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PTAと どこか似ている 町内会 [教育・生活]

私のアルバイト先に小学4年生の男の子を持つバツイチの女性が社長に「これから学校の行事で早退、遅出になる事があります」と話していた。今年、学校の役員を引き受けたのだという。「高学年で引き受けると益々大変なので、今年役員をやってしまう事にした」と言っていた。彼女はご両親と同居の実家から通っているので、少しは子育ての苦労も軽減されているのかな?とも思うけれど、毎日必死で働かなければならないプログラマーである。こういう話を聞くとPTAの役員は「専業主婦に代わって貰えないものだろうか?」「お金で役員の数を減らしたり、それなりの報酬を出したらどうだろうか?」と思ってしまう。私の家内は子供が小学生だった時にPTAの役員にはならなかったが、学校の奉仕活動には良く行っていた。その奉仕活動だが「校庭の草むしり」「登校時に横断歩道に立つ」が今でも印象に残っている。家内と口論したからだ。「草むしりなんか業者に任せれば良いじゃないか」「横断歩道も警備会社に頼めば良いし、勤めている女性には無理だ」と言ったのだが、「PTAの総会で貴方が言えば良いじゃない!」と逆切れされてしまった。家内は専業主婦だったので、勤めている女性の苦労をさほど理解出来ていないのでは?と思ってしまった。私は今でも「お金で解決出来るならば、ボランティアに頼らずにそうすべきだ」と頑固に考えている。


バドミントン仲間の女性の話しだったと思うのだが、子供が小学生の時に写真係を任されたのだと言う。運動会、遠足等で一緒について行き写真を撮る係りなのだがプロには任せられなかったと話してくれた。何故ならば、卒業アルバム等を製作した時に写真に写っている子供が平等でなければならないからだそうだ。なので、全員が均等に写っているように撮影しチェックする苦労が大変だったとぼやいていた。この話しを聞いて呆れてしまったが、そういうクレームをつけてくる親がいたのだろう。日本のPTAの役員の苦労が良く解るエピソードだと思うのだが、悪い意味で日本的だなあと感心してしまった。近年、PTAの在り方が問題になっている。本来、入退会は自由の筈なのだが入会しない勇気を持っている親は少ない。そもそも「入会は任意です」の説明をしていない場合が多いのではあるまいか?以前の新聞に”PTAの入会は任意と聞き退会した。ところが卒業式で配られた記念品が我が子には無かったので、学校に抗議した。”という内容の事件があった。記念品以外でもPTAに入会していない子供が嫌な目に遭っているケースが多い。PTAに入っていても、役員をやらない人を「ずるい」と考えている人が大勢おいでなのだから、入会しないなど論外なのだろう。朝日新聞の2015年5月の「PTAは必要か?」のアンケートに「絶対必要」「必要」「あっても良い」が968人中360人なので、およそ6割以上が「不要」と考えている。


私は「町内会」に入っていて班ごとにゴミ収集所があり、掃除も当番制だ。私の班の区画には20軒程の一軒家があるのだが、入会しているのは8軒だ。入会していない人はゴミ収集所にゴミを出してはいけないという規則は無いが、そういう規則がある町内会もあり、問題になっている。「ずるい」と考えてしまうから角が立ち、「まあ、いいか」なら円滑に生活出来るのだが、そういう境地になるのがなかなか難しい人が多い。PTAも町内会も時代と共に変わって行くのだろう。本来はお互いに助け合う為の組織だった筈なのだが、今は逆に軋轢を生んでいるのが何とも皮肉ではある。PTAとは本来、学校と親が協力して、子供の為に出来る事があれば行う筈だったのだが、今は慣例の年中行事をこなす為に、大きく成り過ぎた組織を必死に守っているように見えてしまう。「PTA 先生生徒は そっちのけ」


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心もつなぐライン [教育・生活]

朝日新聞に「ひととき」という、生活に関する女性の本音が投稿される欄があり、私も毎朝楽しく、時には涙も出る時もあるのだが、感心したり共感する内容が多い。記事タイトルの「心もつなぐライン」は津市の69歳の女性の投稿タイトルから頂いた。内容だが”娘がLINEの仕方を教えてくれたが、若者が仲間同士で話しを共有するもので、老いた自分には無縁だと思っていた。しかし、表情豊かな人や動物のスタンプで縁取られたカラフルなメールを見ると気分も晴れる。(中略)簡単な返事は、それらしきスタンプ一つで済ます。相手の返事がなくても「既読」の印を見て安心する。重い話しには、慎重に的確なスタンプを選んで送ると、お互いの気持ちもほぐれる。(中略)現代の親子関係は友人のようにも見えるが、その本質は昔も今も変わらない。情報技術の進化で、娘と離れて暮らしていても、傍らにいるような安心感が生まれる。”


