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「タクシー」に定期券の時代 [老後]

朝日新聞朝刊に”タクシーに「定期券」”の記事が載っていた。どのような仕組みかと言うと”利用地域や期間、時間帯を限定し、定額で何度でも利用できるようにする。運転免許を返納した高齢者の足としての活用や、冷え込んでいるタクシーの需要喚起を図る。2018年度に実証実験を行い、19年度以降の実用化を目指す。近年、高齢ドライバーの事故が多発し、高齢者に免許返納を促す動きが強まっている一方で、マイカーに代わる移動手段の確保が課題となっている。国交省としては、「タクシー定期券」を導入して1回あたりの利用料金を抑えることで、免許を返納した高齢者らに使いやすくし、通院や買い物などのニーズに応える狙いがある。学校や塾への子供の送迎や、仕事で限られたエリア内を頻繁に移動する人の利用も見込む。タクシー運賃は道路運送法に基づくルールで地域ごとに細かく規制され、通常は乗車距離や時間に応じて加算される。国交省はこのルールを一部改めるか、特例を設けて対応する方針。金額は、運転手の減収にならないよう配慮して今後定める。1台のタクシーを長い時間独り占めできないようにするなど、使い方のルールも検討していく。国交省の担当者は「都市部と地方の両方で役立つ制度にしたい」と話している。国内のタクシーは、公共の交通機関の中で「ひとり負け」が続く。15年までの10年で見ると、鉄道とバスの利用者数はほぼ変わらないが、タクシーは3割以上減った。苦境を打破するため、新たな需要を掘り起こそうと、業界側からも定期券制度の導入を求める声が出ていた。”


私はタクシーが嫌いだ。過去に嫌な目に何度も遭っているからだ。昔はスマフォなど無かった時代なので、初めて訪問する会社に限ってどういう訳か約束の時間が迫っていたりして余裕がなく、駅に止まっているタクシーに住所を告げるのだが「そんな近くは歩いて行け!」。ある時は、降りる時に千円札が無いので、1万円札を渡すと「口開けで釣りが無い。近くの店で両替して来てくれ」。呆れたのは、我孫子に電力中央研究所という半公的機関があり、我孫子駅でタクシーに乗ろうとしたら「あそことは喧嘩しているので行かない」と言う。仕方が無いので次の天王台駅まで行って乗った。帰りに無線タクシーを呼び、車に乗り込もうとしたらメーターにかなりの料金が表示されていたので尋ねると「無線で呼ばれた時点でメーターを倒す」だった。それならば、なるべく遠いタクシーを呼んだ方が会社は儲かる。ある時はお釣りが数十円だったので「お釣りは結構です」と言ったら「要らねえよ!」。昔のタクシーは「雲助」という言葉を思い出す程、どちらが客か判らない程の横柄な運転手が多かった。なので、ワンメーター程度ならば必ず歩いた。ワンメーターだと舌打ちされた事もあったから。


今時、私が体験したような不愉快な目に遭う事はまずあるまい。冒頭の「タクシー定期券」になれば、利用者は運転手と顔馴染みになるのかも知れない。電車やバスのように、一日に何度でも利用出来る仕組みらしいのだが、老人が寂しさのあまりに乱用しなければ良いが、と思う。数年前のTVドキュメンタリーで女性タクシードライバーを取り上げており、乗り込んで来た老人に行く先を聞いたら「どこでも良い。話相手が欲しかっただけ」と言われて驚いたという逸話を思い出した。私がタクシーが嫌いな理由をもっと挙げると「目的地に着くまで料金が判らない」であるが、これも最近はスマフォを利用して、料金をあらかじめ提示してくれるサービスもある。それにしても求人のチラシにも、タクシー会社の壁にも「運転手求む!」で、きつい仕事なので辞めてしまう人が後を絶たないのだろう。今、車の自動運転が実用化されつつあるので、将来は無くなってしまう職業の一つではあるまいか?全てのタクシーが自動運転になり、誰もいない運転席に話しかける老人が現れなければ良いけれどと思ったが、運転手のいないタクシーなど老人は恐ろしくて乗るまい。なので、ダミーで良いから、お喋りで愛想のよいAIロボットドライバーを運転席に置いて欲しい。「タクシーが 無ければ生きれぬ 老後かな」


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「尿管結石」の痛み [教育・生活]

昨日は私が昔かかった「甲状腺異常」の話で、今日は「尿管結石」の話である。明日は「痴呆症」の話になるかも知れない。私は小学生の時に「赤痢」にかかってしまったので病院に隔離された程度で、それ以外には入院した経験が無い。肋骨やくるぶしにヒビが入った事もあったが、通院で済んでいて、名実共に「骨を折った事が無い」。(この諺に出て来る「骨折り」とは骨折の事では無くて、「大変な苦労」の意味、念の為)。ネットの「おたくま経済新聞」に”尿管結石ってそんなに痛いの?漫画家の体験談が話題”の記事があったので、そういえば私も昔、尿管結石になった事を思い出してしまった。この漫画家はイラストレーターでもある「さわぐち けいすけ」さんで、以下は記事から引用。”さわぐちさんを襲う突然の腹痛。原因不明の腹痛にじっとできず歩き回るしかできない状態。あまりの事に救急相談センター(#7119)に電話して相談する奥様。痛みの状態を何とか電話で伝えると、センターから「意識が飛ぶようでなければすぐにタクシーで受診を」と自宅近所の病院を紹介してもらい、受診へ。医師による診察で「おそらく尿管結石でしょう」とCT検査や採血、点滴による痛み止めをうけるさわぐちさん。CT検査の結果、やはり尿管結石という事でした。”


