分の2拍子なので「イッチ ニー イッチ ニー」だから運動会等の行進曲にもピッタリだ。


私は森友学園が何故軍歌を校歌にしなかったのか不思議でならない。幼稚園児に「教育勅語」を素読させる位だから、私は小学校の校歌には軍歌が相応しいと思う。お節介ながら、どんな軍歌が良いか私なりに考えて見た。まず思い浮かんだのが「私のラバさん 酋長の娘」なのだが、残念ながら軍歌では無かったし小学生には難解な歌詞内容だ。たとえ軍歌だとしても校長に「無礼者!」と一喝されてしまうだろうが、意味など解らないけれど洗脳された小学生が合唱すれば、どんな場面でも和やかになるような気がする。対案として「軍艦マーチ」はいかがだろう?これならば校長から「私もそう考えていたのだが、世間がうるさくて」という同意を得られそうな気がする。心配なのは、この校歌で洗脳された小学生達が下校時に勇ましくパチンコ屋に向かって行進してしまうのではないか?という点である。「恐ろしや 教育勅語に 歌謡曲」


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ピカピカの小学8年生 [教育・生活]

少し前の新聞に「小学館が小学8年生を発刊」の記事があった。「小学8年生?何の事?」と「?」マークで頭が一杯になったが、記事を読んで納得した。8の字はいろんな数字になれるので、全学年を表しているのだそうだ。ピンと来ない方もおいでかなと思うので補足させて頂くと、液晶の時計や電卓などに使われている「セブンセグメント」という方法で、8は漢字の「日」をマッチ棒7本で描いたと思い浮かべて頂くと解り易い。例えば「1」は右側の2本のマッチ棒だけだ。この方法で「0~9」まで表現出来る。長年続いて来た「小学〇年生」シリーズも次々と休刊になり、今では「小学校1年生」しか残っていない。背景には少子化に加え、子供の興味が多様化した事にあるのだろう。しかし、全学年が楽しみながら理解出来る内容にするのは難しい気がするが、子供の成長の仕方は様々なので、子供に買い与えるかどうかは親が判断すれば良いのだろう。気になる(?)付録なのだが「手作りチョークと黒板ノートキット」で”チョーク粘土・黒板ノート・黒板消しの3点セット。チョーク粘土は丸めて伸ばして色をつけたり…アイデアしだいで、いろいろな形のチョークが作れちゃいます! ノートの形をした黒板は、持ち運べるうえに、立てて使うこともできます。小さくても、よく消える黒板消し付き”。これ以外にも付録が付いて税込み980円。でも私は「小学1年生」の付録の方が気に入った。「ドラえもん とびだす!めざましどけい」で時間が来ると、どこでもドアが開いてドラエもんが飛び出して来て「おはよう!ちゃんとおきてえらいね!」とほめてくれる。これで税込み1480円、28歳になる息子がなかなか朝起きないので、買いに行こうかな?


書店に行くと驚くのが漫画と雑誌の種類の多さで、特に女性向けが多い。雑誌は年齢層に細かく別れているように思える。まさか手に取って内容を見る訳にも行かないので(今度やって見ようかな?どうせ変な爺さんと思われているのだから)、表紙から判断しているのだが、よくこれだけ幅広い年齢層向けの雑誌が売れるなあ、と感心してしまう。そしてバッグなどの付録は私には一見豪華に見えるのだが、ファッションにうるさい女性が果たして外出時に使用するのだろうか?と何時も思ってしまうのだが、売れているからこそ販売しているのだろう。漫画も女性向けは手に取れない。4コマ漫画から、ホラー、恋愛、不倫、〇〇まである。ネットでレディースコミックを調べたら増刊も含めて160冊あった。正直「こんなコミックを読む女性をレディーと言えるのだろうか?」と素朴な疑問が頭をよぎるが、口にすればとんでもない事になるので言える訳も無いし、余計なお世話でしかない。


