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核禁止条約交渉議場の日本席に折鶴 [政治]

”「あなたがここにいてほしい」。こんな英語のメッセージが添えられた折り鶴が、核兵器禁止条約交渉が続く国連の議場にある日本政府代表の席に置かれている。唯一の戦争被爆国でありながら、会議をボイコットした日本政府に対する落胆と批判のメッセージだ。折り鶴を置いたNGO関係者は朝日新聞の取材に、「日本政府に『国民や被爆者に対する責任があるんだ』と気付かせたい」と思いを語った。折り鶴は平和のシンボルであり、オバマ前米大統領が昨年5月に広島を訪問した際も、自ら作った折り鶴を広島市に寄贈している。”以上、朝日新聞デジタルから引用させて頂いた。


優雅な方法で、そこに込められたメッセージが良く伝わって来る。写真を見たら折鶴の足にロープが絡まっているように見えたが、よくよく見たら同時通訳用のイヤホンのコードだった。けれど、私にはアメリカというロープにがんじがらめにされて、自由に羽ばたこうにも出来ない日本とイメージが重なってしまった。岸田文雄外務大臣は昨年10月に「私としては交渉に積極的に参加し、唯一の被爆国として、そして核兵器国、非核兵器国の協力を重視する立場から、主張すべきことはしっかりと主張していきたいと考えている」と語っている。ところが3月28日になって「今後、この交渉へは参加しない」と明言した。余りの変わり身の早さと無節操に呆れてしまう。背景には「核なき世界」の理想を掲げたオバマ前政権から、「他国が核を持つなら、我々はトップになる」と発言するトランプ米大統領に代わってしまったので「トランプ米大統領を刺激することはすべきでないという首相官邸の意向」があった。唯一の被爆国である日本が先頭に立ち、核兵器の恐ろしさを全世界に訴え、原爆で亡くなられた方に対しても核禁止の為に核保有国を説得する責任があると思うのだが、自国の意見もアメリカ次第でころころと変わってしまうのが情け無い。それならば、いっそアメリカ合衆国の一州にでもして貰えば良いだろう、と皮肉を言いたくもなってしまう。


確かに北朝鮮や中国の軍拡路線を見ると、アメリカの核の傘がないと日本の防衛力などたかが知れている。だからと言って条約交渉に不参加では、余りにも能が無い。そんなに簡単に核禁止条約が出来るのならば、もうとっくに出来ていて、今日本に求められているのは地道な努力と粘り強さなのだ。アメリカの機嫌を損なうので議場にも姿を現さない行動からは何も生まれて来ない。日本がすべき事は、とにかく核禁止条約交渉に参加し、日本の置かれている現状を説明し、より多くの国の同意が得られるような条約にするにはまずどうすれば良いか?の意見を述べる事が必要だろう。それが、唯一の被爆国である日本政府の責任であるのだから。同じ折鶴なのだが、オバマ前米大統領が広島訪問で寄贈した折鶴と、核禁止条約交渉議場の日本席におかれた折鶴では天地の差がある。折鶴は平和のシンボルで、広島平和記念公園には世界各国から送られてくる千羽鶴が飾られている。日本の不参加が続き、議場の日本席の折鶴がやがて千羽にまでならねば良いが。「折鶴に 込められし願い 忘るまじ」


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高浜原発再稼動は時代の流れに逆行している [社会]

「朝日新聞デジタル」から引用させて頂く。”関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)について、大阪高裁(山下郁夫裁判長)は28日、大津地裁が出した運転差し止め仮処分決定を取り消し、運転再開を求めて保全抗告していた関電側の訴えを認めた。「安全性が欠如しているとはいえない」と判断した。この決定を受け、関電は運転停止中の高浜3、4号機の再稼働に向けた準備を進める。この日の決定は、国が東京電力福島第一原発事故の後に定めた新規制基準について「現在の科学技術水準を踏まえた合理的なもの」と評価した。そのうえで、原発の安全性の立証責任について「安全審査に関する資料をすべて保有する関電がすべきだ」と指摘。関電の安全対策は新基準に適合していると評価したが、住民側には「新基準自体に合理性がないことを立証する必要がある」と求めた。”私が一番首をかしげたのは、住民側に新基準自体に合理性がないことを立証する必要がある、と求めた点で「どうして立証する必要があるのか?」と不思議で仕方がない。そもそも「新基準自体の合理性の有無」などどうでも良い話しなのだ。私には高裁が住民にいちゃもんをつけたとしか思えない。