「尿管結石」とは”尿管にシュウ酸カルシウムなどの結晶が固まって石の状態となります。結晶なのでごつごつしており、この石化した結晶が動く事によってとんでもない痛みが発生します。我が国の男性では11人に1人は一生のうちに 一度はかかるといわれており、男女比で言えば男性のほうがかかる率が高くなっています。特に20代~50代の男性に多く見られます。”で、私もその一人になってしまった。突然、腹部に激痛が走るが、石が移動すると嘘のように痛みが無くなる。これが、小水と一緒に石が出るまで続く。この石は出来ても、小さい内は小水と一緒に体外に流れてくれるのだが、水分を摂らないと尿管に引っかかる程に大きくなってしまう。私のように夕方からのお酒を美味しく飲む為に、あまり日中水分を摂らない人がかかりやすいのも納得出来る。私もあまりの激痛に耐えかねて病院に行ったのだが、記事のように病名が判っただけで何の治療もしてくれなくて「沢山水を飲んで下さい」で診察が終わりそうになったので「何か治療方法は無いんですか?」と医者に尋ねると「体外衝撃波結石破砕術という方法があり、プールに入り、水で体の外から強い衝撃波をあて結石を砕く。かなり痛いし、効果が無い場合もある。この病院には設備が無いので、ご希望なら国立病院を紹介するが、お勧め出来ない」とにべもない。所詮、他人の痛みなのだ。「石が出て来たら、持って来て下さい。成分を分析して食生活改善のアドバイスをします」と言う。十数日後に小豆大の石が出たので持参したら、別の医者に代わっており「出たらおしまいですよ」と冷たくあしらわれた。医者にしてみれば「尿管結石」など、つまらない(?)病気なのだろう。


私は「尿管結石」と判るまで、自分の体がどうなってしまったのか?と不安で仕方が無かった。突然、激痛が来たかと思うと数分後には嘘のように痛みが無くなってしまうのだから。ところが、病院に行き「尿管結石」と判った途端に、激痛にも耐え易くなった。原因も判ったし、石が出れば激痛ともおさらば出来るのだから気楽(?)になった故だろう。似たような激痛に「お産」を挙げるのは不謹慎だろうか?ネットで調べていたら「尿管結石」の痛みは「お産」よりも凄いとあり、両方経験した女性が言うのだから間違いあるまい。最近、麻酔を使った無痛分娩が話題になっているけれど、それでは「お腹を痛めた子」にならないので大反対。「出産の 痛みあっての 母子かな」


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「あさま山荘事件」の永田洋子と私は同時代 [社会]

タイトルには「あさま山荘事件」と書いたけれど、私には「浅間山荘事件」の方がしっくり来る。昨日TV朝日の「真相!昭和の事件史」を観たのだが、新聞のTV欄にも「あさま山荘事件」とあった。どうして平仮名表記にするのかと首を傾げるが、何か意図でもあるのだろうか?この番組では「浅間山荘事件」の他に「金大中拉致事件」も取り上げられていたのだが、「浅間山荘事件」は1972年に起きており、「金大中拉致事件」は1973年である。1952年生まれの私が一年浪人して大学に入ったのが1971年なので、両方の事件共いまだに覚えている。なのでTVに映し出された映像が学生生活とオーバーラップして懐かしかった。私は家が貧乏だったので国立大学以外は許されなかった。その当時の大学進学率が20%である事を考えれば、実家のあの経済状態でよくも浪人までさせてくれたものだと今でも感謝している。私は社会教科が苦手だったので社会の試験が無い大学を希望せざるを得なかった。そんな大学の一つに「横浜国立大学」があったのだが、母が「あんな学生運動の激しい学校だけはやめてくれ」と言われた。その当時は田舎の母でさえ学生運動という言葉を知っている程、連日新聞を賑わしていた。はなから学生運動になど興味が無かった私は、府中と小金井にキャンパスのある「東京農工大学」に入った。この大学はすぐ近くに警視庁第七機動隊がある事も手伝って、「民青」が学生運動の真似事をしている程度の穏やかな大学で、「革マル」「中核」等の過激な学生運動を真似て、「民青」の学生が大学本部入口にバリケードを築いたのだが、登校して来た学生達に吊し上げに遭い、直ぐに撤去させられた程、ノンポリが多かった。