私もLINEを使い始めて随分長い。事の発端は、娘が電話して来る時は私が酔っている事が多く、後日「言った、言わない」の口論になる事が何度かあった。なので証拠が残るようにしようという娘の発案でLINEを使い始めたら、しっかりと記録が残ってしまうのでとぼける事が出来なくなってしまった。LINEの内容は何時も娘が私に何かを頼み、私がしぶしぶやってあげる事になるやりとりが多い。今までに「床をフローリングにしたい」「室内にうんていを作って欲しい」「食洗器を買ったので台所に置くスペースを作りたい」「浄水器から水が漏れるので何とかして」「速いパソコン一式が欲しい。代金は出世払いで」「ダイソン掃除機の充電器を壁に付けたら取れた」などなど、思わず「業者を頼めば?」とか「材料代も私か?」とぼやきたくなってしまうのだが、ぐっとこらえてLINEで「面倒だけれど、泣く泣くやってあげます」という意味を込めたスタンプを送るのだが、流石に娘は若いだけあってスタンプにも凝っていて、やりとりの最中に的確なスタンプを返して来るので、文章以上に気持ちが伝わるスタンプの威力は凄いなあと感心してしまう事もしばしばだ。このブログの記事なども、文章などよりLINEのスタンプの方が私の思いが伝わるのではあるまいか?


LINEは電話やTV電話にもなるので、スマフォの通話料金が気になる時は娘にLINEでかける事もあるが、少々音質が悪かったりTV電話だと画像がカクカクになってしまう場合があるので、やはり文章やスタンプの方が記録も残るのでお奨め。普通のメールも絵文字が使えるのだが、機種が違うと表示されなかったり絵が小さいので、やはりLINEにはかなわない。このスタンプだが、40個(!)自作すれば売る事が出来る。その為には審査を通らなければならないのだが、昔は3ヶ月かかっていたのが今は5日だとかで、2016年現在では120円で販売すると、65%はLINEにとられてしまう。結構稼いだ人もいるらしいので、昔私もやって見ようかなと思ったのだが40個のハードルが高過ぎて断念した。”目は口ほどに物を言い”という諺があるけれど「スタンプは 口以上に 物を言う」


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アマゾンの1円書籍が? [教育・生活]

アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」が欲しくてアマゾンで文庫本を捜したら、訳者によって何種類かあったのだが、筒井康隆訳は上下2巻に別れており、上巻は1円、下巻は114円で売っていて、送料は共に257円だった。8日に注文したのだが、上巻は10日昼に届いていた。下巻も発送済みだというので相変わらずアマゾンは早い、早過ぎるくらいだ。宅急便の従業員がねをあげる訳である(メール便なので関係ないか)。気になったのが1円で利益が出るのだろうか?だが、ネットで調べて見て利益が出る理由が解った。つまり、文庫本なのでメール便で送れて、この料金が契約次第で100~160円程度。アマゾンの取り分は1点あたり60円なので、結局、本代1円+送料257円-メール便代100円-アマゾン取り分60円=98円の利益が出るのだという。届いた本は新品と言っても良い位の状態で、定価は838円だった。筒井康隆が自書を1円で売られている事に腹を立てねば良いが、と訳者が気の毒になってしまう。


「悪魔の辞典」は昔持っており、何時までも手元に置くべき1冊だと思っていたのだが、引越しの時にブックオフ等に売ってしまったのだろう。アンブローズ・ビアスはアメリカ生まれの小説家、ジャーナリストと筆者紹介に書いてある。訳者の筒井康隆だが私は最初SF作家だと思っていたのだが、新作を待って読んでいるうちに、そんな枠などに大人しく収まっている人ではなく劇作家、俳優までこなすようになった。そしてクラリネットを演奏するジャズミュージシャンでもある。私が楽器ならクラリネットをお奨めするのは、筒井康隆先生でも吹けるからである。もっとも彼はホラを吹く方が何千倍も上手い(筒井先生、御免なさい)。映画にもなった「時をかける少女」も彼の作品であるが私には毒が無くてあまり面白くない。彼の良さは初期の毒のある作品にあると私は思っていて、はまるとなかなか抜け出せない。そんな毒を持った彼がさらに毒を持っているアンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」を訳したのだから、面白くない訳がない、と思いきやパラパラと読んで見たのだが、昔初めて読んだ時の感動や笑いが蘇って来ない。多分、私の感性が老化したのだろう。