昔「〇年の学習」「〇年の科学」という雑誌があったのを年配の方ならば覚えておいでの方も多いと思う。小学校で希望者に売っていたのだが「買えない子供が可哀相だ」という事になり、私が卒業して数年後学校で売る事は禁止になった。私は親から両方購入して貰っており、付録が毎回楽しみで、特に「科学」の付録は秀逸だった。私の小学生時代の話なので、結婚し子供も出来た頃にはそんな雑誌があった事も忘れていたのだが、もう今から20年前にもなるだろうか?隣の奥さんがこの雑誌の販売員をしており、一般家庭からの注文を受けてその家に配達する仕事をしている事を知った。娘が小学5年生で息子が小学2年生だったので、子供を口実に注文する事にした。たまたま外で奥さんと顔を合わせた時に「毎月、子供達が楽しみにしています」と挨拶したら「一番楽しみにしているのは貴方でしょう」とっくにばれていた。娘はそんな雑誌になど興味を示さず、付録が一杯付いてくる「リボン」に夢中だった。付録はほとんど紙で作るものばかりで、娘は「今月号も超豪華5大ゴミ付録付き!」と笑いながらも楽しそうに付録で遊んでいた。やっぱり、親子は似るもんだ。「付録だけ 買いたいけれど それは無理」


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軍靴の足音? [教育・生活]

私は右翼でも左翼思想の持ち主でもなく、強いて言えば無欲かな?私に思想らしい物があるとすれば「自分の考えに正直に生きて、平和に暮らしたい」だろうか?なので北朝鮮のニュースで良く見かける「金正恩に熱狂的な国民」や「帽子の大きさと勲章の数を誇る軍人」が滑稽だ。何故ならば「自分の考えが無い」からだ。もっとも、表面的にでもそうしておかないと生きて行けないのだろう。その北朝鮮を思わせるような映像をTVニュースで見た。今、問題になっている森友学園の幼稚園の運動会風景で、私は一瞬「これ、日本なのか?」と驚いてしまった。ネットでこの運動会の宣誓文を見つけたのでお借りした。


あついあつい夏がすぎて、ぼくたちわたしたちの待ちに待った、平成27年度 秋の大運動会がきました。先生と、お友達と、一緒になって、おけいこをした、おゆうぎ、音楽、体育、かけっこなど、今日一日、頑張ります。おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさんの前で、褒めていただけるよう、全力をつくします。大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣列島・竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている、中国、韓国が、心改め、歴史で嘘を教えないよう、お願い致します。安倍首相、ガンバレ! 安倍首相、ガンバレ!安保法制国会通過よかったです!僕たち、私たちも、今日一日、パワーを全開します。日本ガンバレ!えいえいおー!


幼稚園児には、前半はともかく後半は理解出来ていまい。恐らく意味も解らず何度も復唱させられたのだろうが、何も知らない園児達と北朝鮮の子供達がかぶった。私立の幼稚園なのであるから、その教育方針をうんぬんするのは筋違いと言われそうだが、私が問題にしたいのは「意味が理解出来ていない言葉を復唱させる」事、すなわち「考えるな!覚えろ!」という人間が育ってしまうのではあるまいか?という点にある。いわゆる「刷り込み」で、どういう大人になるのだろう?と想像すると恐ろしくなる。勿論、意味など解らずとも園児に教える言葉もあるだろうが、少なくとも政治的な言葉など有り得まい。そして、この幼稚園では園児に「教育勅語」も素読させている。私は「今時、教育勅語?」と思ったのだが、どんな内容だったか忘れてしまった、というかそもそも教えられて来なかったと思う。改めてネットで調べてみたら「教育勅語の12徳」と言われており、12徳の主旨を簡単にまとめると「孝行、友愛、夫婦の和、朋友の信、謙遜、博愛、修学習業、智能啓発、徳器成就、公益世務、遵法、義勇」で、一点を除けば現代でも通用する良い教えだと思う。残念なその一点とは、最後の「義勇:正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう」にあり、何故「お国」なのか?これが「国民」あるいは「人民」であれば良いのだが、私は義勇がある限り「教育勅語」に賛成出来ないし、まだ考える力も無い幼児に素読で教える幼稚園など日本にあってはならないと考える。「マリオより ヒトラーが似合う 安倍首相」