永田洋子の事など社会人になったら直ぐに忘れてしまったのだが、会社に入って十数年後に受けた成人病検診で見つかった病気が彼女と一緒だったので、又彼女を思い出してしまった。その病気とは「甲状腺異常」、検診で30代の血圧では無いと言われ、町医者に行き判明した。医者が「田舎ならば仕方が無いが、渋谷に専門の病院があるので行きなさい」と言われて、渋々行ったのだが、ほとんどが女性ばかりで男性がこの病気になるのは珍しいらしい。私が渋々行く気になったのは「放っておくと永田洋子のようになってしまう」という恐怖感からだ。「バセドウ病」という病気をご存知だろうか?「眼球が飛び出る」のも怖いのだが「あらゆる臓器が常に全力疾走しているのと同じ状態になる」「物事が曖昧になる事を嫌う」「ヒステリック」「精神的に不安定、イライラする、集中力が低下」等、放っておけば人間失格になる。この病気の原因は「甲状腺異常」によるもので、私は永田洋子が「バセドウ病」だった事を知っていたので、彼女が犯した犯罪も病気によるものと考えれば納得出来た。その病気になるかも知れないと言われれば、治療に行かざるを得なかった。お蔭で数ヶ月の通院で治った。つい最近、毎月通っている病院で、過去にかかった事のある病気を聞かれて「甲状腺異常」と答えたら、血液検査にもその項目が追加された。そう言えば最近イライラするなあ、と思っていたので「まさか、再発?」とビクビクしたけれど異常無しとの結果で安心した。


大学の寮が嫌になってボロアパートに越したのだが、そこに毎日ギターを弾いている先輩が居た。「学生運動をしていたので、田舎に就職口が決まらない。だから留年したけれど、毎日やる事も無いのでギターを弾いている」と言う。毎日弾いている割には下手で、その後就職が決まり帰郷出来たのだが、最後まで寂しい音色だった。私も入学当初は学生運動になど興味が無かったのだが、次第に共感する点も出て来た。けれど、この先輩を知ってからは田舎の両親の顔がチラつき、結局何もしなかった。「革命を起こせると信じて学生運動に身を投じた人間の末路は哀れだ」と言うのは簡単である。純粋なるが故に社会の矛盾に我慢が出来なかったのだと思うし、世論も学生を支持してくれていたので、日本中を巻き込むような大きなエネルギーが生まれたのだと思う。それなのに世間から見放されるようになってしまった原因の一つが「浅間山荘事件」だった。私は番組を観終えて、「真相!昭和の事件史」の「真相!」に疑問を持った。思想的な背景がほとんど語られず、暴力的な場面のみが強調されていたからだ。勿論、終焉の彼らを肯定する積りは全く無いが「学生運動」まで否定されてしまうのは、同時代を過ごした私には我慢出来ない。「老いてなお いちご白書を 思い出す」


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防災グッズに「消える魔球」? [教育・生活]

9月1日は「防災の日」だそうである。1960年に内閣の閣議了解により制定されたそうで、何故9月1日なのかと言うと、1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんだものである。ネット記事に”「自家発電自転車」から「消える魔球」まで!防災グッズ最前線とは”の見出しがあり、「消える魔球」が気になった。例によって”livedoor'NEWS”の記事を参考にさせて頂く。「消える魔球」の正体は”地震の二次災害として発生しやすいのが火事。火災の初期消火にお役立ちなのが、この「消える魔球」です。なんとも男心をくすぐるネーミングですが、いたって真面目なアイテムでソフトボール大の赤い球の中に消火液が入っており、消火器の使い方を知らない人も使えるのがポイント。”私が見て感じたのは、赤いボール型容器が壊れやすいと地震で割れてしまうので、そこそこの強度はあるのだろう。なので、男性がある程度の力で火元に投げつけなければ割れない。しかし、女性がパニック状態で、火元めがけて投げられるか?床を転がして不発にならなければ良いが、と思ってしまった。値段も2160円と結構高いのも主婦に嫌われそうだ。次の「自家発電自転車」なのだが”自転車をこいで発電ができるので、携帯電話などの充電にとても便利です。ノーパンクタイヤなので、パンクや空気入れの心配がなく、道路状況が悪い災害時にも安心して乗ることができます。街乗り自転車として普段から使える点も魅力です。約8mの走行で携帯電話約3分の通話時間相当の電気を発電。普段は電動アシスト自転車として使用可能です”。値段は18万5千円と高く、約8mとあるが8Kmの間違いではあるまいか?私ならば「手回し発電機」を買う。安いし、懐中電灯やラジオ付きの製品もあるし、「手回しが良い」という言葉通りの防災グッズである。