それでもやはり破壊力が凄いので、本のカバーにも使われている名言(?)を幾つか紹介する。「格言:歯が弱い人のために、あらかじめ骨を抜いてある知恵」「空気:貧乏人でも肥れるように、神が気前よく与えてくれる栄養物質」「食欲:なぜおれは働かねばならんのか、という疑問の答えとして神が与えた本能」「やすらぎ:隣人の不安を見て生じる心理」等、かなりの毒が含まれている。読み手によっては「どこが面白いのか?」という方もおいでになると思うが、そう感じる方はまともな精神の持ち主である。それでもこの辞典が1909年から12年かけて作られているので、おおよそ100年前になるのだけれど「大砲:国境線の修正に使われる道具」「反乱:成功しなかった革命」などは今でも説得力があるので恐ろしい。100年過ぎても、世界のどこかで戦争が在り、止むどころか拡がる一方である。「一年:365回の失望から成る一定の期間」


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孫にまごまご [教育・生活]

私は孫に高価なオモチャを買ってあげた事はほとんど無い。つい最近も娘が春休みを利用して我が家に3泊4日して帰ったのだが、その時にトイザラスに行ったが「100円のオモチャだったら買ってあげる」と釘を刺した。孫は男の子で今年から幼稚園の年長組みになる。年少、年中組の時は欲しいオモチャがあると泣き叫んで駄々をこねた事もあったが、今年はそんな行動はしなかった。孫が見つけたのは「てれびくん」という雑誌で、880円なのだが孫には値段が解らない。「それで良いの?」と訊くと「うん」という。「じゃあ、それと何か買ってあげようか?」と言って野球のグローブとボールを見せたのだが、興味を示さなかった。幼稚園でサッカーを習っていてサッカーボールは持っているというので、結局雑誌だけにした。我が家にはサッカーボールが無かったので100円ショップで500円のサッカーボールを買って公園で遊び、ボールは我が家に置く事にした。私の夢は孫とキャッチボールをする事なのだが、とりあえずサッカーでもまあいいか。まごまごしているとよぼよぼになってしまい、私の剛速球と華麗な守備が見せられなくなってしまうのが心配ではある。私は甲子園で投げた事がある、同僚がいた。(それがどうした)


たまに娘の家に呼ばれて行くと、部屋一杯に散らかったオモチャの多さに驚く。そのオモチャも私の買いたくないオモチャが目立つ。レゴやプラレールはともかく、いわゆる変身グッズというのだろうか?日曜朝の7時半頃からのTV番組「キュウレンジャー」「仮面ライダー」等のキャラクターグッズも一杯で、夫の御両親が遊びに来るとオモチャ屋に行き、孫の欲しい物を次々と買ってくれるのだそうで、一回に1~2万円はざらで、孫に嫌われたくないのだろう。私は別に孫に嫌われても構わないと思っているし、どうせお金を使うなら長く遊べるオモチャを選びたい。最近買い与えたのは娘からのバレンタインチョコレートのお返しに、孫に「遅くなったお年玉」として「カタミノ」という「テトリスゲーム」に出てくるような木で出来たパーツで四角いスペースを埋めるパズルで、四角いスペースはレベルに応じて拡げる事が出来て、商品の売り文句が「3~99歳まで遊べます」。書店で見かけて自分用に買おうとしたが6千円と高いので諦めていた。娘も「欲しかったが高いので諦めていたので丁度よかった」と言う。実際に遊んでみたのだが、私の期待ほど面白くなくて、やはり子供向けの教育玩具だ。