国民は東京電力福島第一原発事故で、原発事故の恐ろしさを知った。その事故の処理さえままならない状態が今も続いていて、事故の全貌もいまだに明らかになっていない。地元住民の生活はずたずたにされ、地元に戻る事も許されない。避難先の学校ではいじめまで起きており、福島県の風評被害はとどまる事を知らない。この事故を教訓に原子力規制委員会は2013年7月に新基準を施行した。主な内容は「炉心溶融や原子炉格納容器の破損といった重大事故の対策義務」「設備が壊れても原子炉を冷やせるよう多層の冷却手段や電源の設置」「想定する地震の規模や津波の高さの引き上げ」なのだが、逆に「これらを守れば稼動しても良い」になってしまった。この新基準を守れば原発事故は防げると考えているのだろうか?もし、この新基準で福島原発が造られていたならば事故は防げたとでも言うのだろうか?想定外の出来事には合理性などという曖昧な言葉など吹き飛んでしまうのに。


高浜では今年の1月20日夜、2号機そばに待機させていた大型クレーンの根元で支える部材が変形し、上方に伸ばしていた全長約113メートルのアームが倒れ、使用済み核燃料を保管する燃料取り扱い建屋と原子炉補助建屋の一部を壊す事故が起きている。暴風警報が出ていたにも拘わらず、請負会社は暴風警報を知らず、把握していた関電も警報が出ていることを知らせなかった。風速30メートル以上が予想される場合は事前にアームをたたんで地上に下ろすことになっていたのだが、請負会社は作業を終えた午後4時半ごろ、瞬間風速が7メートルだったためアームは伸ばしたままにしていたという。関電の調査では当時、周辺で瞬間風速40メートル以上の強風が吹いていたとみられる。原発という特殊な場所であるのだから、クレーンも夜間は必ずたたむとか風速30メートルを超えたら自動的にアームをたたむような「合理的」な設計になっていれば、こんな事故も起こらなかった筈。高浜原発は北朝鮮に近い場所にあるので、一発のミサイルが飛んでくれば「合理性」など吹き飛んでしまう。もっとも北朝鮮は指導者が「合理的」考えの持ち主なので、有り得ない事と願うしかない。もし狙われるとしたら、霞ヶ関か大阪高等裁判所だろう。何だか、裁判所のランク(?)が上がるにつれ国よりの判決になっている様な気がしてならない。「原発は 不合理不条理で 出来ている」


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止まぬ雨と明けぬ夜 あと一つが? [教育・生活]

ネットを見ていたらツイッターに”三大無い物「止まない雨は無い」「明けない夜は無い」”というツイートがあり「はて、残り一つは何だろう?」と考えたが思い浮かばない。書き込みに「沈まない太陽」というのがあったけれど、有り得ないし「昇らない太陽」では「明けない夜は無い」と同じ意味になってしまうので却下したい。「雑草という草は無い」は昭和天皇のお言葉だが、これでも良いのかも知れないが、私には今一つしっくり来ない。今も疑惑が晴れていない森友学園問題で頻繁に安倍総理が言う「そのような事実は無い」も違うなあと感じる。「子供を愛さない親は無い」という秀逸な言葉もあったが、子供の虐待が新聞やニュース等を賑わしている昨今では、これも違和感がある。「消えない虹は無い」というメルヘンチックなものまであったけれど、どうしてもピッタリはまるのは無かった。「終わらない冬は無い」あたりが適切なのかも知れない。


書き込みの中には笑ってしまったり感心してしまうものも多かったので紹介すると「俺に金」「男女の友情」「覚めない夢」「髪の毛」いずれもうなずいてしまう。「傘」は井上陽水のヒット曲、「テレビ ラジオ 車もそんなに走って」は吉幾三のヒット曲、「歌の無い歌謡曲」は昔、そんなラジオ番組が有った気がする。「オリックス優勝」は別にオリックスに限った事ではなくて、私など「阪神」にしたいぐらいである。屁理屈だよなあと思ったのが「溶けない雪」「夜も輝く太陽」「欠けることのない月」「下りのない上り坂」「死なない親」これらは有り得ないのであって、無いとは別だ。懐かしかったのは「俺たちに明日は」でウォーレン・ベイティやフェイ・ダナウェイも良かったけれど、私が一番印象に残っているのは頭の鈍いガソリンステーションの店員C・W・モスを演じたマイケル・J・ポラード、鼻が印象的で一度見たら忘れられない顔とはまさに彼を言うのだろう。「清純派AV女優」というのもあったが、私はそうは思わない。とどめは「なんでも」だろうか?