「消える魔球」や「自家発電自転車」よりも、優先順位が高いのは「食料」「水」「トイレ」である。この記事で紹介されていた「食料」は”NASAが開発した特殊な技術で作られている25年備蓄が可能な「サバイバルフーズ」、1缶1728円~。「高度なフリーズドライ技術で、お湯または水で戻すだけの簡単調理。おいしさはもちろんのこと、合成保存料は使用してないため、安心してお召し上がりいただけます」。クラッカーと1番人気のチキンシチューをいただいてみました! シチューは彩りが美しく、ポテトのほくほく感がたまりません。クラッカーは厚みがあり、しっかりお腹にたまります。”なのだが、これを1日3食たべると5千円以上で、普段は粗末な物を食べ、災害時にご馳走を食べる事になってしまう。これでは災害が待ち遠しくなりそうだ。次に「水」だが、これもNASAが開発した「インスタント水の粉」、1袋1200円、この袋に2リットルの水を注ぐと、1リットルの水が出来る(冗談です、騙して御免)。やはり水は「ペットボトルに入った長期保存が可能な災害備蓄用の保存水」しか無くて、”15年保存が可能なミネラルウォーターが2L×6本入りで4104円”、これならば安いウィスキーが買えるし、15年どころかもっと長持ちする。もっとも、飲もうとしたら誰かがとっくに飲んでしまっている可能性が高いので、防災グッズには不向き。「トイレ」はプライドを捨てれば、どうにでもなるので省略する。


”我が家には防災グッズなど無いが、その代わりに「防災グッズ」を準備している友人を何人か知っており、盆暮れの付け届けは欠かさない”という笑い話があったが、納得出来る部分もある。私も「なるようになるさ」と思っているのと「自分だけ備えてもなあ」という思いが頭の片隅にあるし、近頃頻発している大災害もニュースで見ていると救援物資が避難所に届く。なので、とにかく避難所まで逃げて来る事が出来れば助かる。それでも自然災害ならともかく、北朝鮮の核ミサイルなどにはお手上げだろう。早急にこの不安と緊張から解放して欲しいが、子供じみたトランプ大統領と米国の子分に過ぎない日本政府では無理か。「核シェルター 入ったけれど 出られない」


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消えて行ったチェーン店 [社会]

バドミントンのガットが切れてしまったので、張り替えを頼もうと「スポーツカムイ」に行った。このお店には、もう十年以上も前からお世話になっている。我が家の近くには「 ヴィクトリア」というスポーツ店もあるのだが「スポーツカムイ」に比べて高いので、何時もこのお店に行く。ガットが切れたラケットは数年前に「ハードオフ」で偶然見つけ、新品で買えば2万円程度なのだが中古なので新品同様を5千円で購入出来た。私にはお気に入りのラケットで、これが無ければそうでなくとも弱い私が、益々弱くなってしまうので、毎週土曜日の活動には何時もこれを愛用している。なのでフレームが傷だらけになってしまい、もう4回目の張り替えになるのだが、張り替えをお願いする度に「このフレームではガットが張れないかもしれない」と言われた。今日もお願いしたら言われるかな?と思ったら、案の定男性店員がフレームの傷を無言で眺めている。「前にも2度、この状態で張り替えをお願いしていますので、大丈夫だと思います」と言ったら、背後から突然女性の声で「前に張れたからと言って、今度も張れるとは限りません!」と強い口調で会話に割り込んで来た。「目の前の男性店員と話しをしている最中に、何の断りも無く突然背後から口を出して来るのは失礼だろう!」と言いたかったのだが、「駄目ならば諦めますから、とにかく張って見て下さい」と言うと「失敗してもガット代はお返し出来ません!」と言うので「承知してますから、お願いします」と頼んだ。翌日受け取りに行き、男性店員から無事に張り替えたラケットを受け取る事が出来たが終始無言だった。嫌味のつもりで「有難う御座いました」と言ったのだが、反応が無かった。「これではどちらが客だか判らないなあ、この店潰れるかも」と思う。


私がそう思ったのは、店内が「品物が客が触ったままで、整理整頓されていない」「切れたままになっているのに補充されていない品物が多い」「娘が靴を買おうとしたら、サイズが飛び飛びで補充されていないので諦めた」「店の規模に比べてやけに店員が多い」「店員に愛想が無い、活気が無い、無口」等々の理由である。昔、あるお店で全く同じ印象を受けたのを思いだした。「おもちゃのハローマック」で、一時は全国に396店舗もあったそうだが、2008年7月に無くなってしまった。田舎に帰った時に子供の玩具を買いに良く立ち寄ったのだが、「トイザらス」が日本に進出して来た頃から、行く度にお店に活気が無くなって行くのが判った。店員は気が付かないのかも知れないが、客は意外と敏感で、サービスが落ちて来れば尚更だ。店に勢いが有る時は、次々と店舗が増えて店内にも活気が溢れているが、勢いが無くなれば活気も無くなり、悪循環になってしまうのだろう。こういったチェーン店は居酒屋、飲食店、ファーストフード店に多く、昔あれだけの勢いがあったのに、今は無いか細々とやっている店が多い。「養老乃瀧」「ビデオ安売王 」「牛丼太郎」「ドムドムハンバーガー」「雑貨屋ブルドッグ」「SHOP99」「ダイクマ」まだまだあるのだが、きりが無い。