さて、孫にして欲しくない爺さん婆さんの行動5選は「会う度にオモチャを買い与える」「隠れて甘いお菓子を与える」「孫のこれ欲しいに答えすぎ」「趣味が悪い服を買って来て着せる」「家の中で喫煙」だという。要するに、両親の教育方針があるのだから甘やかせないで、と言う事だろう。昔、公園でお婆さんと孫がトーテムポールで遊んでいるのを見かけた。丸太を垂直に立て、木をえぐった足場があり、登って遊ぶ遊具なのだが、孫が手をすべらせて、額を足場の角にぶつけて出血してしまった。お婆さんはうろたえるばかりで、周りの人が救急車を呼んだ。多分、孫の怪我以上に両親へのすまなさが先に立ってしまったのではあるまいか?不可抗力の事故だと思うし、お婆さんには何の責任も無い事が返って気の毒だった。孫はまごまごしているととんでもない遊びを始める。そんな経験があったので、私が孫と遊ぶ時は出来るだけ娘も加えるようにしている。娘が孫に好きな順番を尋ねると「ママ、パパ、〇〇じい、..」と私は3番目なのだそうだ。娘は「あれだけオモチャを買ってくれても、3番目に入らない夫の御両親が可哀相。結局、物じゃないのよね」と言った。両親に叱られた時は一番目の座につけるのかも知れない。それにしても孫が来ると疲れる。「又来てね 爺婆の又とは 一年後」


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譲り愛 怒鳴り哀 殴り合い [教育・生活]

”スタバに入ったら満席で、飲物などとっくに空なのにドヤ顔でマックブックいじってる人が沢山いて、全然席が空かなそうだから諦めて帰ろうとしたら、前にいたおじさんが「どいつもこいつも飲み終わっているだろ!ここはパソコン教室じゃないだろ!」って怒鳴り始めて、そしたら席が一気に10席ぐらい空いたのが面白かった。”と若い女性のツイートがあった。男性のこの言葉に「それ、めちゃくちゃ言いたかった。あまりに長い時間はさすがに迷惑」「家で出来る事を、ずっとお店の席を占領してやることはないのでは」「そういう人いますよね。せめておかわりはして..」「よく言ってくれた!勇者あらわる」等の賞賛の声が多数寄せられていた。たまたまかも知れないが、スタバを通り過ぎる時に店内を見ると、ノートパソコンはマックブックが多いような気がする。私はスタバもアップルも大嫌いで、スタバでマックブックを得意げに開いている人を見ると、自意識過剰じゃない?と思ってしまう。店はお客様に「出て行って下さい」とは言えないので、こういうおじさんが現れてくれるのは大助かりだろう。案外、お店に雇われていたりして。


”都営バスにて:お婆さん「お年寄りには席を譲ろうって習わなかった?」幼児「習わなかった..」見かねたOLがお婆さんに席を譲る。幼児「人から親切にされたらありがとうって言うって習わなかった?」お婆さん「...」車内一同「...」”これは若い男性のツイートだった。”これに対し「ぐう正論」「幼児キレッキレで草生えた」「心優しい老人になろうと思う」「嫌味な言い方は置いておいて、幼児に席を譲らせたらダメだろ。急停車など不測の事態に備えるためにも、年配者に席を譲るのは成人でなければ怖いよ」「よしもと新喜劇のコントなの?それ..」という反響があった。ツイート主も”私があの婆さんから学んだ事は、すぐそばの優しさに気付けない人は、不幸せなのだと思った。私も人からのさりげない親切を見つけたら、すぐありがとうを言おうと思う。”と返していた。


車を運転していて何時も思うのだが、車の運転を職業にしているドライバーが優しい、それも大型トラックに多い。バスや宅配便などは会社のイメージアップもあるのだろうが優しい。大型トラックの前に右折したい乗用車があり、私がパッシングをして右折車を通してあげると後ろの大型トラックのドライバーのほとんどが、手を挙げて感謝のサインを送って来る。それに比べてタクシードライバーは最悪で、客を乗せている時など強引な運転に驚く事もある。私は女性ドライバーにも優しくしているつもりだが、逆に女性ドライバーから優しくされた記憶がない。バックするのが苦手なのも手伝って、自分から動こうとしない事が良くある。お店に右折で入りたいのだが、女性ドライバーの車が入り口をふさぎ、お喋りに夢中で気がつかない事などしょっちゅうだ。脇道や大きなお店の入り口は開けて停車すれば良いのになあと何時も思う。車は特に譲り合いが必要で、そうしないと大喧嘩や大事故に発展してしまう事もある。はっきり言わせて貰えば、女性ドライバーは想像力が無いうえに身勝手だ。「おばさんに 男子トイレで せかされた」(ネットから借用)