ツイートには「止まない雨は無いとかじゃなくて、今降ってるこの雨がもう耐えられないっ つってんの」という色紙の画像があって、今そういう状況に在る方が結構おいでだと思う。「止まない雨はない」関連の記事をネットで調べていたら”「明けない夜」はあるのです。「止まない雨」はあるのです”を見つけた。無断転載は出来ないので内容を要約させて頂くと”心から落ち込んでいる人に、「止まない雨は無い」とか「明けない夜は無い」などの安易な言葉は慰めどころか、逆に傷つけてしまう。雨は止むどころか、益々激しさを増す事もあり、もうこうなったら「夜なんて明けなくても構わない。夜の中を生きようと思う。「明けない夜なら明けなくていい、止まない雨なら、止まなくていい」という考え方が、決して「後ろ向き」だとは思わない”と結ばれていた。「雨は止む筈」「夜は明ける筈」という考え方もあるけれど、何時までもその考え方に縛られていると余計に辛くなってしまう場合もあるのだ。必死に頑張っていたら何時の間にか「雨が止んでいた」「夜が明けていた」が理想なのだが、なかなか難しいので発想を変えよう。「止まぬ雨には出歩かず 明けぬ夜には寝て過ごす」


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新横綱 稀勢の里の涙に 貰い泣き [スポーツ]

稀勢の里が涙を浮かべながら優勝賜杯を受け取る姿を見ていて、不覚(?)にも私まで涙が出て来てしまった。新横綱の優勝は1995年初場所の貴乃花以来22年ぶりで戦後5人目だ。私は12勝位してくれれば良いけれどと思っていたのだが、初日からの12連勝で、もしかすると優勝?と期待していたら13日の日馬富士戦で負けてしまい、救急車で運ばれた時には今場所はもう休場するのでは?と思っていた。ところが14日も休まず出場したので、思った程酷い怪我ではなかったのか?と思いきや対戦相手の鶴竜に力が入らずに負けてしまった。この負け方を見て明日は休場かなと思ったが、15日は1敗の照ノ富士を本割では突き落としで下して13勝2敗で並び、優勝決定戦では小手投げで再び照ノ富士を退けたのだから、感動した。照ノ富士は14日に琴奨菊に変化して勝ったのだが、場内から大ブーイングだった。彼も古傷の左膝の怪我を抱えていたので必死だったのだと思う。そして15日は稀勢の里はプライドを捨て右に変化したのだが、立ち合い不成立で二度目は左に動いて足が出ない照ノ富士を突き落とした。そして、優勝決定戦は右手一本で照ノ富士を小手投げで破ったのは見事だった。一方、照ノ富士にも様々なものが背景にあり、アウェイの心情だったのだろう。


こういった経緯があったからこそ、稀勢の里の涙があったのだ。そして、様々な雑音が入りながらもやっと横綱に昇進し、最初の場所に優勝出来たという安堵も手伝っての涙だったと思う。最近、相撲を観ていると立ち合いの変化が許される力士と許されない力士がいるのが観客のブーイングで良く判る。体が小さい力士は立ち合いの変化が無ければ勝つのは難しいので変化も許されるし、どんな変化をするのか楽しみにしているような処もある。一方体の大きい力士は変化は許されない。怪我で変化したい気持ちは良く解るが、観ている相撲ファンは勝負を観に来ているのではなくて、熱の入った良い相撲を観に来ているのだ。そしてそういう力士こそが人気があるのだが、人気があっても負け越してしまえば番付は下がってしまうのが、力士の辛いところ。私は勝ち方にまで美学が求められる相撲という競技が大好きで、重量による階級が無いのも潔い。


「男が泣いて良いのは人生3回だけ」という言葉があるが、3回とは「生まれた時」「父親、母親が死んだ時」と私は教わった。ネットで調べたら「娘を嫁に出す時」というのがあったが、私は嬉し涙だった。その他にも「妻を亡くした時」「子供に先立たれた時」とか真面目な回答があり、成る程と思う。中には「財布を落とした時」「ハイヒールで足を踏まれた時」「玉ねぎを切った時」というのもあったが、論外だ。「自分が死ぬ時」というのもあったのだが、意味不明である。それにしても、齢を摂ったせいか私はTVドラマなどを観ていて良く泣いてしまい、人生3回どころか毎日3回である。人と人が解り合えたシーンや貰い泣きが多い。こんなに涙を流していては水分不足になってしまうので、常にアルコールで補うように心がけている。「待ったなし! 言ってる行事が 可哀相」