私の大好きなTV番組の一つにTV東京の「カンブリア宮殿」があり、様々な分野から今勢いのある企業を紹介してくれる。登場する経営者が口を揃えて言うのは「お客様の為に..」である。極普通で当たり前の事なのだが、社員にまでこの理念を浸透させるのは難しいし、維持するのも至難の業だろう。人はすぐに環境に慣れてしまい、慣れれば手抜きをしたくなる。一旦そうなってしまったら、元に戻すのは難しい。過去にあれだけ繁栄したのに、今は見る影も無い企業が多いのはそのせいではあるまいか?「カンブリア紀」とは”今から約5億5千万年前に地球で起きた生命の大爆発で、次なる進化を求めて生物が一斉に誕生した時代”の事で、番組内容もタイトルにふさわしい。この番組で紹介された店に限らず、どんなお店も何時かは無くなる。それは仕方が無いし、様々な理由がある。それでも、客が多少の我慢をすれば少しだが店を長持ちさせる事は出来るだろうし、店も変わるかも知れない。なので、私は神様ではなく客なのだから、もうしばらく「スポーツカムイ」にお世話になろうと思っている。「世の中は 神様ではなく お互い様」


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都会では スマフォが無ければ 生きられぬ [お笑い]

仕事に必要なので秋葉原に行き部品を購入する事になった。ネット通販も便利なのだが、電源スイッチや録音ボタンなどは実際に見て触らなけらば良し悪しの判断がつかない。朝、車で出勤して打ち合わせをしてから電車で行く事にしたのだが、家を出てすぐにスマフォを忘れた事に気が付いた。「スマフォが無くて困る事があるか?」と考えて見る。会社の玄関の自動ドアは外からは自社開発したスマフォのアプリで開けなければ中に入れないのだが、インターフォンで中の社員に話して開けて貰えば良いし、スマフォのスイカが使えないが切符販売機で買えば良い、乗り継ぎは所沢で乗り換えて池袋に出て山の手線で秋葉原で降りれば良い、会社への連絡は公衆電話ですれば良いだろう、と考えてスマフォを取りに家に帰るのを止めた。社長に「本当はわざと忘れたんじゃないの?」の声を背中に聞きながら秋葉原に向かった。予想していた以上に秋葉原で電子部品を売っている店が少なくなっている。駅前のごちゃごちゃしたお店は半分以上が閉店か別の品を扱う店になっていた。ラジオデパートも似たような物で寂しい限りだが、数少ない開いているお店で目的に近いスイッチを見つけた。押し釦スイッチには二種類あって”オルタネイト(押すたびにオンとオフを繰り返す)”と”モーメンタリ(押している間だけオン)”があるのだが、ボタンの色違いで両方欲しかったのだけれど、店頭にあるのは押した感じがモーメンタリーばかりのような気がして、店番のお婆さんに尋ねたら「この型番はオルタネートです」と譲らない。仕方が無いので押す感触は一緒で色違いのスイッチを2個買ったが、お婆さんは間違っていると思い、他店も回り同じような機能のスイッチでデザイン違いを購入するはめになってしまった。


買い物が済み、会社に真っ直ぐに帰るよりも少し遠回りになるけれども、出来れば購入した部品をお客様に見せに会社にお伺いして了承を得ようと考えたのだが、スマフォを忘れて客先の電話番号が判らないので、連絡を兼ねてその番号を教えて貰おうと考え、会社に電話を入れる事にした。私はいまだに会社の電話番号を覚えていない。スマフォを見れば良いし、覚える必要も無いからなのだが、スマフォがなけりゃあ話にならない。なので、その辺りはぬかりなく会社を出る時に自分の名刺を持って来た。ところが公衆電話が見つからないのだ。秋葉原には昔、酷い時は一週間に一度は来ており、赤や緑の公衆電話で会社に連絡を取っていた。昔の記憶を頼りに、「確かこの辺りにあった筈」なのだが、全く見当たらない。さんざん電気街を探したのだが見つけられなので、駅に行けばあるだろうと考えた。駅の改札口付近を探したが、そこにも無い。駅の案内所があったので尋ねると「駅構内には入らないんですよね?」と気かれたので、会社に連絡して追加購入があると嫌なので電車にはまだ乗れない。なので「ええ」と答えると、駅前周辺地図を差し出し「500メートル位歩いて昭和通りまで出れば公衆電話があります」と教えてくれたが、内心は「そんな遠くまで行かなくてもある筈」と思い、又もさんざん探した挙句、結局昭和通りでやっと見つかった。「素直に最初から来れば良かった」である。それにしても「炎天下で何をやっているんだろう俺は」。