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メタルゲームコーナーの老人達 [教育・生活]

春休みなので娘が5歳になる孫を連れて泊りがけで遊びに来た。4月1日に来て4日に帰るという。3泊4日になってしまうので、エイプリルフールであれば良いがと思ったけれど、しっかり3泊4日して帰って行った。「孫は来て良し 帰ればなお良し」という言葉があるけれど、孫の相手は疲れる。男の子だから尚更で、じっとしておられず、常に話しかけて来る。ブログの記事を書こうと自室に閉じこもるのだが、遠慮なく入って来ては娘に叱られて出て行くのだが、5分もしないうちに又やって来る。子育てがいかに大変かが良く解り、娘も母親らしくなったなあと感心してしまう。「お父さんは今頃何してるかなあ?」と孫に尋ねると「寝ながらスマフォでゲームしてる」という答えが返って来た。父親も久々に娘と孫に邪魔されずにゲームが出来てさぞや満足だと思う。「お父さんが1人で可哀相だから帰ってあげたら?」と孫に言うと「そんな訳ないじゃん!」と即答されてしまった。子供は両親の日常の何気ない会話や振る舞いをしっかり見ている。


孫が来たので、メタルゲームでもしようかと誘ったら乗って来た。近くに3店あり、1店は1000円で300枚のメタル、1100円ならば400枚のメタルを貸して呉れるのだが、娘が遊びたいゲーム機が無いので別の店に向かった。次の店は1000円で200枚で高い。最後の店は1000円で300枚で、娘は2000円、私は1000円使いメタルが無くなる迄1時間半程遊べた。私は孫が来た時位しかこういう時間の過ごし方をしない。人生の残り時間が段々少なくなっている事を考えると、何だか時間が勿体無いような気がする。しかし、3店廻って見て、やはりと思ったのが老人が結構遊んでいる事だ。女性が3割で男性が7割だろうか?男女共明らかに1人で来店して長時間遊んでいる事が持っているメダルの数で判る。パチンコと違ってメタルがお金に換わる訳もないので、純粋に遊びでしかない。メタルは預ける事が出来るので、上手ならば毎日何時間でもタダで遊ぶ事が出来る。人の楽しみにケチをつけて申し訳ないけれど、もっと生産的な事に時間を使えば良いのになあ、と私などつい思ってしまうが余計なお世話なのだろうし、メタルゲームが好きな人はそれが趣味(?)なのだろう。


バドミントン仲間の女性が「フラダンス教室に通う女性達の気が知れない」と言うので、私は「バドミントンとフラダンスに違いは無いと思いますよ。もっとも貴方の体形ではフラダンスは無理だと思いますけど」と言おうとしたが、後が怖いので止めた。バドミントン仲間の女性達は麻雀教室にも通っている。「趣味は何ですか?と尋ねられて、麻雀と応えるのも恥ずかしいので何かないかしら?」と言うので「競輪、競馬、競艇、パチンコをたしなみます。時には花札でコイコイやおいちょかぶも少々、と答えたらいかがですか?」と言ったら「そんなの趣味じゃないわよ」と言う。「じゃあ、趣味ってなんですか?」と尋ねると「履歴書の趣味欄に書けるもの」と言う。履歴書に趣味を記入する欄があるけれど、雇用主が知って何の役に立つのだろう?無難に「読書」と書く人がいるけれど、私は趣味欄に「読書」とおくめもなく書ける人が嫌いで、「3度のメシ」と書いたのと同じだと思っている。読書は趣味では無くて、生きて行く為に必要な事だから。でも、それは個人の勝手で本など読まなくても生きて行ける。私の趣味は「DTM」といってパソコンで音楽を作る事だが、この趣味に生産性があるのか?と尋ねられると辛い。自分は「生産」しているつもりなのだが、いまだに時間の「浪費」でしかないような作品しか出来ていないので、DTMなどやめてメタルゲームにでもしようかな?それともいっそフラダンス?「趣味きかれ 女装とこたえて どんびきに」


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教材に教育勅語を否定せず エイプリルフール? [教育・生活]