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契約書と実印の重さ [社会]

昔、我が家を購入する際に銀行で住宅ローンを組んだ。担当者から渡された書類に目を通して実印を押す。その中に何通もの契約書があったが、ろくに読みもしなかった、というより読む気が失せた。何故ならば、字が小さい上に数ページもあるからで、全部読んで考えていたら時間が幾らあっても足りないし、形式的な内容が書いてあるに過ぎない、と考えたからである。適当に流し読みして押印していると、担当者が「外国人の方は長時間かけて、全部にじっくり目を通すんですよね」と苦笑した。そして「普通のハンコには天と判る印が付いているのに、何故実印には無いのか御存知ですか?」と訊かれたので「さあ?」と応えると「上下を確認する為に実印を眺めている間に、本当に押してしまって良いのだろうか?と考える為なんですよね」と言った。後から調べてみたら、ハンコ屋の手抜きでしかないという説もあったけれど、私には担当者の言う事の方が正しいように思えた。


さて契約書だが、日常生活に沢山登場する。カードを作ったり、保険に入ったり、会員になった時などに契約書かそれに準ずる書類が付いてくる。どれもが小さな字で印刷してあり、数ページにも及ぶので全てに目を通す人など滅多にいまい。まるで、読みづらくして読む気を無くさせているようにさえ思える。読んでも、常識的な事しか書いてなさそうなのだが、よくよく読んでみると契約を結ばせる側に有利な事項も少なくなくて、後から「何々だと思っていた」「そんな筈ではなかった」と悔やむ事が多い。私が印象にあるのは、地震で起きた火災は火災保険が適用されないという事で、地震も保険の対象にしたいならば地震特約を結ばねばならない。勿論、契約書のどこか(?)に書いてあるのだろう。大震災の多い昨今であるから、災害保険に入ろうと考えておられる方は真っ先にこの点が気になると思う。それでも、昔はこの事を曖昧にしていたように思う。火災保険に限らず、医療保険でも「えっ!どうして保険がおりないの?」と思われた経験をお持ちの方は多いのではなかろうか?契約書を隅から隅まで読まない方が悪いのだが、あえて法律の専門用語を多用して解釈を難しくしている気がする。


今、話題になっているのがAV出演を強要されても断れない契約を結んでしまった若い女性達だ。彼女らが契約書の持つ重要な意味を理解していれば良いのだが、学校で教わる事はまず無いだろう。幸福な人生を歩む為にも契約の知識は必須なのだが、社会に学校教育が追いついていないのだ。未成年者の場合は親の同意なしに契約しても有効だが、後から親が取り消す事が出来る。けれど親が知る事はまず有るまい。未成年の若い女性がスカウト等でのモデルとか女優という言葉に騙され、大人の悪巧みに簡単に引っかかってしまうのを防ぐ為にも、契約とは何か?を早急に教えるべきだと思うし、それ以前に「自分を大切にする」事を身近な大人が折に触れ教えるべきではなかろうか?若いのだから夢があるのは当然なのだが「世の中は 貴女が思う程 甘くない」


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再び「道徳を評価出来るんですか?」 [教育・生活]

文科省が小学校の道徳の教科書の検定結果を発表した。私には人格形成教育にも再び権力が介入して来てしまった、という思いしかない。言わば「教育勅語の現代版」であり、子供は各自の多様性を尊重して教育すべきである筈なのに国が定めた「22の内容項目」を満足している教科書で指導し記述式で評価する。子供が傷つかなければ良いが、と心配だ。2016年7月の新聞に「道徳を評価出来るんですか?」の15歳女子中学生の投稿があり、私も同感で記事にしていたので抜粋引用させて頂く。