公衆電話に10円玉を入れて会社に電話し、私の「お客様の電話番号を教えて」に、社長が「03-3311-」と答えたところで電話が切れてしまった。「えっ!10円で30秒位しか話せないのか!(後で調べたら区域内で58秒、30Kmまで27秒)」と驚きながら、再度10円を投入して残りの4桁を聞き出した。お客様に電話をしようとしたのだが、小銭入れには10円玉が1枚しか無くて、残りは100円玉だ。「途中で電話が切れては失礼だ」と思い「お釣りが出て来るかも知れない」と淡い期待を持って100円玉で電話をかけたのだが、生憎相手は出張中で通話時間は10円玉で十分間に合った。当然、お釣りなど出て来る筈もない。今時の公衆電話の表示には、10円玉、100円玉のどちらを何枚入れたのかはでてくるのだが、肝心のかけた電話番号や残り通話時間が表示されない。思えば、昔からそうだったのかも知れないが、通話が切れる前に警告音が鳴りお金の投入を促されたように思うのだが、今は何の前触れも無く切れてしまう。暑いので私も切れそうだった。愚痴を言っても始まるまい、スマフォを忘れた自分が悪いのだから。それにしても「都会ではスマフォが無ければ生きて行けなくなったんだなあ」と思い知らされた。「東京が 益々砂漠化 スマートフォン」


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都会に出て来てビックリ [社会]

「田舎から都会に出て来てビックリする事」という記事をネットで見つけて、遠い昔の自分を思い出してしまった。私が新宿の予備校に通うために上京したのは18歳の時なので1970年になる。ネットで見つけた内容とは時代が違うので、「昔はそんな事無かったなあ」と感じる事もあるけれど、指摘されて見れば「成程!」と思う事が多い。今、どういう訳だか(?)頭の中で吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」が鳴っていて、都会に憧れと不安が混じった若者の気持ちが良く出ていると思う。もっとも、この歌には「東京へ出だなら 銭っこあ貯めで 東京でべこかうだ」の歌詞にあるように、無い無い尽くしの田舎が嫌になり、東京へ出て一旗揚げようとする、不安など微塵も無い、野心(?)で一杯の若者なのだが。この歌、何度聞いても「田舎者を馬鹿にしている」ような「田舎者を激励している」ような複雑な気持ちになってしまう。けれども、人の持つ弱さを歌わせれば天下一品の吉幾三が才能を遺憾なく発揮している名曲だと思う。


そんな吉幾三のなまりのある歌声を思い浮かべながら、まず筆頭は「みんな時刻表を見ずに駅に行く」である。私の田舎は今でもディーゼル列車が走っているけれど、昔は蒸気機関車で、それも2時間に一本程度だった。なので、大人は乗り遅れないように発車時刻の30分前には駅で待っていた。高齢であればある程、この30分がもっと長かったような気がする。若者でも乗り遅れるのは痛いので、必死に走っていた。なので、都会に出て来て電車が次から次へと来るのに慣れるまで結構時間がかかる。「電車が1両じゃない」「電車がワンマンじゃない」「電車にディーゼル区間がない」のにも驚く。次が「徒歩圏内にお店や自販機がある」で、説明するまでもあるまい。そして「どこまで歩いても家がある」で、「どこまでも」は大袈裟で「家がある」は「無駄な土地が無い」という事なのだが、土地が高くて林や森さえも人の手が入っている。田舎では、森で迷ったら下手をすると死ぬ危険すらあるのだから。


記事には「カエルやコオロギやキジバトの声がしない」と「セミの声はめっちゃする」「公立高校より私立高校がエラい」「時給が高い」「近くに行くにも遠くに行くにも30分」とあったが、どれも納得する事ばかりである。こういった事に、初めは驚くけれど、何時の間にか慣れてしまう。そして電車やバスが数分遅れただけでも腹が立つ生活を送っている事に気が付かない。この記事のトップに「車ではなくケータイを2台持ち」というのがあり、田舎では自家用車と農作業用の軽トラックなど当たり前、ところが都会では車よりまずは携帯で、それも仕事用とプライベート用の2台持っている。始めは憧れだった都会生活だが、数分おきに来る満員電車、ひっきりなしにかかって来る携帯、食事は24時間営業のコンビニ弁当、そして家賃が高いので三交代の夜勤も我慢の職場、こんな都会でも若者は羨ましいのだろうか?何か間違っているような気がする。「隣人の 名前も知らぬ 顔さえも」


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「ハラスメント」にハラハラ [社会]

最近「ハラスメント」という言葉が大流行している。私もこの前「免ハラ」という記事を書いたばかりで、車の免許証に興味が無い若者を、飲み会でバブル世代の上司達が「情けない!」「それでも男か!」等のいじめを受ける事を言う。朝刊の人生相談に「スメルハラスメント」という言葉があり、32歳の女性の相談で”隣席の50代上司の柔軟剤の「フローラルの香り」の匂いに、毎日8時間同じ部屋にいるので頭が痛くなって来る。本人は加齢臭を人工的な香料で抑えてつけているつもりのようだが、失礼でない方法で「くさいです」と伝えたいのですが...”とあった。この回答が”とりあえずフローラルスメルがつらいという事を口にしない限り、解決には向かわなそうですね”で、これでは「相談しなきゃ良かった」と思うだろうし、第一「人生相談」に投書してまで解決して貰いたい相談事なのだろうか?私なら「上司にファブリーズやノンスメルを大量にプレゼントして、明日からこれを頭と両脇と腹とあそこと足につけて出社してくださいね」と、遠回しに言ってみる。結果は血の匂いがしそうなので責任は持たないが。