”安倍内閣は31日、戦前・戦中に道徳や教育の基本方針とされた教育勅語(ちょくご)について、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。だが、教育勅語は、過去に国会で排除・失効決議が出ており、答弁書との整合性や、教育現場でどのように使われるのかが問題になりそうだ。”以上は、朝日新聞デジタルから引用させて頂いた。私はこのニュースを新聞で知り1日早いエイプリルフールではないか?と思った程だ。森友学園問題で、教育勅語を使った教育に大勢の人が批判しているにもかかわらず、この答弁が発表された事に首をかしげる。戦後の1948年に国会が「主権在君並びに神話的国体観に基づいている」ことから、「基本的人権を損なう」などとして教育勅語の排除・失効の確認を決議している。それを今更持ち出して、教材として使うのも良いというのだから呆れる。もっとも教育勅語にある”国民は君主に支配される「臣民」とされ、国に「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ」”と教育された為に、戦争に巻き込まれて大勢の国民が死んでしまったので、教育勅語を使った教育は間違いだったという反面教師の教材に使うのであれば結構な事ではあるのだが、そんな事は在り得ない。


どうも、国の教育方針が過去の軍国主義に向かおう向かおうとしているような気がして仕方がない。森友学園も不正な国有地売却がばれなければ、安倍総理夫人が名誉校長を務め、教育勅語を根底に据えた神道教育の小学校「瑞穂の國記念小學院」が出来ていたのだろう。もしかすると「安倍晋三記念小学校」だったのかも知れない。神風が吹いていた籠池理事長に、あっと言う間に逆風が吹き犯罪者にされようとしている。嘘の多い人ではあるけれど、一連の行政の不可解な行動は彼一人の力では到底成し得ない。彼が「はしごを外された」「トカゲのしっぽ切りだ」と怒るのも無理も無い。そして「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」ことを強要する道徳の教科化、文科省の真の狙いは何なのだろうか?それに追い討ちをかけるかのような「教育勅語を教材として使うのも良い」という閣議答弁書、段々政府のやる事が露骨になって来ている。2014年に「特定秘密保護法」が施行され、「共謀罪」も近々に施行されようとしている。何だか包囲網が徐々にせばまるような、息苦しさを感じる。


エイプリルフールとは「嘘をついても良い日」と良く言われるが、私は「ホラを吹いても良い日」と考えている。笑えない嘘は勘弁して貰いたいが、笑えるホラや、かつがれても笑えるものは大歓迎だ。笑いがないととんでも無い事に発展する恐れもある。日本人は真面目な性格(?)が災いして、エイプリルフールがあまり面白くない。「教育勅語は教材に最適と政府が発表した」は日本政府にしては珍しく良く出来たエイプリルフールだと思ったのだが本気なのだ。これを国民が大笑い出来る時代は来るのだろうか?「毎日が エイプリルフールの 安倍総理」


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止まぬ雨と明けぬ夜 あと一つが? [教育・生活]

ネットを見ていたらツイッターに”三大無い物「止まない雨は無い」「明けない夜は無い」”というツイートがあり「はて、残り一つは何だろう?」と考えたが思い浮かばない。書き込みに「沈まない太陽」というのがあったけれど、有り得ないし「昇らない太陽」では「明けない夜は無い」と同じ意味になってしまうので却下したい。「雑草という草は無い」は昭和天皇のお言葉だが、これでも良いのかも知れないが、私には今一つしっくり来ない。今も疑惑が晴れていない森友学園問題で頻繁に安倍総理が言う「そのような事実は無い」も違うなあと感じる。「子供を愛さない親は無い」という秀逸な言葉もあったが、子供の虐待が新聞やニュース等を賑わしている昨今では、これも違和感がある。「消えない虹は無い」というメルヘンチックなものまであったけれど、どうしてもピッタリはまるのは無かった。「終わらない冬は無い」あたりが適切なのかも知れない。


書き込みの中には笑ってしまったり感心してしまうものも多かったので紹介すると「俺に金」「男女の友情」「覚めない夢」「髪の毛」いずれもうなずいてしまう。「傘」は井上陽水のヒット曲、「テレビ ラジオ 車もそんなに走って」は吉幾三のヒット曲、「歌の無い歌謡曲」は昔、そんなラジオ番組が有った気がする。「オリックス優勝」は別にオリックスに限った事ではなくて、私など「阪神」にしたいぐらいである。屁理屈だよなあと思ったのが「溶けない雪」「夜も輝く太陽」「欠けることのない月」「下りのない上り坂」「死なない親」これらは有り得ないのであって、無いとは別だ。懐かしかったのは「俺たちに明日は」でウォーレン・ベイティやフェイ・ダナウェイも良かったけれど、私が一番印象に残っているのは頭の鈍いガソリンステーションの店員C・W・モスを演じたマイケル・J・ポラード、鼻が印象的で一度見たら忘れられない顔とはまさに彼を言うのだろう。「清純派AV女優」というのもあったが、私はそうは思わない。とどめは「なんでも」だろうか?