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海にすむ 河豚がどうして 河なのか? [教育・生活]

私と同じようにブログを書いておいでの方の共通の悩みの一つに「どこまで難しい漢字を使うか」ではあるまいか?パソコンを使って記事を書かれている方がほとんどだと思うのでひらがなを漢字に変換するのは簡単で、変換漢字候補の一覧が意味まで表記されて出てくるので、選ぶだけで良い。問題は、この漢字を記事を読んで下さっている方が読めるのだろうか?という心配で、自分でも読めない漢字を使って記事を書くのはいささか気が引ける。出来れば、自分が書ける漢字だけを使って記事にしたいのだが、私の漢字力ではひらがなだらけになってしまう。この「ひらがな」も「平仮名」という漢字があるのだけれど、考えて見れば笑ってしまうし、ひらがなは「ひらがな」と表現したい。若者の漢字離れも気になるので、ひらがなを「平仮名」と書いても読み辛さが増すだけの効果しかない。もしかすると「へいかめい」などと読まれてしまい、私の伝えたい思いが伝わらない。そこまで若者を意識せずとも、私の記事など若者が読んで下さっているとは考えにくいし、漢字を使わなければどうしても伝わらない思いもあるので、適度に漢字を使わせて頂いている。


相変わらずネットからの引用で恐縮だが”河豚←正しく読める?「漢字が読めない」赤っ恥ストーリー3選”というタイトル記事が目にとまった。勿論「かわぶた」ではなくて「ふぐ」と読む。でも、この漢字は読めなくても「赤っ恥」ではないだろう。漢字からは読み方のヒントは何も無く、発音を知っているかどうかなのだから。中国では河に生息するふぐが親しまれていて、それが河豚の由来だそうだ。威嚇の為に「ぶーぶー」鳴くので豚に似ているのだが「海豚」という漢字はすでにイルカに使われてしまったのでこう表記している。さて、紹介されていた赤っ恥の一つ目は、和菓子屋で「ひつじかん下さい」と言った若いお母さん。品物には「羊かん」と書かれていたそうで、お店の親切心が裏目に出てしまったのだと思う。これが「羊羹」と書いてあれば、品物をみれば「ようかん」と読めたのではないかと思う。最初は子供に「ママ、何て読むの?」と尋ねられたそうだ。店員も商品を渡す時に、子供が間違って覚えるといけない事も考えて「ようかんです」と手渡したと言う。二つ目が、幼稚園の先生が「三匹の山羊」を「さんびきのやまひつじ」と間違えて絵本を園児達に読み聞かせたので、園児は「いっぴきめのやまひつじは...」とずっと読んでいたとか。三つ目は、ニュース番組で今年の恵方を「きたきたにし」と発言したアナウンサー、すぐに訂正したけれど彼女には一生残る傷になってしまったのだろうか?以上の話しはどれも若い女性なので、彼女らに育てられた子供の将来が心配ではあるが、こんな赤っ恥の一つや二つ、三つや四つ、五つ..もう止めるが、誰にでも経験がある筈。私など漢字の読み間違いどころか、勘違いや思い込みの赤っ恥も多く、長年人間をやって来た事もあり、自分を「歩く赤っ恥製造機」だと思っていて、最近は恥を恥とも思わなくなってしまった自分に呆れてもいる。