息子も、自分の衣類を選択する時に「レノア」という柔軟剤を大量に入れる。「どうしてそんなに入れるのか?」と聞くと「職場が狭くて8畳の部屋に男が10人いる。匂いが酷いので、せめて自分だけでも嫌な臭いを出さないようにする為だ」と言う。男同士でも「くさい」と言うのは結構勇気がいるし、まず言えまい。「神経質だなあ!」「お前こそ!」「この匂いが駄目ならどうすればいいんだ!」とか逆襲に遭うかもしれない。それほど匂いに関しては千差万別で、気にしない人には何でもない匂いでも、ある人には耐え難い匂いなのだろう。私は毎日お風呂に入っている人ならば、その人の体臭は大丈夫だし、柔軟剤の人工的な匂いよりはましだ。香水が一番苦手で、この匂いはつけている女性によって好き嫌いが大きく変わってしまう。なので、人生相談した女性も、自分では気が付いていないけれども「実は上司が嫌い」なのではあるまいか?


ネットで調べたら「ハラスメント」には全32種類あると言う。とても全部紹介出来ないし、全32種類というのも眉唾物で、何にでも「ハラ」を付ければ幾らでも出来てしまう。けれど中には「成程なあ」と思うものもあるので、面白い(?)ものだけ紹介する。「セカハラ(セカンド):被害に遭っているのに、かばってもらうどころか更なるいやがらせを受ける」「アルハラ(アルコール):上下関係を利用し本人の体質や体調・意向を無視して飲酒を強要(私なら幾らでもOK)」「アカハラ(アカデミック):大学教授が学生に大量の課題や宿題を出す(?)」「ドクハラ(ドクター):医者の言動、態度、雰囲気により患者が不快な思いをしたり精神的ストレスを負う」「カラハラ(カラオケ):立場を利用して、歌いたくない人に無理矢理歌わせる」「ブラハラ(ブラッドタイプ):血液型が与える印象でその人の人柄や性格を決めつけるような言動」「ハラハラ(ハラスメント):こんなハラスメントも知らないの?と馬鹿にする」。最後の「ハラハラ」は私のでっち上げである。紹介した程度の「ハラスメント」なら「ナイナイハラ(ナイスがナイ):ブログのナイスが少ナイ事をからかう」「ブロハラ(ブログ):お前のブログは内容が無くてつまらない」などと幾らでも作れてしまうが、「ナイハラ」や「ブロハラ」など私のブログのコメント位にしか使えまい。「セクハラと 騒ぐ人ほど 器量無し」


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「ノーナレ」番組?のうなれば嬉しいかも [TV]

記事タイトルを翻訳すると”「ノーナレーション」番組か、成程「ナレーション」が無くなれば嬉しいかも知れない”の意味である(いつも通り、ちょっと苦しい駄洒落になってしまった)。新聞のTV番組表を見て、NHK欄に「ノーナレ 元ヤクザが開くうどん店に密着!知られざる第二の人生」という番組を夜10時から放送する事を知ったのだが、この「ノーナレ」が私には解らなかった。「脳慣れ?NO慣れ?違うなあ」と思いながら、「ノーナレーション」の略であることに10秒程かかってようやく気が付いた。それにしてもNHKは「シブ5時」等のタイトル名の番組を放送して良いのだろうか?と思う。この「シブ」が「渋谷」である事を理解できない人が全国にかなりおいでなるのではないかと思う。NHK放送センターが東京都渋谷区にある事から付けられたらしいのだが、「シブヤ」の「ヤ」を取っただけで意味不明になっていて、縮めれば良いというものでもあるまい。民放ならともかく「公共放送が日本語を乱してどうする!」と文句の一つも言いたくなる。「ブラタモリ」も...止めておこう。


ひとくさり「ノーナレ」「シブ5時」にいちゃもんをつけさせて頂いたが、番組は素晴らしかった。「ナレーション」とは「解説」の意味だと思うのだが、余分な解説を省いた番組が観ていてこんなに惹きつけられるとは思わなかった。テーマが「元ヤクザ」という事もあったのかも知れないが、解説が無いので映像を真剣に観ていないと製作者が伝えたい事を見逃してしまう。普通、この類のTV番組には必ず声の解説があり、映像から目を離しても聞こえてくる解説で理解した気分になっているんだなあ、と気付かされた。つまり、解説を頼りにしてろくすっぽ画面を観ておらず、下手をすると解説通りの映像が映っている事を確認しているだけになっている。番組は「元ヤクザ」がうどん屋を開いて第二の人生を歩もうとしているのだが、ナレーションが無いので「元ヤクザ」が何を考えているのか?は目を見て自分で考えるしかない。番組は数人の「元ヤクザ」が一生懸命立ち直ろうとしている表情や振る舞いを映すだけだったので、余計に迫力があった。ドキュメンタリー番組等は「ノーナレ」で良いのではあるまいか?