ツイートには「止まない雨は無いとかじゃなくて、今降ってるこの雨がもう耐えられないっ つってんの」という色紙の画像があって、今そういう状況に在る方が結構おいでだと思う。「止まない雨はない」関連の記事をネットで調べていたら”「明けない夜」はあるのです。「止まない雨」はあるのです”を見つけた。無断転載は出来ないので内容を要約させて頂くと”心から落ち込んでいる人に、「止まない雨は無い」とか「明けない夜は無い」などの安易な言葉は慰めどころか、逆に傷つけてしまう。雨は止むどころか、益々激しさを増す事もあり、もうこうなったら「夜なんて明けなくても構わない。夜の中を生きようと思う。「明けない夜なら明けなくていい、止まない雨なら、止まなくていい」という考え方が、決して「後ろ向き」だとは思わない”と結ばれていた。「雨は止む筈」「夜は明ける筈」という考え方もあるけれど、何時までもその考え方に縛られていると余計に辛くなってしまう場合もあるのだ。必死に頑張っていたら何時の間にか「雨が止んでいた」「夜が明けていた」が理想なのだが、なかなか難しいので発想を変えよう。「止まぬ雨には出歩かず 明けぬ夜には寝て過ごす」


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再び「道徳を評価出来るんですか?」 [教育・生活]

文科省が小学校の道徳の教科書の検定結果を発表した。私には人格形成教育にも再び権力が介入して来てしまった、という思いしかない。言わば「教育勅語の現代版」であり、子供は各自の多様性を尊重して教育すべきである筈なのに国が定めた「22の内容項目」を満足している教科書で指導し記述式で評価する。子供が傷つかなければ良いが、と心配だ。2016年7月の新聞に「道徳を評価出来るんですか?」の15歳女子中学生の投稿があり、私も同感で記事にしていたので抜粋引用させて頂く。


”道徳”が教科になるという。調べたら、小学校は2018年度からで、中学校は2019年度からである。なので、彼女が道徳の授業も評価を受ける事もまず無い。それでも、彼女は”道徳”が教科になる事を憂いている。投書の内容も正論であり、彼女がしっかりした考えを持っている事が伝わって来る。こういう人にこそ、先生になって欲しいのだが、これだけ優秀ならばどんな職業に就こうが活躍すると期待。
数年前になると思うがTVで韓国の竹島教育を取り上げていた。韓国では竹島とは言わず独島といい、小学校から韓国領土であるという教育が徹底して行われており児童は信じて疑いもしない。私が驚いたのは、幼少の時の教育の恐ろしさにある。自分にも幼少の頃に教えらて、信じて疑いもしない物があるのではないか?これに気付くのは至難の技で、年齢を重ねる程修正するのが難しい。数年前に山本太郎が園遊会で天皇陛下に直接手紙を渡した事が問題になったけれどこのニュースを妹夫婦の別荘(実態は山小屋、御免)で一緒に観ていたのだが、妹夫婦は共に「とんでもない奴!」「許されない!」と観ながら憤慨していた。私はそうは思わなかったが、黙って聴いていた。何故ならば彼等と議論しても説得できまいし、せっかくのレジャー気分を壊してまで言う事でもあるまい、と考えたからだ。論破するのは簡単で「天皇だと何故いけないの?」の私の質問に対して、「だって、天皇だもの!」と答えるだろう。そして、それ以上は考えようとしない。私も高校生まではそうだった。だが、大西巨人「神聖喜劇」や奥崎謙三「ヤマザキ、天皇を撃て!」等を読んでから少し考えが変った。少なくとも、手紙の手渡しには違和感が無い。直訴は駄目だ、という声もあったが江戸時代じゃあるまいしと思う。読んで頂けると考えた山本太郎の知性も疑わなければならないのは勿論だけれども。冒頭の投稿者の彼女だが、彼女はもう答えを知っているのだ。道徳の問題には正解など無いし、ましてや評価など意味が無い事を。私が心配なのは彼女が真面目過ぎる事、若さゆえ自分を曲げて生きて行くのは難しく、今後様々な軋轢があると思う。私が彼女の父親ならば、自分を誤魔化す様々な方法を教えてあげられるのだけれど、どれも”不道徳”なので、とても彼女に受け入れて貰えそうに無いのが残念だ。