”道徳”が教科になるという。調べたら、小学校は2018年度からで、中学校は2019年度からである。なので、彼女が道徳の授業も評価を受ける事もまず無い。それでも、彼女は”道徳”が教科になる事を憂いている。投書の内容も正論であり、彼女がしっかりした考えを持っている事が伝わって来る。こういう人にこそ、先生になって欲しいのだが、これだけ優秀ならばどんな職業に就こうが活躍すると期待。
数年前になると思うがTVで韓国の竹島教育を取り上げていた。韓国では竹島とは言わず独島といい、小学校から韓国領土であるという教育が徹底して行われており児童は信じて疑いもしない。私が驚いたのは、幼少の時の教育の恐ろしさにある。自分にも幼少の頃に教えらて、信じて疑いもしない物があるのではないか?これに気付くのは至難の技で、年齢を重ねる程修正するのが難しい。数年前に山本太郎が園遊会で天皇陛下に直接手紙を渡した事が問題になったけれどこのニュースを妹夫婦の別荘(実態は山小屋、御免)で一緒に観ていたのだが、妹夫婦は共に「とんでもない奴!」「許されない!」と観ながら憤慨していた。私はそうは思わなかったが、黙って聴いていた。何故ならば彼等と議論しても説得できまいし、せっかくのレジャー気分を壊してまで言う事でもあるまい、と考えたからだ。論破するのは簡単で「天皇だと何故いけないの?」の私の質問に対して、「だって、天皇だもの!」と答えるだろう。そして、それ以上は考えようとしない。私も高校生まではそうだった。だが、大西巨人「神聖喜劇」や奥崎謙三「ヤマザキ、天皇を撃て!」等を読んでから少し考えが変った。少なくとも、手紙の手渡しには違和感が無い。直訴は駄目だ、という声もあったが江戸時代じゃあるまいしと思う。読んで頂けると考えた山本太郎の知性も疑わなければならないのは勿論だけれども。冒頭の投稿者の彼女だが、彼女はもう答えを知っているのだ。道徳の問題には正解など無いし、ましてや評価など意味が無い事を。私が心配なのは彼女が真面目過ぎる事、若さゆえ自分を曲げて生きて行くのは難しく、今後様々な軋轢があると思う。私が彼女の父親ならば、自分を誤魔化す様々な方法を教えてあげられるのだけれど、どれも”不道徳”なので、とても彼女に受け入れて貰えそうに無いのが残念だ。


以上引用させて頂いた。新聞に検定意見と修正例があり、例えば「パン屋のおじさん」は「パン屋のおじいさん」に、「パン屋」は「和菓子屋」に、「公園」は「和楽器店」にさせられた。理由は「感謝」や「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」の扱いが不適切であるという。これだけ検査が厳しければ、似たりよったりの教科書になってしまうが、それこそ文科省の目的なのだろう。学級が抱えている問題は学級の数だけあり、それを先生と児童達が考える事こそが生きた教育だと思う。なので教科書も評価も、不要どころか弊害である。「道徳を 説く資格など無い 文科省」


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怒鳴り込むか 通報か [教育・生活]

新聞に「僕達に直接言って欲しかった」のタイトルで東京都の中学生の投書があった。今の時代をまさに象徴しているような内容だったので紹介したい。”外で何人かの友達とバドミントンをしていたら、学校の先生が来突然来て、「もう遊ぶな」と注意された。どうやら住民が学校に電話で通報したようだった。少しうるさかったかもしれない。迷惑をかけてしまったら、本当に申し訳ないと思う。しかし、悪いのは僕たちなのだから、僕たちに直接、一言なにか言って欲しかった。住民は、中学生に注意しても理解されないと思ったのかも知れない。ただ、僕たちが遊んでいたのは夕方、学校から帰って、まだ30分ぐらいしか経っていなかった。こんな短時間で学校に電話されるほど悪い事をしたのだろうか。僕たちはもうその場所で遊べなくなった。直接口で言ってもらわないと誤解を生むだけで、きちんと伝わらないと思う。”これを読んで、中学生の通う学校が良く解ったなあと思う。制服で遊んでいたとは考えにくいし、顔見知りだったら不気味である。夜ならともかく夕方の時間帯であるし、それ程我慢出来ない騒ぎだったとも思えない。それはともかく、直接本人ではなく学校に通報した行為が陰湿で後味の悪さを感じる。中学生の言うように、直接穏やかに注意して欲しかったと思う。学校に通報した住民が一人だけであったと思いたい。