私の漢字の読み間違いで赤っ恥をかいたのが「居士」を「いし」と読んだ事。家内の実家がお寺で、帰省した時などたまに本堂を覗いたりするのだが、ある時新しい位牌がおいてあり、戒名が書いてあった。夕食の時「戒名の一番下のいしってどういう意味ですか?」と義母に尋ねたら「あれは、こじって読むんだよ。戒名の位で信士より上で大居士より下。女性の居士にあたる位が大姉なの」と教えてくれた。義兄と義姉の肩が少し震えていたような気がした。「いしと書いて何て読むんですか?」と聞けば恥もかかずに済んだのにと悔やんだが、後の祭りだった。易しい漢字でも、普段接していなければ正しく読めない、ましてや難しい漢字などお手上げに近い。「難漢字 感じで読んで 赤っ恥」


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禁酒禁煙の居酒屋 入ります? [教育・生活]

厚生労働省は非喫煙者がたばこの煙を吸い込む「受動喫煙」対策に関し、すべての居酒屋や焼き鳥屋は建物内を禁煙とする方向で最終調整に入った。家族連れや外国人客の利用に配慮し、小規模店舗の例外を認めない方針だ。政府は2020年東京五輪・パラリンピックに向け、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案を今国会に提出する予定だ。飲食店内は原則禁煙(喫煙室は設置可)とする一方、客離れを懸念する飲食業界などからの反発を踏まえ、一部の小規模店舗は例外とすることを検討している。小規模店舗のうち、主に酒類を提供するバーやスナックは店頭に「喫煙可能」と表示することなどを条件に例外とする方向だ。食事もとれる居酒屋や焼き鳥屋の扱いが焦点となっているが、こうした店舗は子供を含めた家族連れや外国人客の利用が少なくなく、例外対象から外すべきだと判断した。


以上は「YOMIURI ONLINE」から引用させて頂いた。私はこの記事を読み終えて、「日本という国はお節介だなあ」とつくづく思う。居酒屋から煙草の煙が無くなってしまったら、何だか居酒屋らしくない。そもそも、大人がくつろげる場所として美味しい料理やお酒を提供するのが居酒屋の居酒屋たるゆえんで、そこで煙草が吸えるかどうか?はお店の経営者の判断に任せるべきだろう。その居酒屋の経営スタイルなのであるから、厚生労働省が口出すたぐいのものではあるまい。そして、禁煙にする理由が「食事もとれるので子供を含めた家族連れや外国人が利用するから」では説得力が無い。煙草の煙が嫌ならば、その居酒屋を選ばなければ良いのだ。禁煙の居酒屋だってあるのだから。それなのに、2020年のオリンピックに向けて、来店するかどうかもわからない客の為に、今まで喫煙OKだったのに禁煙にしろと強要するのは、間違いだし居酒屋にとっても死活問題だろう。何故、厚生労働省はこのような「お節介」を無理強いするのか?私には不思議で仕方が無い。近い将来、子供に酔っ払いを見せるのは良くないので、居酒屋でお酒を飲ませるのも禁止してしまうのではあるまいか?


「お酒は二十歳になってから、煙草も二十歳になってから」に始まり「バイクのヘルメット着用義務」「シートベルトの強要」「計量法により尺貫法を用いることを禁止」「男性は18歳、女性は16歳にならなければ婚姻をすることができない」等々で、日本の法律は、本来個人の判断に任せるべき事にまで「お節介」なのだ。様々な人が様々に働き生活をしている訳で、事情も又様々なのだ。例えばラーメン屋や蕎麦屋の出前でバイクに乗る場合でもヘルメット着用を強要する。郵便配達のバイクも又しかりで、真夏など見ていて気の毒になる。何故、着用の判断を個人に任せないのか?何故、例外を認めないのか?自分の身は自分で守るのが当たり前、なので余計な「お節介」など不要なのだ。そして、厚生労働省は2月14日、保育所に通う3歳以上の幼児に対し、国旗や国歌に親しむことを求める文言を初めて盛り込む保育所保育指針改定案を公表した。ここまで「お節介」な厚労省に呆れるし、もう「お節介」のレベルを超えて「危険」ですらある。「厚労省 国民愚弄で 功労賞」


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