以上引用させて頂いた。新聞に検定意見と修正例があり、例えば「パン屋のおじさん」は「パン屋のおじいさん」に、「パン屋」は「和菓子屋」に、「公園」は「和楽器店」にさせられた。理由は「感謝」や「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」の扱いが不適切であるという。これだけ検査が厳しければ、似たりよったりの教科書になってしまうが、それこそ文科省の目的なのだろう。学級が抱えている問題は学級の数だけあり、それを先生と児童達が考える事こそが生きた教育だと思う。なので教科書も評価も、不要どころか弊害である。「道徳を 説く資格など無い 文科省」


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怒鳴り込むか 通報か [教育・生活]

新聞に「僕達に直接言って欲しかった」のタイトルで東京都の中学生の投書があった。今の時代をまさに象徴しているような内容だったので紹介したい。”外で何人かの友達とバドミントンをしていたら、学校の先生が来突然来て、「もう遊ぶな」と注意された。どうやら住民が学校に電話で通報したようだった。少しうるさかったかもしれない。迷惑をかけてしまったら、本当に申し訳ないと思う。しかし、悪いのは僕たちなのだから、僕たちに直接、一言なにか言って欲しかった。住民は、中学生に注意しても理解されないと思ったのかも知れない。ただ、僕たちが遊んでいたのは夕方、学校から帰って、まだ30分ぐらいしか経っていなかった。こんな短時間で学校に電話されるほど悪い事をしたのだろうか。僕たちはもうその場所で遊べなくなった。直接口で言ってもらわないと誤解を生むだけで、きちんと伝わらないと思う。”これを読んで、中学生の通う学校が良く解ったなあと思う。制服で遊んでいたとは考えにくいし、顔見知りだったら不気味である。夜ならともかく夕方の時間帯であるし、それ程我慢出来ない騒ぎだったとも思えない。それはともかく、直接本人ではなく学校に通報した行為が陰湿で後味の悪さを感じる。中学生の言うように、直接穏やかに注意して欲しかったと思う。学校に通報した住民が一人だけであったと思いたい。


娘と息子がまだ小学生低学年の頃、帰宅したら家内が不機嫌だった。話しを聞くと、夕方近く隣のお兄ちゃんに子供達が遊んで貰っていた。遊んでいた場所は自宅前の道路で、行き止まりなので子供達は気兼ねなく遊べ、お向かいの幼稚園児もいた。怪我をされては大変なので家内と隣の奥さん、向かいの奥さんが見張りながらお喋りをしていたら、突然行き止まりの向こうの家の親父が怒鳴り込んで来た。「息子が夜勤で寝ているから静かにしろ!」と隣の奥さんに怒鳴ったそうだ。「そんな事知らなかったし、夕方近くに子供達が楽しく遊んで何が悪いのか?」と返したそうだが「静かにしろ!」の一点張りで、子供達もしゅんとなってしまい結局遊ぶのを止めてしまった。隣の奥さんも、親父が帰った後は涙目だったそうで「ショックだわ」と言っていた、今日そんな事があったと言う。それ以来子供達は遊ばなくなった、とはならずに大きな声を出さないように注意しながら遊ぶようになった。隣の奥さんも、又親父が怒鳴り込んで来たら、逆に怒鳴り返してやる、と言っていたそうだが残念ながらもう現れなかった。それでも顔を合わせて会話をしたことで、お互いに良い方向に向かったのだろうと思う。


今、働き方が多様化しているので夜勤明けの方も多いだろうし、高齢の病人を抱えて大変な家庭もおありだと思う。けれど「子供達の遊ぶ声がうるさい!」「盆踊りがうるさい」「除夜の鐘がうるさい」「火の用心の声がうるさい」「豆まきの声がうるさい」と苦情を言う人がいるけれど、全て生きて行く上で大切で必要な広義の生活音なのに、うるさい、と苦情を言う今の社会が情け無い。自分が生活環境に合わせるのでは無く、自分に都合の良いように生活環境を変えさせようとしている訳で、どれだけ傲慢なのかと呆れてしまうし、顔も見せず会話もしない事が恐ろしい。「生活音も 騒音にしてしまう わからずや」


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