娘と息子がまだ小学生低学年の頃、帰宅したら家内が不機嫌だった。話しを聞くと、夕方近く隣のお兄ちゃんに子供達が遊んで貰っていた。遊んでいた場所は自宅前の道路で、行き止まりなので子供達は気兼ねなく遊べ、お向かいの幼稚園児もいた。怪我をされては大変なので家内と隣の奥さん、向かいの奥さんが見張りながらお喋りをしていたら、突然行き止まりの向こうの家の親父が怒鳴り込んで来た。「息子が夜勤で寝ているから静かにしろ!」と隣の奥さんに怒鳴ったそうだ。「そんな事知らなかったし、夕方近くに子供達が楽しく遊んで何が悪いのか?」と返したそうだが「静かにしろ!」の一点張りで、子供達もしゅんとなってしまい結局遊ぶのを止めてしまった。隣の奥さんも、親父が帰った後は涙目だったそうで「ショックだわ」と言っていた、今日そんな事があったと言う。それ以来子供達は遊ばなくなった、とはならずに大きな声を出さないように注意しながら遊ぶようになった。隣の奥さんも、又親父が怒鳴り込んで来たら、逆に怒鳴り返してやる、と言っていたそうだが残念ながらもう現れなかった。それでも顔を合わせて会話をしたことで、お互いに良い方向に向かったのだろうと思う。


今、働き方が多様化しているので夜勤明けの方も多いだろうし、高齢の病人を抱えて大変な家庭もおありだと思う。けれど「子供達の遊ぶ声がうるさい!」「盆踊りがうるさい」「除夜の鐘がうるさい」「火の用心の声がうるさい」「豆まきの声がうるさい」と苦情を言う人がいるけれど、全て生きて行く上で大切で必要な広義の生活音なのに、うるさい、と苦情を言う今の社会が情け無い。自分が生活環境に合わせるのでは無く、自分に都合の良いように生活環境を変えさせようとしている訳で、どれだけ傲慢なのかと呆れてしまうし、顔も見せず会話もしない事が恐ろしい。「生活音も 騒音にしてしまう わからずや」


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言葉は凶器 言葉に狂喜 [教育・生活]

「言葉は猛獣よ。解き放ったら帰ってこない」 二コール・キッドマン
「若い時は体の傷はすぐ治るが、心の傷はなかなか治らない。逆に齢を重ねると、心の傷はすぐ治るが、体の傷はなかなか治らない」という名言(?)があるけれど、確かに自分の過去を振り返って見ると、何故あんな言葉や出来事を何時までも引きずっていたのか?と思うのは学生時代の頃が多かった。自分を良い意味で誤魔化す事が下手だったのだろうなと思う。ネットに「お母さんが歌っているのを聴いた事が無い、鼻歌さえも無い。不思議なのでお母さんに聞いたら、小学生の時に友達から音痴と言われた事がトラウマになってしまった」の書き込みがあった。友達は「そんな事言ったかしら?」なのだろう。何気ない言葉も、言われた方は一生直らない心の傷になってしまう事もあるので、言葉は凶器なのだ。もっとも、音痴に気が付かない人の大きな歌声はもっと危険な凶器ではあるが。 


人に言われて傷つく事の一つに、体の欠点を言われる事である。太っている、痩せているは直せるかもしれないが、身長の低さや顔の造作は無理だろう。顔は整形で何とかなるかも知れないが、指摘された時点で傷つく。彼氏に振られた娘に親父が「人間は顔じゃない」と慰めようとして「お前の顔は人間じゃない」と言い間違えた、という笑い話があるけれど、顔にコンプレックスを感じている女性は沢山おいでになる。最近、マスクをしている女性がやけに多いなあと思っていたら、TVでも取り上げていてマスクをしている女性にインタビューをしていた。かなりの数の女性が、顔を隠すのがマスクをする目的と応えていた。インタビュアーがマスクを外して頂けますかとお願いすると、綺麗な方がほとんどで、マスクで隠す必要など無かった。それでも本人にしか解らないコンプレックスがあるのだろう。それを他人から指摘されれば、深く傷つく。心の傷は見えないので、言った方も気が付かないのも厄介な問題ではある。娘が高校生の時に家内から「白髪という言葉を使っちゃ駄目よ。禁句だからね」と言われた。確かに娘の髪には何本かの白髪があって、悩みの種なのだそうだ。私に言わせれば「外見より中身に悩んだら?」なのだが、勿論、泣き叫ばれるのが怖いので言える筈もなかった。


言葉は時に人を傷つける凶器だが、反対に勇気を貰える言葉、いわゆる名言だが私はどちらかというと名言よりも迷言が好きなので老人向けをいくつか紹介したい。
「私にとって年寄りとは常に自分より15歳年上のことだ」バーナード・バルーク
「最初は人の名前を忘れ、そして顔を忘れ、次にチャックを上げるのを忘れ、最後にはチャックを下ろすのを忘れる」ジョージ・バーンズ
「今日、初めての還暦を迎えまして、、、」長島茂雄
お寺の掲示板に「人間 死ぬ気になったら どっか悪い」とあったとか、「死ぬ気にさせるのは 貴方のせいではなくて 何かが間違っているのだから 死ぬ必要はありませんよ」と言う事なのだろう。生きてさえいれば何とかなる、そして生きて行くには無駄も必要で「タバコか酒どっちをやめるか選ぶとしたら人生やめる」