スポーツ番組の「ノーナレ」はどうだろう?私が嫌いなのは、ズバリ「ゴルフ番組の戸張捷」この人がビッグトーナメント等で、とうとうとウンチクを垂れる解説には辟易する。逆に大好きなのが「プロ野球の桑田真澄、江川卓、古田 敦也」で技術や選手の心理状態を教えてくれるので、聞いていて楽しい(元阪神の川藤など、解説になっていないが勘弁してやって下さい)。そして「大相撲の北の富士と舞の海」だが、北の富士が老人(?)になって来た事もあって、最近ますます二人の解説のやり取りが面白い。それにしても、勝った力士が息も絶え絶えだったり、感極まっているのにインタビューに応えなければならないのは、見ていて気の毒にさえなる。それこそ「ノーナレ」の方が勝った力士の感動が伝わって来るのだと思う。私はこれまでスポーツは解説付きで観ていたのだが、プロ野球中継も解説無しで観られる時代なので、スポーツも「ノーナレ」で観る事にしようかな?その方が見えて来るものが多いのかも知れない。「解説の 自慢話に うんざりし」


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「鉄腕!DASH!0円食堂」と「東京・戦後ゼロ年」 [社会]

タイトルの二つのTV番組はどちらも「ゼロ」が付くのだが、内容には天と地程の差があった。どちらも20日、日曜日の夜の番組だが偶然に重なってしまったのも天の配慮かも知れない。番組をご存知ない方もおいでになると思うので、簡単に説明させて頂く。まず「鉄腕!DASH!0円食堂」だが、「TOKIO」というアイドルグループ(?)のメンバーが、ある土地を訪れ、主に生産者から「捨ててしまう材料」を集めて料理をし、提供者の方に食べて頂く番組である。今回は「九十九里浜」で、「釣り船屋の長五郎丸のお客さんが持ち帰りきれないので置いていったヒラメ」「トウモロコシ農家の大久保さんの形が悪いとか変形したトウモロコシ」「マッシュルーム農家・渡辺さんの形が微妙に変化のあるマッシュルーム」「メロン農家の菅谷さんの大きく割れたので出荷できないメロン」「卵の直売所サントクファームの運搬途中にどうしても衝撃で割れてしまった卵」「豚肉加工を行っている柴さんのご自宅兼加工場から豚の腎臓」と超豪華である。なので、出来た料理は不味かろう筈もない。この番組に控え目(?)なコメントをさせて頂くと「日本は豊かになったが、食料の自給率を考えると恐ろしい」「今まで廃棄するしかなかった材料で何か料理を考えて、その土地の名物をつくれないものか?」「大したヒット曲が無いのだから、本業の音楽活動にもっと本腰を入れろ!」程度にさせて頂く。息子が好きな番組なので仕方なく観ているけれど、結構人気番組らしい。


「0円食堂」が天だとすれば、NHKスペシャル番組の「東京・戦後ゼロ年」は地どころか、地獄に近い。番組のサブタイトルは「東京ブラックホール1945-1946」で戦争に負けた日本の世相を貴重な白黒の映像で見せてくれた。大空襲で焼け野原になった東京を背景に、地獄のような悲惨な生活を強いられている庶民と、敗戦を利用して大儲けようとしている政治家、軍人、商人、やくざ等々の人物が次々と映し出された。天皇の「人間宣言」にまで踏み込んでおり、天皇の代わりに「我こそが神だ!」という新興宗教が次々と現れ、中でも北村サヨの「踊る宗教」で信者が踊り狂う様は、正に地獄である。それにしても「NHKも凄い事をやるなあ」と感心してしまった。「百聞は一見に如かず」という言葉があるけれど、1952年生まれの私は祖父や祖母、父や母から終戦直後の様子を聞いていたので、ある程度の知識はあったつもりなのだが、まさかこれ程酷いとは思わなかった。父は当時浅草で警察官をしていたのだが、余り東京での苦労話をしたがらなかったのも、実態があまり悲惨過ぎて田舎で生まれ育った私に話したところで、実感も湧くまいと考えたのだろう。この番組を観てつくづくそう思う。


1945年ならば今から72年前なのだが、「随分昔の話」なのか「つい最近の事」なのかは人それぞれだろうけれど、高齢であればある程「つい最近の事」なのではあるまいか?そういう人が「0円食堂」を御覧になったら、どんなお気持ちになられるのだろう?少なくとも「食べ物を捨てられる程、豊かになった」と喜ぶ人はおいでにならないと思う。誰でもスーパーで買う時は「曲がったキュウリ」や「形の悪いトマト」を選ばないし「割れた卵」など論外だろう。なので生産者も本当は捨てたくないのだが、捨てざるを得ないのだろうし、賞味期限切れの食料も捨てざるを得ないのが現実なのだ。「戦後ゼロ年」は「日本がゼロから出発した年」の筈なのだが、72年かけて到達したのが「本当は価値があるのにゼロ円にされてしまった食料で溢れている日本」なのだ。何とかならないものだろうか?私が考えたのは「賞味期限 なまじあるから 無駄が出る」なのだが、ネットでもっと良い川柳を見つけた。「賞味期限 戦中生まれは 気にしない」


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