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共謀罪は凶暴だ [政治]

共謀罪法案が閣議決定され、政府は今国会での成立を目指している。私は昨年の9月に「レバニラを ニラレバと言い換えたような 共謀罪」のタイトルで記事を書いた。今読み返しても主旨は変らないので、以下、抜粋引用させて頂く。
別にニラレバ炒めでなくてもカレーライスとライスカレーでも良かったのだが、本当はこんな法案が通ってしまっタラ、あの時反対していレバ、の”タラレバ”の話しだ。自民党が今の勢いを借りてある法案を通そうとしている。御存知の方も多いと思うがある法案とは”テロ等組織犯罪準備罪”で、これは過去3回提出された”共謀罪”を本質をほとんど変えずに名前を言い換えただけの代物だ。内容は”重大な犯罪にあたる行為を「団体の活動」として「組織により」実行しようと共謀する事は犯罪”なので取り締まろうという。目的は「円滑に東京オリンピックを行うため」だというが国民は騙されないし、たとえ「オリンピックの期間中だけ」と言われても断固反対だ。


考えるだけでも恐ろしい、実際に行動を起こさなくても言葉だけでも罰する、という内容なのだ。どれだけ危険かの例え話だが、居酒屋で「あんな上司はやっつけよう!」などと同僚と盛り上がっていたら逮捕されてしまうという事。ここまで極端ではあるまいが、日本の警察は冤罪をでっちあげる能力は北朝鮮にも負けてはいない。そして政府に忠実なのだ。この前も大分県警が野党候補支援団体の敷地に無断で隠しカメラを設置した。気がついた団体職員が大分県警に「あやしいカメラが設置されている」と届けた、のオチまで付いているし、建造物侵入の疑いもある事件だ。こんな事件も共謀罪が出来てしまえば警察の活動は合法になってしまうから怖い。まさに凶暴罪と書いてしまいそう、圧倒的な権力が警察等の手に入ってしまうのだ。最近のTVは「警察24時」等のタイトルで「いかに警察が国民の為に一生懸命に働いているか」を放映しているがやけに多くなったなあ、と感じる。覚醒剤や交通違反の取り締まりも大事だが、捉まえて欲しいのは悪法を造るもっと悪い奴らなのだが。昔から有名なジョークがあって、”赤の広場で 「フルシチョフは馬鹿だ!」 と叫んだ男が裁判にかけられた。判決は国家元首侮辱罪で2年 国家機密漏洩罪で10年”。安倍首相はマリオに扮してまで日本の為に頑張っておられるが、直前に漏れるのを防ぐ為にやっきになって2014年”特定秘密保護法施行”したのではあるまいか?この法律は、防衛、外交、スパイ防止、テロ活動防止の4分野で安全保障に支障を来す恐れのある情報を「特定秘密」に指定することが柱となっており、指定された情報は公開されず、その秘密を漏らした公務員や民間業者らには最長で懲役10年の罰則を設けている。国会議事堂前の広場で「安倍はXXだ!」と叫ばれるのを恐れて先手を打ったのかも知れない。この法律も拡大解釈すれば恐ろしい威力だ。この”凶暴罪”だが、昔悪法で有名だった”治安維持法”と何が違うのだろうと思う。1941年に制定されたのだが、目的は国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的にしていた。勿論、目的は共産主義革命運動の激化を懸念したもので俗に言う”赤狩り”。ところがやがて宗教団体や、右翼活動、自由主義等、政府批判は全て弾圧・粛清の対象となっていってしまう、いわば日本の暗黒時代。敗戦後の1945年にGHQにより廃止されたが、再びあの時代に戻ろうとしている。それにしてもリオオリンピックでのマリオでの登場が不可解。一民間企業のゲームキャラに扮装した事も問題で、全世界に日本で人気者だと誤解させた事も問題だ。もっと問題なのは、東京オリンピックでも首相でいたいと考えているのではないか?という事で、それを実現させる為には党則の2期6年を3期9年に変えなければならない。それこそ党内の安倍派と”共謀”しなければ実現しなのだが、この法案が施行されて真っ先に捕まったのが安倍首相だったら笑える。勿論、”タラレバ”だけれど。


以上引用させて頂いたが、既に党則は3期9年に変っている。「よどむ水には芥(ごみ)たまる」の諺が示すように、森友学園という芥も溜まってしまった。まだ、籠池理事長が誰と「共謀」していたのか?は明らかになっていないが、彼には決定権が無いので役所にお願いするしかない。なので誰かの力を借りなければ、彼の願いは叶わない。証人喚問でよどんだ水が流れ、全ての芥が無くなる事を期待したい。「共謀罪 最初の適用 安倍総理」


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キレる爺さん ヒマな婆さん [老後]

新聞に中学生からの「キレる高齢者にどう対すれば」と、高校生からの「お年寄りはなぜ病院に集まるの」という投書があった。「老人とは70歳以上位の人をさすのだろうから、64歳の私はまだまだ老人ではないので無関係」と考えたら大間違いで、若者から見れば60代こそキレやすい老人なのだ。東洋経済オンラインというネット記事(2016年3月掲載)から引用させて頂くと”JR6社や日本民営鉄道協会などの調査によると、鉄道係員に暴力を振るった加害者の年齢別では60代以上が2014年度まで5年連続でトップだった。ちなみに加害者全体のうち6割弱が飲酒しており、発生した時間帯は22~翌5時が最も多い”。老人は病院でも暴れており”職員に院内暴力などをふるった人を年齢別で見ると、暴力は70代、セクハラは60代が最も多く、暴言についても60代が2番目に多い”。犯罪も深刻で”一般刑法犯の検挙人員数を年齢別に見ると65歳以上は約4.7万人に上り、14~19歳に次ぐ水準だ。全体の数は約25万人と10年前から3割強も減少しているにもかかわらず、高齢者の数は約1割増加している。高齢者犯罪で最も多いのは窃盗で約3.5万人と断トツで10年前と比べて約3割増、暴行(約0.35万人)は約4倍、傷害(0.16万人)も約5割増となっている”という恐ろしい数字になっている。キレる老人が社会問題になっているのも当然だ。一番厄介なのは「自分はキレる老人ではない」と本人に自覚が全く無い事ではないだろうか?


もう一つの「病院に集まるヒマ老人」だが「診察が済んでいるにも関わらず、狭い待合室に何時までも帰らずに知り合いと長話をして、席を譲ろうとしない。立っているのもやっとの人もおいでなのに」という問題提起である。笑い話に病院の待合室で「最近あの人見かけなくなったけれど、病気にでもなったのかしら?」というのがあるけれど、高齢のご婦人方には憩いの場なのであろう。そしてお喋りに夢中になってしまい周囲に迷惑をかけている事にも気が付かない。病院の外来患者の待合室が老人のサロンとなってしまった原因の一つが、2008年4月に導入された”75歳以上の高齢者を対象とした後期高齢者医療制度”で、他の年代に比べ自己負担金額が軽減されているので気軽(?)に病院に通える。この制度を支えている人の中には、多くの若者も含まれている事を老人は忘れてはなるまい。


「キレる老人」は男性が多いだろうし、病院に迷惑をかけている「ヒマな老人」は女性が多いと思うと、男女を問わず社会に迷惑をかけている訳で、もうすぐ(?)老人になる私は憂鬱になってしまう。「キレる老人」に男性が多い原因の一つに「リタイアして社会との接点が少なくなってしまった」のではあるまいか?交際範囲も狭まり、アドバイスをしてくれる人もおらず、いたとしても聞く耳を持たない、その上さしたる趣味も無いので会話も少なくなってしまい、結果、コミュニケーションが下手になってしまったのだ。そこで、私がお勧めしたいのが「ブログを書く事」である。私はブログの記事を書くにあたり、新聞やTVニュースで話題になっている事は出来るだけ調べて書くようにしている。なので毎日2~3時間かかっており、その間はお酒を飲まない。飲んでしまうと、そうでなくとも支離滅裂な内容がハチャメチャになってしまうからで節酒(?)の役にも立っている。ブログを書く事で今の社会を考え、ヒマな時間も無くなるので「キレる老人」にならない為にも、是非ブログをお勧めしたい。しかし「キレる老人」はブログになど興味は無いのだろう。そういう老人に私はキレそうだが、段々余生も少なくなって来ているのでキレている時間が勿体無い。「いつまでも あると思うな その命」


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